アジア・マップ Vol.01 | パキスタン

《総説》
パキスタンという国

須永 恵美子(東京大学附属図書館U-PARL・特任研究員)

パキスタンの概要
 パキスタンは1947年8月14日に独立した国家で、正式な国名はパキスタン・イスラーム共和国Islamic Republic of Pakistanという。首都はイスラマーバードである。

 面積は79万6095㎢で、日本の約二倍である。南アジアの北西に位置し、東側にインド、北西をアフガニスタン、南西をイラン、北を中国と国境を接している。北東部のカシュミールは、現在もインドと係争中である。国土の北にはカラコラム山脈がそびえ、南はアラビア海に面しており、パンジャーブ州の平野部、スィンド州の砂漠地帯と地形は多様性に富んでいる。パンジャーブ州からスィンド州にかけてインダス川が氷河の雪解け水を運び、平野部ではこの水を使った大規模な灌漑がおこなわれている。モンスーンの季節にはインダス川があふれて土壌を肥沃にしている一方で、2010年や2022年には大規模な洪水が起きて甚大な被害も出ている。

 独立以来、連邦制であり、人口の多い順にパンジャーブ州、スィンド州、ハイバル・パフトゥーンフワー州(旧北西辺境州、2010年に現州名に変更)、バローチスターン州と、首都連邦区からなる。4州の州都はそれぞれラホール、カラチ、ペシャーワル、クエッタである。各州には州議会が置かれている。北方地域およびアーザード・ジャンムー・カシュミールはインドとの係争地域と位置付けられ、暫定的にパキスタンの管理下にある。

 独立当初、首都は最大商都のカラチに置かれていた。1960年代にイスラマバードを整備して首都を移転した。また、ラホールは、ムガル朝時代から続く古都である。パンジャーブ州のスィアールコートには、サッカーボールやクリケットなどのスポーツ用品、医療機器の工場が集まっている。

 国家の政治体制は二院からなる連邦議会制で、イギリス式の議会制民主主義を継承している。建国以来、軍政権下にあった時代が長く、2002年より民政移管されているものの、現在まで軍の影響力は広範囲に及ぶ。官僚支配が強く、政党政治は未発達である。また、イスラーム勢力の政治への影響力は限定的で、宗教系の政党は複数あるものの、議席数は多くない。宗教政党は、為政者と民衆の間で政治権力を監視する機能を担っている。

 パキスタンの国旗には、イスラームのシンボルである月と星が描かれており、緑はイスラームを、白い部分はマイノリティである他宗教を表す。国名にもイスラームとつく通り、国の97%をムスリムが占め、憲法で国教をイスラームと定めている。ムスリムの多くはスンナ派のハナフィーで、シーア派住民も2割~3割いる。北方地域にはシーア派系のイスマーイール派が集住している。神との合一を目指すスーフィズムの思想的影響が大きく、聖者崇拝の伝統が各地に残っている。聖者の恩寵(バラカ)を受けるため、聖者廟には宗教を問わず参詣客が訪れ、布や花を捧げている。

 国教の規定はあるものの、個人の信教の自由は憲法に明記されており、ヒンドゥー教徒、キリスト教徒、パールシー(ゾロアスター教)なども信仰されている。キリスト教徒はパンジャーブ州に、ヒンドゥー教徒はスィンド州に多い。宗教マイノリティは国や州政府の議会において議席が留保されている。

 パキスタンの建国時から経済成長を支えてきたのが財閥と呼ばれるビジネス・グループで、ハビーブ家やダウード家といった22家族が民間の工業化を推し進めてきた。日本車のシェアが非常に高い自動車業界を見ても、トヨタ自動車とハビーブのインダス・モータース、ホンダとアトラス財団のアトラスホンダなど、日本企業と現地の財閥との合弁企業がいくつも名を連ねている。財閥は中央政治とも強い結びつきがあり、財閥に富や権力が集中することへの批判もある。

 主要産業は農業と繊維業である。主要農作物は主食である小麦の他、コメ、綿花、サトウキビであり、多くはパンジャーブ州からスィンド州の平野部で耕作されている。農村では大土地所有者が在地権力として在地管理だけではなく、地方の政治や社会体制を支配している。

 人口については、パキスタン政府統計局Pakistan Bureau of Statisticsが、統計を発表している。1951年に初めての国勢調査(Census)が行われてから、現在は、10年ごとに統計局の管轄で調査が実施されている。2017年センサスによると、全国の人口は2億768万人である。そのうち1億3千万人が農村部に、7500万人が都市部に居住している。2009年よりトランスジェンダー(第3の性)の権利が広く認められるようになり、初めて統計の取られた2017年センサスでは2万1774人であった。

