アジア・マップ Vol.01 | オマーン
オマーン年表
松尾昌樹(宇都宮大学国際学部・教授)
紀元前2世紀頃 |
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アラブ人のオマーンへの移住 |
7世紀前半 |
オマーンのイスラーム化 |
8世紀半ば |
イバード派政権の樹立 |
1329年 |
イブン・バットゥータがオマーン訪問 |
1507年 |
アルブケルケがペルシャ湾に到来。オマーン沿岸部に進出開始。 |
1588年 |
ポルトガル、マスカトにジャラーリー要塞とミーラーニー要塞を建設。 |
1624年 |
ヤアーリバ朝成立。 |
1643年 |
ヤアーリバ朝がポルトガルからソハールを奪取。 |
1650年 |
ヤアーリバ朝がポルトガルからマスカトを奪取。 |
18世紀半ば |
ブー・サイード朝成立 |
1798年 |
ブー・サイード朝、イギリス東インド会社と友好条約締結。 |
1800年 |
イギリス東インド会社のレジデンシーがマスカトに設置される。 |
1832年 |
ブー・サイード朝の君主、サイード・ビン・スルターンがザンジバルに移住。 |
1856年 |
英領インド政府の介入により、ブー・サイード朝の領土をザンジバルとオマーンに分離。 |
19世紀末 |
イギリスの事実上の保護国となる。 |
1920年 |
内陸部のオマーン・イマーム国と、海岸部のマスカト・スルタン国の間で相互不可侵をうたう「スィーブ条約」が締結される。 |
1935年 |
退位したタイムール・ビン・ファイサルが日本訪問。大山清子と出会い、神戸で生活して一女をもうけたのち、帰国。 |
1950年代 |
内陸部の石油利権をめぐり、オマーン・イマーム国とマスカト・スルタン国の間で「アフダル戦争」勃発。イマーム国の事実上の崩壊。 |
1960年代 |
オマーン南部で反体制共産主義勢力が武装蜂起し、「ドファール戦争」勃発。イギリス軍の介入で沈静化。 |
1970年 |
カーブースがクーデタによって即位。オマーン・スルターン国が成立。 |
1981年 |
国家諮問評議会設置。 |
1991年 |
諮問評議会設置。諮問評議会選挙開始。 |
1997年 |
国家議会設置。二院制の開始。 |
2000年 |
21歳以上普通選挙制の導入。 |
2020年 |
カーブースの死去に伴い、その従兄弟のハイサム・ビン・ターリクが即位。 |
書誌情報
松尾昌樹「オマーン年表」『アジア・マップ:アジア・日本研究Webマガジン』Vol.1, OM.3.03(2023年1月10日掲載)
リンク: https://www.ritsumei.ac.jp/research/aji/asia_map_vol01/oman/timeline/