アジア・マップ Vol.01 | ネパール
ネパール21世紀年表 1999~2022年
伊東さなえ(日本学術振興会(RPD)/京都大学)
1999年 | |
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5月 | 第三回総選挙、ネパール会議派が過半数を占める。 |
12月 | インディアン航空814便(カトマンドゥ発、インド・デリー行き)のハイジャック事件、犯人らはカシミール闘争の指導者の釈放などをインド政府に要求。 |
外国雇用規則の制定、「安全な移住」を目指して人材派遣会社等への規制を定める。 | |
2000年 | |
8月 | 森総理大臣、ネパール訪問。 |
国家人権委員会の設立。 | |
2001年 | |
6月 | 王族射殺事件、王宮でビレンドラ国王夫妻をはじめとする王族10人が死亡。 |
6月 | ギャネンドラ国王即位。 |
8月―11月 | 1996年から武装闘争を行っていたネパール共産党(マオイスト)と政府の初の和平交渉、第1回停戦。 |
11月 | 和平交渉決裂、実質的な内戦状態に突入。 |
国勢調査の実施。 | |
2002年 | |
10月 | 国王による無血クーデター、国王親政、ギャネンドラ国王が下院を解散・デウバ首相を解任しチャンド首相を選任、閣僚も指名。 |
地方自治体長らの任期満了、マオイストの「人民戦争」が続いていたため、選挙を実施することができず、この後2017年まで地方自治体では権力の空白状態が続く。 | |
2003年 | |
1月 | マオイストが武装警察長官クリシュナ・モハン・シュレスタを殺害。 |
1~8月 | マオイスト第2回停戦。 |
2004年 | |
1月 | マオイストが各地に民族自治区を樹立。 |
4月 | ネパールがWTO(世界貿易機構)に加盟。 |
デウバ首相再就任。 | |
議会の任期満了、しかし選挙は延期され、内閣による直接統治が開始される。 | |
2005年 | |
2月 | 国王クーデター、ギャネンドラ国王がデウバ首相を再解任、「非常事態宣言」発令、政治家の軟禁、通信遮断、空港閉鎖、言論統制。 |
10月 | マオイストによる停戦表明。 |
11月 | マオイストと主要7政党が国王打倒・民主化に向けた協議を行い、十二項目の合意を決定。 |
2006年 | |
4月 | 第2次民主化運動(4月革命)。 |
5月 | ネパール会議派のギリジャ・プラサド・コイララ新内閣誕生、『下院宣言2006』可決、国王の特権はく奪、国名をネパール王国からネパールに変更。 |
11月 | 政府とマオイスト、「包括和平協定」調印、「人民戦争」の終結。 |
公的医療機関における一定の医療サービスの無償化。 | |
2007年 | |
1月 | 『暫定憲法』公布。 |
1月 | 国連ネパール政治ミッション(UNMIN)派遣。 |
国外雇用法改定。 | |
2008年 | |
4月 | 制憲議会選挙、マオイスト第1党、会議派第2党、UML第3党 いずれの党も単独で過半数を取ることはできなかった。 |
5月 | 連邦民主共和制へ移行、王制廃止。 |
7月 | ネパール会議派のラム・バラン・ヤダブ初代大統領選出。 |
8月 | マオイストと共産党の連立政権、マオイストのプスパ・カマル・ダハルを首相に選出。 |
国外雇用局及び国外雇用促進委員会の設置。 | |
2009年 | |
5月 | ダハル首相辞任、マオイスト下野。 |
5月 | 共産党(UML)・ネパール会議派連立政権、UMLのマダブ・クマール・ネパール首相選出。 |
マオイストが共産党を統合し、「統一ネパール共産党(マオイスト)」(UCPN(M))に改称。 | |
2010年 | |
5月 | 制憲議会の任期満了・任期を1年延長。 |
6月 | ネパール首相辞任、以降17回の首相選出投票。 |
2011年 | |
1月 | 国連ネパール政治ミッション(UNMIN)撤退。 |
2月 | 共産党(UML)・マオイスト連立政権、UMLのジャラ・ナート・カナル書記長を首相に選出。 |
5月 | 制憲議会任期を3か月再延長(2011年8月まで)。 |
8月 | カナル首相辞任。 |
8月 | マオイスト・統一マデシ人民戦線の連立政権、マオイストの副議長バブラム・バッタライを首相に選出。 |
8月 | 制憲議会任期を3か月再延長(2011年11月まで)。 |
11月 | マオイスト人民解放軍のネパール軍統合・除隊について四政党合意。 |
11月 | 制憲議会任期を6か月再延長(2012年5月まで)。 |
国勢調査が実施される。 | |
2012年 | |
4月 | マオイスト人民解放軍の宿営地のネパール軍への明け渡し。 |