 パキスタンは多民族国家であり、主要な民族としてはパンジャービー、スィンディー、パシュトゥーン、バローチがあげられる。とりわけ、北インドから移住してきたウルドゥー語話者の住民はムハージルと呼ばれている。言語としてはインド・ヨーロッパ語族インド語派のパンジャービー語、スィンディー語、ウルドゥー語、インド・ヨーロッパ語族イラン語派のパシュトー語、バローチー語が主要な言語である。この他に、数十の少数言語があり、スィンド州とパンジャーブ州にまたがるサラーエキー語や、ドラヴィダ語族のブラーフィー語、北方地域では言語系統不明のブルシャスキー語が話されている。話者数が極めて限られている絶滅危惧言語も多数含まれる。憲法ではウルドゥー語が国語、英語が補助的な公用語として定められており公官庁やビジネスでは英語が広く使用されている。国語であるウルドゥー語の母語話者人口は国民の8%程度である。

 外交で重要視されているのは対インド関係であり、独立以来緊張が続いている。最大の懸念がムスリム多住地域で、かつ水利権で重要なカシュミールである。パキスタンとインドは三度の戦争を行っており、直接カシュミールを巡って争った1948年の第1次、1956年の第2次に加え、東パキスタンの独立を争った1971年の第3次戦争でも、カシュミールが戦場となった。現在も両国ともにカシュミールに多くの軍を配置している。

 パキスタンは独立時、インドを挟んで東西1800㎞の両翼に分かれた飛び地国家であった。ベンガル人、ベンガル語話者が多数を占めた東パキスタン州は、建国時より民族的・言語的・文化的に西パキスタンと距離があった。経済的・政治的軋轢も加わり、第3次インド・パキスタン戦争の末、1971年にバングラデシュとして独立した。

 中国とは近年特に経済面で密接な関係にある。中国主導の巨大経済圏構想である「一帯一路」の一環として、パキスタンの北部から南のグワダル港まで、2700㎞にわたる中パ経済回廊(CPEC: China-Pakistan Economic Corridor)という巨大なインフラ整備事業が進行中である。ほかにも、対テロ関係でアメリカとの関係、大量のアフガン難民を抱える国としてアフガニスタンとの関係が重要視されている。

 教育制度は5年生までの初等教育と、10年生までの中等教育が義務教育期間となっている。農村部の女子教育の普及が課題で、男女の識字率の格差が大きい。一方、都市部では私立学校を中心に英語教育が盛んであり、就学前教育から大学教育まで、受験戦争も過熱している。初等教育において基本となる科目は英語、数学、ウルドゥー語、イスラーム学である。

 義務教育においては、地域や児童の母語を問わず、ウルドゥー語が教育言語であり、一部には英語を教授言語として使用する英語学校(English Medium School)もある。大学など高等教育では英語が使用され、公務員試験も英語で実施されるなど、英語が偏重されている。

 通貨はパキスタン・ルピー(PKR、一般的な表記はRs.)であり、1パキスタン・ルピーは0.68円(2022年)である。現在は5ルピー硬貨と2008年に発行された10、20、100、500、1000、5000ルピーの新紙幣が使われている。

8月14日の独立記念日に向けて路上で売られるパキスタンの国旗(2013年、カラチ、筆者撮影)

8月14日の独立記念日に向けて路上で売られるパキスタンの国旗(2013年、カラチ、筆者撮影)

ムガル朝時代に建設されたバードシャーヒー・マスジッド。金曜礼拝の際には写真手前の中庭に多くの人が集って祈る(ラホール、2019年、筆者撮影)

ムガル朝時代に建設されたバードシャーヒー・マスジッド。金曜礼拝の際には写真手前の中庭に多くの人が集って祈る(ラホール、2019年、筆者撮影)

ガバメントカレッジ大学のメインキャンパス。イギリス支配下にあった1864年に創立。建物は当時のものが使われている。(ラホール、2014年、筆者撮影)

ガバメントカレッジ大学のメインキャンパス。イギリス支配下にあった1864年に創立。建物は当時のものが使われている。(ラホール、2014年、筆者撮影)

書誌情報
須永恵美子「《総説》パキスタンという国」『《アジア・日本研究 Webマガジン》アジア・マップ』1, PK.1.01(2023年7月18日掲載)
リンク: https://www.ritsumei.ac.jp/research/aji/asia_map_vol01/pakistan/country/