アジア・マップ Vol.01 | カタル

《エッセイ》
カタルと私

千葉悠志(公立小松大学国際文化交流学部・准教授)

 筆者が初めてカタルを訪れたのは2011年2月12日、ちょうど「アラブの春」でエジプトのムバーラク政権が崩壊した翌日のことであった。筆者は当時、中東の放送メディアのことを調べており、博士論文を仕上げるにあたってカタルの国際放送局アルジャズィーラにどうしても訪問したかったのである。ただ、この時は「アラブの春」の熱狂が頂点に達していた時期であったため、放送局のほうも忙しくて十分に対応してくれないのではないかと一抹の不安もあった。だが、職員の方は敷地内の施設を、時間を割いて案内してくれたほか、インタビューにも丁寧に答えてくれた。画面越しに見ていたスタジオを実際に見て回れたことはもちろん嬉しかったのだが、それ以上に、その親切な対応が印象に残った。このときに、彼らがチュニジアやエジプトの「革命」をどのような気概をもって報じていたのか、また「アラブの春」をいかに見ていたのかなどについての貴重な証言も得ることができた。

 アルジャズィーラは1996年に、ハマド前国王のイニシアティブによってつくられた放送局である。開局以来、中東関連の報道でスクープを連発し、域内での知名度を確立した。さらに、米同時多発テロ事件(2001年9月)以降は、ビン・ラーディンやアフガニスタン・イラク戦争関連の報道によって世界的にも知られるようになった。2011年1月にチュニジアのベン・アリー政権が倒れ、その余波が他国に及びつつあった頃、筆者はちょうどエジプトに滞在していた。旅程の都合上、政権が倒れる前に出国せざるを得なかったが、それまでの滞在中、現地で「今、何が起きているのか」を知るには、アルジャズィーラを見るのが手っ取り早く、カフェなどに置かれたテレビでも常時アルジャズィーラが流されていた。現場からの取材・報道の徹底は、開局から現在まで貫かれてきたアルジャズィーラの社是である。最近のロシアによるウクライナ侵攻をめぐっても、アラビア語のチャンネルを中心に、その動向を逐一報道しており、その現場からのリポートはロシアやウクライナの公式報道の検証に一役も二役も買っている。

 もっとも、こうしたアルジャズィーラの姿勢が、常に「不偏不党」「中立」であったわけではない。設立の背景には、国際放送局の設立を通じて、国際世論への訴えかけの手段を獲得したり、国際的な存在感を高めたりするというカタル政府の政治的思惑があった。「アラブの春」でも、エジプトやリビアの特定の勢力に肩入れした報道を連発したことで、顰蹙を買うこともあった。アルジャズィーラが国際的な放送局であり続けられる背景には、それを支える大勢の優秀な職員の存在があるが、彼らを雇用し続けるための資金は、カタルの国庫から支出されている。なぜ、カタルがそれだけの資金をアルジャズィーラにつぎ込むかと言えば、それが国益に適うという確信があるからである。最近では、報道機関のアルアラビー・アルジャディードや、スポーツメディアのBeINなど、アルジャズィーラ以外の有名メディアも育ちつつある。これらはすべてカタルの「力」を高めることに寄与している。

 さて、ここまでアルジャズィーラのことを中心に述べてきたが、もう少し視野を広げてカタルのことにも触れてみたい。というのも、筆者はこれまでの研究を通じて、メディア、さらには技術というのが、それが置かれた文脈によって、そのあり方や使われ方が違ってきたり、規定されたりしていることを強く意識するようになったためである。アルジャズィーラがなぜ中東で人気を博したかといえば、その報道が優れているからに他ならないのだが、さらに根底には衛星放送として流されている番組を受信できる社会的、視聴覚的基盤が中東に築かれているからである。それでは、なぜ衛星放送がそれほどまでに普及したかと言えば、権威主義体制下が広がる中東では、「自由な情報」への渇望が存在したことが大きいだろう。メディアを見ていくうえでは、その地域の政治・経済・社会・宗教・文化などを広く見ていく必要があるというのが筆者の考えである。カタルのメディアをできるだけ実感を伴うかたちで知るためには、やはり現地を色々と見て回らなくてはならない。

 したがって、カタルに滞在する際には、メディアに直接関係するところだけでなく、それ以外の部分も含めて色々と国内を見て回るようにしている。それは、カタルの自然地理であったり、開発の現場であったり、さらにはそこで働く出稼ぎ労働者たちの様子であったりする。例えば、2017年にカタルに滞在した際には、2022年のFIFAのワールドカップに向けて、会場の建設が急ピッチで進められており、南アジアや東南アジアから来たであろう労働者たちがせっせと働いていた。建設現場に限らず、カタルの発展を支える縁の下の力持ちは、こうした他国からの労働者たちである。同時に、彼らが人口の大半を占めるカタルには、どこかコスモポリタンな雰囲気を感じることができる。カタルという中東の小国の放送局であるはずのアルジャズィーラが、なぜ世界的に台頭することができたのか。それを理解するための手掛かりは、実はこんなところにも見つけられるのではないかと思われる。

アルジャズィーラ放送局の外観。(2011年2月13日、筆者撮影)

アルジャズィーラ放送局の外観。(2011年2月13日、筆者撮影)

建国記念日のポスター(右が現在のタミーム国王、左がその父であるハマド前国王)(2017年2月7日、筆者撮影)

建国記念日のポスター(右が現在のタミーム国王、左がその父であるハマド前国王)(2017年2月7日、筆者撮影)

2022年のFIFAワールドカップに向けて建設が進められるスタジアム(2017年2月5日、筆者撮影)

2022年のFIFAワールドカップに向けて建設が進められるスタジアム(2017年2月5日、筆者撮影)

書誌情報
千葉悠志「《エッセイ》カタルと私」『《アジア・日本研究 Webマガジン》アジア・マップ』1, QA.2.01 (2023年1月10日掲載)
リンク: https://www.ritsumei.ac.jp/research/aji/asia_map_vol01/qatar/essay02/