アジア・マップ Vol.01 | ネパール

《エッセイ》
ネパールと私

伊東さなえ(日本学術振興会(RPD)/京都大学)

 「ネパールと私」というタイトルのこの原稿を書くにあたり、自分とネパールの関係を思い返してみると、初めから強く「ネパールに行きたい」と思って始まった関係ではなかったことに思い至った。ネパールでは、最近は変わりつつあるものの、以前はお見合い結婚(アレンジ・マリッジ)が主流であった。ある女性に「あなたは恋愛結婚?それともお見合い結婚?」と聞いたら、「アレンジ、そのあとラブよ」と笑って言われたことがある。私のネパールへの気持ちもそんなところがある。

 ネパールに関わり始めたきっかけは、青年海外協力隊に参加したことである。青年海外協力隊は、希望は出せるものの、合格してみないと、どこの国で何をするのかわからない。私も、合格して初めて、ネパールに行くことがわかった。研修を経て、ネパール行きの飛行機に乗った時も、実感はなかった。

 ネパールに来た、という実感がわいたのは、飛行機からヒマーラヤ山脈が見えた時だった。その後、協力隊員として丸2年をネパールで過ごした。知れば知るほど面白い、知れば知るほどわからないことが出てくる。もっとここを知りたいと思うようになった。協力隊の任期中に大学院進学を考え始め、帰国と同時に大学院を受験し、現在に至るまでネパールの研究を続けている。

 青年海外協力隊員だったにもかかわらず、国際開発協力ではなく研究を選んだのは、外部者としての介入について迷いがあったからである。ネパールには1950年代から現在に至るまで、国際開発協力が多数流入し続けてきた。青年海外協力隊員として従事した都市ごみ対策に関しても、ドイツや日本による援助が1980年代から展開されてきていた。私は主に住民啓発に携わったが、活動する中で違和感を持つようになった。なぜ日本から来た私が教える側なのだろう?観察していると、日本とは異なるごみ処理のシステムがあり、人々のごみに対する考え方も異なるようだ。啓発の前に、それらを知ることから始めようと参与観察やインタビューなどを行うようになった。それが面白くて、もっと探求したいと、協力隊の任期終了後、研究の道に進んだ。国際開発協力の世界で、現地の文脈に合っていないという違和感を持ちつつ活動するよりも、この探求を続けていくことで貢献したいと考えたのである。何よりも、国際開発協力の世界で積極的に介入することが怖かった。それによって現地社会は変わるかもしれない。私が変えてしまっていいのだろうか。それは良い変化をもたらしうるのだろうか。そもそも、良いとはなんだろう。そんな疑問と不安があったのである。

 このようにして研究の世界に入ったのだが、現地社会への介入についてのスタンスを変えざるをえない出来事が大学院時代に起こった。2015年のネパール大地震である。マグニチュード7.8の地震により、ネパール全土で9,000人以上が亡くなり、70万棟以上が倒壊した。第一報に接した時の衝撃は今でもよく覚えている。そこから、必死でかかわりのあった人々の安否の確認に奔走した。電話をかけ、Facebookが更新されないか確認し、日本にいる知人たちと共通の知人の消息について共有しあった。しばらくして、被災した調査地でネパールの友人たちが緊急対応とそのための募金活動を始めたことがわかった。嬉しかったし、自分のことのように誇らしかった。私も即座に日本で募金を開始し、集めたお金を彼らに送金した。災害をきっかけに、金銭的な援助という介入に踏み込むことになったのである。自分のスタンスを変えた契機となった災害や、その時の人々の動きにも興味がわき、ごみと並行して、震災と復興についても研究を始めた。

 研究者の現地社会への直接的な介入については多様なスタンスがある。震災を経て、私の立ち位置は少し変わったが、今でも疑問と怖さはある。それでも、震災を経て、ネパールに関わり続けたい、もっと知りたい、という思いは強くなった。今後も、悩みつつ関わっていきたい。

 ネパールを初めて訪れてから11年が経った。地震や政治の激動、出稼ぎ労働の増加、さらには現在まで続くコロナウイルス感染症流行などにより、ネパールは大きく変化し続けている。調査に赴くたびに、また、インターネットを通じて現地の情報に触れるたびに、新しい展開があり、知らないこと、もっと知りたいことが出てくる。きっとこれからもそうだろうと思う。

 青年海外協力隊でたまたま派遣された、というアレンジから始まった関係だが、どんどん新しい魅力が登場するネパールとそこに住む人々への思いは、ますます深まるばかりである。

フィールドワーク中の筆者(左)

フィールドワーク中の筆者(左)

ホームステイ先の屋上からヒマーラヤ山脈を望む

ホームステイ先の屋上からヒマーラヤ山脈を望む

募金を使って建てられた仮設小屋

募金を使って建てられた仮設小屋

震災後の調査地の様子

震災後の調査地の様子

書誌情報
伊藤さなえ「《エッセイ》ネパールと私」『《アジア・日本研究 Webマガジン》アジア・マップ』1, NP.2.01(2023年1月10日掲載)
リンク: https://www.ritsumei.ac.jp/research/aji/asia_map_vol01/nepal/essay01/