アジア・マップ Vol.01 | サウディアラビア

《総説》
サウディアラビアという国

保坂 修司(日本エネルギー経済研究所・理事・中東研究センター長)

【国名】サウジアラビア王国(al-Mamlaka al-‘Arabīya al-Su‘ūdīya / Kingdom of Saudi Arabia)。国名は「サウード(スウード)家のアラビア王国」を意味する。

【国土】アラビア半島の大半を占め、面積は約215万平方キロメートル。北はクウェート、イラク、ヨルダンと、西はバハレーン、カタル、アラブ首長国連邦(UAE)と、南はオマーン、イエメンと国境を接している。ペルシア湾に面した東側と紅海に面した西側は高温多湿、中央部は高温乾燥地帯、国土の大半は平坦な砂漠地帯だが、南部から西部にかけて山岳地帯がある。とく西部は火山地帯でもある。

【人口】3410万人(うちサウジ国籍保有者は63.6%(2021年サウジ総合統計庁推計))。

【言語】公用語はアラビア語だが、方言では東部州では湾岸方言、中央部ではナジュド方言、西部ではヒジャーズ方言というようにわかれている。なお、都市部では英語も広く通じる。

【民族構成】サウジアラビア国籍を有するものの大半はアラブ系だが、アフリカ系、中国系、インド系、東南アジア系、中央アジア系も少なくない。彼らは元奴隷だったり、巡礼できて、そのままいついてしまったり、祖国がイスラームを弾圧したため、亡命してきたりなどさまざまな出自をもつ。また、アラブ、南アジア、東南アジア、アフリカからも多くの外国人労働者がきている。

【宗教】国教はイスラームで、スンナ派が多数を占める。サウジアラビア版のイスラームはしばしば「ワッハーブ派」と呼ばれるが、これは他称で、18世紀のハンバリー派イスラーム法学者、ムハンマド・ビン・アブドゥルワッハーブの名にちなむ。彼の考えかたが大きな影響力をもったため、サウジアラビアではスンナ派公認法学派のなかでもハンバリー派が支配的になった。宗教イデオロギーとしては、他称としてのワッハーブ派のほか、サラフィー主義やムワッヒドゥーン(唯一神信仰の徒)なども用いられる。
 シーア派は20%程度、あるいはそれ以下と推定され、もっとも多い12イマーム派が東部州に集中しているほか、マディーナ州に小さなコミュニティーがある。さらに、ナジュラーン州など南部にはイスマーイール派やザイド派が存在する。スンナ派が多数を占めるなか、シーア派はしばしば差別や迫害の対象になった。また、外国人労働者にはキリスト教徒、ヒンドゥー教徒等がいる。
 サウジアラビアの最高宗教権威は最高ウラマー会議と総ムフティー(学術研究・ファトワー恒久委員会委員長)で、総ムフティーはハンバリー派法学者がなるのが慣例だが、最高ウラマー会議にはそれ以外の法学派が含まれることもある。日常でヒジュラ暦が用いられたり、イスラーム法が大きな役割を占めたりするなど、宗教が社会生活の多くに影響を与えている。かつては、女性の自動車運転が禁止されたり、映画館がなかったり、音楽や絵画が忌避されたりなど、サウジアラビア独自のイスラーム法解釈が生活や文化を規定していたが、近年はこうした「宗教的な」規制は徐々に解除されるようになった。

【政治】君主制で、国家元首は国王、王位は初代国王アブドゥルアジーズの子孫に継承され、サルマーン現国王まで代々初代国王の息子が王位に就いている。首都はリヤード。憲法はクルアーンと預言者ムハンマドのスンナとされるが、事実上の憲法に相当するものとして「統治基本法」がある。統治基本法では首相は国王とされるが、現在(2023年1月現在)は、皇太子が首相の地位にあり、外相、内相、国防相、州知事など基幹的なポジションは、傍系を含め王族であるサウード家メンバーが占めることが多い。また、ムハンマド・ビン・アブドゥルワッハーブの子孫であるアールッシェイフ家が宗教関連機関で重要な地位を占めている。民主主義的な議会は存在しないが、それに相当するものとして、また、選挙で選ばれるものとしては、地方評議会がある。
 外交面ではアラブ諸国・イスラーム諸国との関係を重視するが、安全保障や経済・エネルギー・貿易等では欧米やアジア諸国とも緊密な関係をもっている。他方、非民主的な政体や人権状況から、西側諸国から批判されることも少なくない。

