アジア・マップ Vol.01 | オマーン

《読書案内》

大川 真由子(神奈川大学国際日本学部・教授)

【研究書】
オマーンという地域を専門とする日本人研究者(人文社会科学)は極めて少なく、したがって日本語で読める研究書も限定的である。
大川真由子 『帰還移民の人類学――アフリカ系オマーン人のエスニック・アイデンティティ』明石書店、2010年
本国オマーンの領土拡大に伴い、19世紀初頭以降、属領東アフリカに渡ったのち、近代化の始まる1970年代に本国に戻った人びとのエスニック・アイデンティティに着目した人類学的研究。スワヒリ語を話し、アフリカ人との混血も多い彼らのアイデンティティは、経験や記憶(歴史認識)、名づけ/名乗り、血や言語、系譜意識、エスニシティの問題が複雑に絡みあいつつ構築されていることが明らかにされている。日欧の引揚者など帝国内を移動していた人びと(帰還移民)  との比較研究も視野に収められた研究である。 
松尾昌樹 『オマーンの国史の誕生――オマーン人と英植民地官僚によるオマーン史表象』御茶の水書房、2013年
今日のオマーンでは、18世紀半ばマスカトを首都として成立した世俗・世襲のスルターンを戴く現王朝ブーサイード家を正当な支配者とみなす「マスカト史観」が一般的だが、かつてはイバード派の教義に基づき選出されたイマームを正当な指導者とし、それ以外を圧制者とみなす「イマーム史観」が存在していた。著者は今日のオマーンの国史の根幹をなす「マスカト史観」が実は英植民地官僚によって構築されたということを、オマーン人による歴史叙述とイギリス外交史の資料などを渉猟することで実証している。
近藤洋平 『正直の徒のイスラーム』晃洋書房、2021年
イスラーム少数派のイバード派に関する日本語初の専門書。著者はアラビア語原典資料に基づき、前近代のイバード派の世界観や集団の規律、さらには統治体制の検討からイバード派の集団としての特質を明らかにしている。少数派であるがゆえに、派内の逸脱行為に対しては穏健な措置をとって共同体維持に努め、他宗派に対しても柔軟で寛容な姿勢を維持してきたという彼らの特質は、自称でもある「正直(せいちょく)の徒」という語にも現れている。オマーンはそのイバード派が国民の過半数を占める世界唯一の国である。
アブドゥッラフマン・アル・シェッヒー 『現代オマーン文学選集』オマーン文化協会運営委員会、2022年
オマーン人による文学作品や戯曲、論考など計21作品のダイジェスト版が収められ、うち6作品は女性著述家によるものである。本著は、オマーン人作家やその著作を紹介すべく、各言語へ翻訳するという国家事業の一環で、その巻頭を2019年にアラブ女性では初めてマンブッカー賞を受賞したジューハ・アル・ハーリスィーの作品が飾る。あまりなじみのないオマーン人著述家や作品の多様さに驚くとともに、そこに描かれるオマーン文化の多様性も味わい深い。
【一般書】
松尾昌樹(編)『オマーンを知るための55章』明石書店、2018年
明石書店「エリア・スタディーズ」の一巻。自然・地理/歴史/政治と経済/宗教と民族、社会と文化、の4つの章から成る。クウェートやUAEといった他の湾岸諸国と十把一絡げにされがちだが、オマーンは自然、歴史、文化などの面で異彩を放つ。世界中の地質学者が注目するオフィオライト、海洋帝国として広大な領土を有していた知られざる歴史、アラブ・ペルシャ・インド・アフリカ文化が融合した社会やイスラームの超少数派イバード派の存在など、研究者が読みやすい文章でオマーン独自の魅力を伝えている。
加藤淳平 『ホルムズ海峡の南――オマーン大使からの便り』朝日新聞社、1987年
著者は、パリ勤務を捨て、アラブ・ナショナリズム高揚期のエジプト大使館で勤務したのち、自ら中東勤務を志願し在オマーン初代日本大使となった異色の人物。当時朝日新聞カイロ支局長だった牟田口義郎や在外研究員だった板垣雄三とも交流していた。1983年~86年の在任中の私信をまとめたものだが、欧米経由の中東理解に警鐘を鳴らしつつ、批判精神をもってオマーンでの日常を綴っているのは、異文化理解の難しさを十分理解した著者ならでは。序文を執筆した牟田口の言を借りれば、「節度ある文体は読んで快い」。
遠藤晴男 『オマーン見聞録――知られざる日本との文化交流』展望社、2009年
著者はJICA専門家としてオマーン滞在経験をもつ一方、長年にわたる日本とオマーンの文化交流への尽力を認められ、日本人で初めてカブース国王勲章を受章した人物。本著は、オマーンへの恩返しをすべく、「市井の一中東研究者」と自称する著者が資料を駆使しながら書き上げた、ヒト・モノ・文化をめぐるオマーンと日本の交流史である。オマーンは遠いようでいて、意外と日本との共通点が多いこともわかる。
江村彩子 『アラビア海を越えてオマーンにようこそ――中東にこんなに平和で美しい国がある』(三訂新装版)東京図書出版会、2015年
オマーンの日本人補習授業校教員時代を含め、10年以上にわたりオマーンに滞在した女性によるエッセイ。著者のように、オマーンに魅せられた日本人は多く、訪問記・滞在記はいくつかあるが、本著はまだ日本人滞在者が比較的少なかった1990年代のオマーン社会の様子、とりわけ女性だけが入ることの許される家庭事情や結婚式の様子が書かれている点で貴重である。初版は2000年だが、新装版には12年ぶりにオマーンを再訪した際のエッセイも追加されている。
スワーダ・アル・ムダファーラ 『砂漠に創った世界一の学校――学力世界ナンバーワンの生徒を育てた日本人女性校長、涙のビジネス戦記』アスペクト、2009年
オマーン人との結婚を機に、日本人女性として初めてオマーン国民になったのち、小中高一貫の私立学校を創設した校長先生の奮闘記。日本式教育を取り入れた学校は、オマーンのみならず世界的にもトップクラスの生徒を輩出するまでに成長した。教育者というよりは実業家の面も垣間見えるが、資金繰りなど数々のトラブルも乗り越え、異国の地で夢に向かってひた走る、その高い志と行動力には見習うべき点もあるように思われる。

書誌情報
大川真由子「オマーンの読書案内」『《アジア・日本研究 Webマガジン》アジア・マップ』1, OM.5.04(2023年3月22日掲載)
リンク: https://www.ritsumei.ac.jp/research/aji/asia_map_vol01/oman/reading/