5月 | バッタライ内閣閣僚辞職、挙国一致内閣設立。 |
5月 | 制憲議会失効・解散、バッタライ首相が制憲議会の延長を行わなかったため、制憲議会は憲法公布できないまま失効。 |
6月 | マオイスト分裂、モハン・バイデヤ派が「ネパール共産党(マオイスト)」(CPN(M))を結成。 |
2013年 | |
3月 | 四大政党、11項目合意。最高裁長官を議長とする暫定選挙政府(非政党員の元官僚11大臣による内閣)を設置。 |
3月 | 暫定選挙政府発足、バッタライ首相は実質的に辞任、暫定選挙政府の議長(首相に相当)に最高裁長官、キル・ラージ・レグミ就任。 |
11月 | 第2回制憲議会選挙、会議派第1党、UML第2党、マオイスト第3党 いずれの党も単独で過半数を取ることはできず。 |
2014年 | |
2月 | ネパール会議派・共産党(UML)連立政権、ネパール会議派のスシル・コイララ党首を首相選出。 |
10月 | 中部の山岳地帯で大規模な吹雪と雪崩が起き、トレッキングに来ていた観光客を含む多数の死傷者。 |
2015年 | |
4月 | ネパール大地震、マグニチュード7.8の大地震が発生、国内の広い範囲に大きな被害をもたらす。 |
9月 | 新憲法制定・発布。 |
9月~翌年2月 | マデシによる反憲法・反政府闘争、インド・ネパール国境封鎖。 |
10月 | 初の女性下院議長であるO.G.マガル(統一共産党マオイスト)就任。 |
10月 | 初の女性大統領B.D.バンダリ(UML)就任。 |
滞日外国人に占める割合としてネパール人がインドネシア人、タイ人、アメリカを上回り、第6位となる。 | |
2016年 | |
4月 | 国民健康保険プログラムの開始。 |
7月 | 女性初の最高裁長官S.カルキ就任。 |
教育基本法の改正及び新学校制度への移行、5-3-2-2制から8-4制に移行、また基礎教育(1年生~8年生)が無償の義務教育になる。 | |
2017年 | |
3月 | ネパール投資サミット。 |
5月 | 地方統一選挙、1997年以来20年ぶりに行政市・行政村および地区の長を選ぶ選挙が実施される。 |
10月 | ムルキ・アイン法典の廃止、民法・民事訴訟法・警報・刑事訴訟法・量刑法が新たに制定される。 |
12月 | 下院選挙、UML第1党、会議派第2党、CPN-MC第3党。 |
12月 | 州議会選挙、7州中6州でUMLが第1党。 |
2018年 | |
2月 | 上院議員選挙、UML第1党、会議派第2党、CPN-MC第3党。 |
ネパールを訪れる外国人旅行者数が年間100万人を突破。 | |
2019年 | |
3月 | 日本とネパール間で特定技能にかかる協力覚書が交わされ、14職種で特定技能外国人としてネパール人を日本に受け入れることが決定される。 |
4月 | 伝統的互助組織であるグティ関連法の改正案の提出、ただし、すべてのグティの国有化や規制強化が盛り込まれていたことから大規模な反対運動が起こり、後に撤回。 |
12月 | 第13回南アジア競技大会開催、カトマンドゥ、ポカラで10日間にわたり開催。 |
2020年 | |
3-7月 | コロナウイルス感染症の流行に伴う第1回目の外出禁止令の発令(全国)。また、観光客が激減し、経済に大きな打撃。 |
3月 | Visit Nepal 2020のキャンペーンがコロナウイルス感染症の流行に伴い中止。 |
モンスーン期に洪水・地滑りの被害が多発。 | |
アメリカによる新たな開発援助スキームであるMCCコンパクトの電力関連プロジェクトの開始。 | |
2021年 | |
3月 | 首都カトマンドゥ周辺での大気汚染レベルが非常に高くなり、学校が4日間休校になる。 |
4月 | コロナウイルス感染症の流行に伴う第2回目の外出禁止令(首都近郊)。 |
7月 | ネパール会議派のシェル・バハドゥル・デウバが首相に就任。 |
出稼ぎ労働者らによる送金の総額が急増、国内総生産の22.5%に達する。 | |
2022年 | |
5月 | 新憲法下で二回目となる地方総選挙。 |
7月~ | 最終処分場をめぐる問題(廃棄物輸送路の整備不足、現地住民の反対運動等)が激化、首都カトマンドゥにおけるゴミ問題が深刻化。 |
11月 | 議会及び州議会選挙。 |
書誌情報
伊藤さなえ「ネパール21世紀年表 1999〜2022年」『アジア・マップ:アジア・日本研究Webマガジン』Vol.1, NP.3.02 (2023年1月10日掲載)
リンク: https://www.ritsumei.ac.jp/research/aji/asia_map_vol01/nepal/timeline/