【経済】石油の輸出収入が歳入の多くを占め、政府サービスの多くがそこから支出される、いわゆるレンティア国家。石油埋蔵量・生産量・輸出量はいずれも世界最大級で、中東の経済大国としてG20メンバーにもなっている。石油依存や外国人労働者への依存からの脱却を図り、非石油収入の拡大や労働力の自国民化政策を進めており、2016年には「サウジ・ビジョン2030」を発表、スポーツやエンターテインメント、観光など新しい分野の産業を育成し、同時に宗教的な制約を緩和するようになった。また、気候変動の元凶として石油や天然ガスへの風当たりが強まるなか、2060年までのカーボンニュートラル達成を宣言、再生可能エネルギーや原子力発電などへのエネルギー転換を進めている。
 石油が最大の輸出品であり、主な輸出先は中国やインド、日本等である。日本は現在、原油の約4割をサウジアラビアから輸入している。輸入では中国が大きな地位を占めている。なお、通貨はリヤールで、対ドル・ペッグ制をとっている。

【歴史】サウジアラビアの公式の歴史では、サウジアラビアの建国は1727年2月22日に遡る。これは、サウード家の祖とされるムハンマド・ビン・スウードがアラビア半島中央のナジュド地方ディルイーヤの支配者(アミール)になった年である(異説あり)。2022年1月、サウジアラビアはこの日を建国記念日の休日とした。
 一方、1738年ごろ、ディルイーヤの北にある町、フレイミラーでハンバリー派法学者のムハンマド・ビン・アブドゥルワッハーブが宗教改革運動を開始した。彼は13世紀から14世紀に活躍したハンバリー派法学者、イブン・タイミーヤやその弟子、イブン・カイイム・ジャウジーヤの影響を受け、クルアーンやスンナを字義どおりに解釈し、実践することを唱えた。そして、当時のアラビア半島に民衆のあいだに広がっていた、聖者信仰や聖樹崇拝等の風習を、クルアーンやスンナに依拠しない新奇なもの(ビドア)として排斥、預言者ムハンマドおよびその教友たちの時代への回帰を主張した(この教えがいわゆる「ワッハーブ派」とされる)。
 彼の教えは、大きな反発も受けたが、ナジュド地方の有力者に支持されていく。とくに1744年にはディルイーヤの領主、ムハンマド・ビン・スウードが彼の教えを受け入れ、その教えを遵守、広布し、その代わりにムハンマド・ビン・アブドゥルワッハーブが領主に統治の正統性を与えるという、いわゆる「ディルイーヤの盟約」を結んだ。なお、盟約が結ばれた時期については異説があるものの、かつては、この盟約を第1次サウード王国(第一次ワッハーブ王国とも)の起源とする説が有力だった。
 いずれにせよ、ディルイーヤの盟約は、サウジアラビアの歴史の重要な転換点となった。この盟約後、ムハンマド・ビン・スウードおよびその後継者たちは、ワッハーブ派の教えを広めるため、周辺地域や部族に聖戦(ジハード)をしかけ、領域を拡大し、イスラームの2大聖地、マッカとマディーナを含むアラビア半島の多くを支配下に置いた。
 しかし、この急速な拡大を受け、イスラーム世界の盟主であったオスマン帝国はサウード家討伐の軍をエジプトから派遣、1818年にディルイーヤを陥落させ、これによって第1次サウード王国は滅亡した。
 サウード王国はその後、1824年にディルイーヤの南に位置するリヤードを首都に復活する(第2次サウード王国)が、サウード家の内訌で弱体化し、1891年にシャンマル族のラシード家に敗れて崩壊、サウード家の当主だったアブドゥッラフマーンと息子のアブドゥルアジーズはクウェートに亡命した。
 そのアブドゥルアジーズは1902年にラシード家からリヤードを奪還、第3次サウード王国を復興する。その後、アブドゥルアジーズはワッハーブ派の信仰を基盤とする半農半軍のイフワーン(同胞)組織を使って、領土を拡張、ペルシア湾岸のハサー、マッカ・マディーナを含むヒジャーズを占領し、「ヒジャーズとナジュド王国(Mamlaka al-Ḥijāz wa Najd)」を樹立、1932年9月23日に現在の国名、「サウジアラビア王国」に改称した(サウジアラビアは、この9月23日を「国祭日」として、建国記念の休日にしていた)。さらに1934までにアラビア半島南部のジャーザーン、アシール、ナジュラーンをサウジ領とした。
 1938年には東部州のダンマームで商業ベースの油田が発見され、第2次世界大戦後に生産が本格化、石油大国へと成長した。
 1973年の第4次中東戦争では他の中東の産油国とともに石油武器戦略を発動、イスラエル寄りとされる国への石油輸出を制限するなどで世界経済を揺るがす存在になった。他方、アラブ民族主義がアラブ世界を席巻するなか、イスラームへの接近をはかり、宗教的な保守層からの支持を固めていった。しかし、そのために過激なジハード主義を助長してしまい、1979年にマッカ占拠事件が発生、さらに1990年台以降にはサウジ人のオサーマ・ビン・ラーデンの設立した国際テロ組織アルカイダによるテロが世界中で頻発、2001年の9.11事件では実行犯19人のうち15人をサウジ人が占めた。
 また、安全保障面では米国と緊密な関係を構築、1991年の湾岸戦争では米国主導の多国籍軍とともに戦い、クウェートを占領したイラクを駆逐することに成功した。
 宗教的・部族的な制約から女性や少数宗派が差別されていたが、西側からの批判もあり、徐々にこうした制度的差別は改善されている。とくに2016年、2030年までに石油依存経済からの脱却をめざす「サウジ・ビジョン2030」が発表され、女性の運転免許取得が許可されたり、エンターテインメントやスポーツ分野への投資が促進されたりしている。ただし、民主化や少数宗派に対する立場については大きな動きは見えていない。
 また、気候変動や地球温暖化で石油を含む化石燃料に対する逆風が吹きはじめると、「ビジョン」のなかに、脱炭素の方向性が組み込まれ、再生可能エネルギーや原子力発電へのシフトや炭素循環経済が強調されるようになった。

