アジア・マップ Vol.01 | ネパール

読書案内

高道 由子(京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究科・特定助教)

一般向け
公益社団法人日本ネパール協会編.2020『現代ネパールを知るための60章』明石書店.
 本書は、地域の概要をわかりやすく一般読者向けに解説した入門書のシリーズのネパール版である。20世紀末のマオイストによる人民戦争から2015年憲法発布までの大変動の21世紀ネパールを対象とした本書は、政治、経済、開発、医療、教育、ジェンダー、信仰、暮らしと幅広い領域とトピックについて、研究者や開発実践者などがそれぞれの視角から執筆している。それ自体がネパールという地域に関わる人々の多様性を現している。
川喜田二郎.1960『鳥葬の国―秘境ヒマラヤ探検記』光文社.
 本書は、1958年に京都大学生物誌研究会と日本民族学協会の後援のもとに行なわれた、ドーラギリ峰北方の高原への探険の記録である。著者は本書を「遠征―その人間的記録」であると述べている。その言葉通り、チベット人の生き生きとした暮らしを知ることができるのはもちろん、調査中の隊員間の揉め事や現地の人々との人間関係までもが詳細に記されている。「人間関係の調整問題も、広い意味での研究技術にふくまれなければならない」という著者の主張は、データだけを忙しなく収集して満足するようなフィールド調査の姿勢に忠告を与えてくれる。
小倉清子.2007『ネパール王政解体―国王と民衆の確執が生んだマオイスト』NHKブックス.
 本書では、ネパールで2006年に王政が解体されるまでの過程が、ジャーナリストならではの生々しい筆致で描かれる。治安部隊の爆撃で死んだ若者の無惨な遺体を見て、著者は、彼らは何のために戦っているのだろうと問う。マオイストは勢力拡大に、人々の憎しみの感情を利用しているのではないかと疑問に思う一方で、身近な人の死を乗り越えるための怒りの置き場としてマオイストになる人々に共感を示す。ネパールでマオイストがいかに生まれ、拡大していったのか。危険と隣り合わせの取材の様子に読者は引き込まれてゆくだろう。
森本泉,田中雅子,藤倉康子,佐藤斉華,ティナ・シュレスタ,藤倉達郎,橘健一.2022「特集在日ネパール人の暮らし」『地理』(802.)
 本特集では、ネパールについて研究する執筆者が、在日ネパール人の暮らしについて取り上げている。教育現場での進路選択やネパール語翻訳、ネパールの教育が受けられるインターナショナル・スクール、留学生の就職などの各トピックに加え、在日ネパール人が急増する背景や、個々人に焦点を当てたライフヒストリーも収録されている。「自分とはずいぶん違うように見える人」の経験や暮らしの一端を知ることで、彼らをより具体的に想像し、共に生きるための手がかりになるはずだ。
ビセイ・ゲワリ著,田中雅子監訳・編著.2021『厨房で見る夢―在日ネパール人コックと家族の悲哀と希望』上智大学出版.
 日本に長年滞在しながら、多くの在日ネパール人の苦悩に耳を傾けたネパール人臨床心理士による一冊。日本では近年ネパール人が急増し、インド・ネパールレストランは地方都市でも見かける。しかし厨房でチーズ・ナンをつくるコックがどのように生きているか考えたことはあるだろうか。日本は移民にとっては生きやすい国ではない。制度的な問題だけでなく、移民は多くのスティグマを抱える。厨房にいる一人一人のコックの苦労のエピソードを読めば、共に生きる他者として何ができるかを考えさせられる。
学術書
名和克郎編.2017『体制転換期ネパールにおける「包摂」の諸相―言説政治・社会実践・生活世界』
 10年以上にわたる「内戦」が終結した2006年から憲法改正を巡る議論が続いていた2016年までのネパールにおける社会動態を、内戦後のネパール社会に浸透していった「包摂」という語をキーワードに捉えた論集である。自分が何者であり、何に包摂されるのか。各章では、アイデンティティの問題に留まらない、現代ネパールにおける「包摂」をめぐる状況が幅広い研究者によって現在進行形の事例として執筆されている。現代ネパールの「国民」とその内的多様性が理解できるだろう。
中川加奈子.2016『ネパールでカーストを生き抜く―供儀と肉売りを担う人々の民族誌』世界思想社.
 本書は、カトマンズ盆地の先住民族ネワールのいちカーストである「カドギ」という家畜の屠畜や肉売り、供儀をカーストの役割として行なう人々を対象とし、国家により「低カースト」と規定され差別に苦しめられてきた人々が、カーストという範疇にどのような意味を見出しているのかを問うている。著者が述べるように、スティグマをもたらす属性をカドギの人たちが巧みに生きぬく姿は、レッテル貼りに満ちた現代世界を生きる私たちに、スティグマから生の肯定の拠点を創り出すための道筋を照らしてくれる。
中村友香.2022『病いの会話―ネパールで糖尿病を共に生きる』京都大学学術出版会.
 本書は、ネパールにおける二型糖尿病患者を医療人類学の視点から取り上げている。生物医療の場では、病いの経験は必ずしも首尾一貫して語られず、患者以外の人たちが患者の経験について発言することもある。著者は病いを取り巻く「会話」に着目し、診察の場や日常生活における病いの経験の共有について丹念に記述している。「病院がない時はみんな一緒に生きるときは生きて、死ぬときは死んだ」という冒頭の老婆の言葉は、病気が一人の体に閉じ込められた社会を生きる我々に、「共にあること」の意味を問うてくる。
渡辺和之.2009『羊飼いの民族誌―ネパール移牧社会の資源利用と社会関係』明石書店.
 本書はヒマラヤ山地の羊飼いについての民族誌である。羊飼いは季節的に移動することで母村から遠く離れた外部社会と接触する。本書では牧畜の形態だけでなく、市場経済や国家政策の影響による外部社会の混乱と、それに対する羊飼いの対応過程についても詳細に検討されている。変化する村のなかで羊飼いの存在意義とは何なのか。羊飼いと通年を歩き通したフィールド調査がもたらした、羊飼い同士の社会関係と放牧地との関連性についての詳細なエピソードが興味深い。
南真木人,石井溥片編.2015『現代ネパールの政治と社会―民主化とマオイストの影響の拡大』明石書店.
 本書は、1996年から10年間続いたマオイストの武装闘争と政治に着目した論集である。「人民戦争」はなぜ起こり、広がりえたのか。その地域社会への影響と「人民戦争」後のネパールの行方が、文化人類学、政治学、地理学、地域経済学、ジャーナリズムを専門とする日本の執筆者とネパール人研究者による多角的で詳細な事例から描かれている。マオイストの台頭は経済面や格差の拡大から理由づけられがちであるが、本書からは意識面での覚醒の進行と人々の生活状況の乖離、地域社会ごとの状況の相違といった複雑な様相が窺える。

書誌情報
高道由子「ネパールの読書案内」『《アジア・日本研究 Webマガジン》アジア・マップ』1, NP.5.04(2023年3月16日掲載)
リンク: https://www.ritsumei.ac.jp/research/aji/asia_map_vol01/nepal/reading/