ジェッダのアキバカフェ。サウジアラビアでも人気のある日本のアニメやマンガをフィーチャーしたカフェ。

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ハラマイン高速鉄道。マッカ、ジェッダとマディーナを結ぶ鉄道。スペイン等の企業が建設。約450キロメートルを最高時速300キロ、2時間半で結ぶ。

ハラマイン高速鉄道。マッカ、ジェッダとマディーナを結ぶ鉄道。スペイン等の企業が建設。約450キロメートルを最高時速300キロ、2時間半で結ぶ。

イスラーム第2の聖地マディーナの預言者モスク。近年は観光の異教徒も入ることができる。

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首都リヤードのランドマークの一つ、キングダムタワー。投資家として知られるワリード王子のフラッグシップ、キングダムホールディングの拠点。

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リヤード郊外の沙漠でサンドバギーで遊ぶサウジ人の若者。

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ジェッダからマッカへ向かう幹線道路にある標識。右の標識には「非ムスリム立ち入り禁止」とアラビア語や英語と並んで日本語でも書かれている。

ジェッダからマッカへ向かう幹線道路にある標識。右の標識には「非ムスリム立ち入り禁止」とアラビア語や英語と並んで日本語でも書かれている。

書誌情報
保坂修司「《総説》サウディアラビアという国」『《アジア・日本研究 Webマガジン》アジア・マップ1, SA.1.03(2023年4月6日掲載)
リンク: https://www.ritsumei.ac.jp/research/aji/asia_map_vol01/saudi/country/