アジア・マップ Vol.01 | スリランカ

読書案内

清水 加奈子(京都大学大学院 アジア・アフリカ地域研究研究科)

一般書
田中典子1993.『消されたポットゥ—スリランカ少数民族の女たち』農山漁村文化協会
 1980年代初頭、内戦勃発前後の「民族紛争の国」になりゆくスリランカ。一方の当事者とされる「マイノリティ」のタミル人が住む西海岸の漁村でのささやかな日常の風景や、ごくローカルな出来事を通して、そこに確かに生きている人々の姿が筆者の新鮮な驚きとともに描かれる。ポットゥ(ヒンドゥー教徒の女性がつける額の印)を消すという行為に象徴される迫害への不安と、日常で接するシンハラ人/語への親しみが共存する様は、「民族紛争」の物語から零れ落ちる、そこに生きる人々の複雑な機微を物語る。
杉本良男・高桑史子・鈴木晋介編2013.『スリランカを知るための58章(エリアスタディーズ117)』明石書店
 様々な地域の概説書シリーズの一つ。地理・風土・歴史・経済・政治・文化・教育など多分野を網羅する。植民地時代や内戦の歴史について触れる章もあり、旅行者用ガイドブックなどからさらに一歩進んでスリランカについて知りたいという方にとって良い入門書になるだろう。執筆陣には多分野のスリランカ研究者が集まっており、引用元が明確な情報を基に構成されている上に、各人の滞在経験を基にした描写からはスリランカで暮らす人々の生活の肌触りを感じることができる。
杉本良男2015.『スリランカで運命論者になる—仏教とカーストが生きる島』印東道子・白川千尋・関雄二編「フィールドワーク選書14」臨川書店
 1980年代からスリランカで調査を行ってきた人類学者が、フィールドでの経験を通して、ある村の生活における文化と宗教から、それに否応なく影響を与えている政治とナショナリズムを描く。人類学の門を叩く者に向けたシリーズの一つとして書かれているが、現代スリランカの概説書としてもお勧めしたい。内戦勃発時の現地での様子も含め貴重な経験がつづられており、特に調査していた村への極右集団JVP(人民解放戦線)の乱の影響については短い言葉で触れられるだけだが、著者が受けたであろう衝撃は想像して余りある。
中島京子2021.『やさしい猫』中央公論新社
 シングルマザーの「みゆきさん」と、日本に住むスリランカ人「クマさん」が出会いやがて結婚を決意する。みゆきさんの娘「まや」と3人で家族になろうとするが、クマさんは仕事を失ったことでオーバーステイになってしまい入管施設に強制移送されてしまう—。フィクションながら、そこに描かれている日本に住む外国人とその家族が現在の制度下で直面する理不尽と困難は現実にあるものだ。「遠い国」としてではなく「家族や隣人である/になるかもしれない人の故郷」としてスリランカを想像する手がかりとして本書を挙げる。
初見かおり2021.『ハレルヤ村の漁師たちースリランカ・タミルの村 内戦と信仰のエスノグラフィー』左右社
 博士論文の調査のために内戦末期2006年から終戦後の2010年まで断続的にスリランカに滞在した著者が、北部州マンナールに国内避難したカトリックの信仰をもつタミル人漁村で過ごした生活を中心につづった記録。激戦地から、あるいは生き残って避難した人々から漏れ伝う語りと、食事の準備やお金のやりくりといった生活の模様、儀礼と信仰。多くの死と喪失、不安や恐れに圧倒されながらそれでもなお人々から奪われないもの—この本を読むことは著者がその決して奪われないものに迫ろうとした軌跡に触れることであり、それは他の書籍や媒体でスリランカ内戦について知ることとは全く異なった経験だ。
学術書
鈴木正崇1996.『スリランカの宗教と社会―文化人類学的考察』春秋社
 シンハラ社会の宗教文化や儀礼についての大著。教義からの静態的な解釈を越え、実践とテキストの往復運動によって形作られ社会変動にともなって変化するものとして文化、儀礼を捉える。シンハラ仏教徒の村落で行われる様々な宗教儀礼、人生儀礼、悪霊払いから、古都キャンディで行われるエサラ・ペラヘラ祭、仏教とヒンドゥー教の聖地であるカタラガマ、さらにイスラム教やキリスト教も含めた4宗教の聖地とされるスリーパーダの巡礼や、建国神話をはじめとする歴史書の記述など、扱う事例と文献は多岐かつ包括的であり、シンハラの儀礼と信仰についての辞典のような一書になっている。
川島耕司2006.『スリランカと民族―シンハラ・ナショナリズムの形成とマイノリティ集団』明石書店
 スリランカ内戦の大きな要因として指摘され、現在も根強く残るシンハラ・ナショナリズム。民族的マジョリティであるシンハラの排他的アイデンティティは英植民地期に先鋭化されたと言われるが、本書では文献資料をもとに、英領期初期からみられたマイノリティ排斥運動に触れつつ、民族アイデンティティの先鋭化によってそうした排斥運動がそれまでと異なるものとなっていくことが指摘される。シンハラ・ナショナリズムが植民地後期における宗教、政治、経済の変化の中でいかに醸成され、それがいかに独立後のマジョリティ優遇政策や結果的に内戦につながっていくかが理解しやすい。
鈴木晋介2013.『つながりのジャーティヤ—スリランカの民族とカースト』法藏館
 2000~2001年のフィールドワークを基に、ゴム農園のエステート・タミル(インド・タミル)のアイデンティティを描いた民族誌。そこで描かれるアイデンティティのあり方は、他者との民族やカースとの違いを肯定しながらも、それらを越えつながる可能性に開かれたものであり、内戦の中で強調された相互排他的な「民族アイデンティティ」とは質的に異なっている。本書ではそれぞれのあり方を自他の境界の「想像の仕方」の違いによって解釈し、「民族紛争」の最中にもそれに抗するように、そうした開かれたアイデンティティのあり方と、それを可能にする想像の仕方が生活の場に息づいていたことを示す。
荒井悦代編2016.『内戦後のスリランカ経済―持続的発展のための諸条件』アジア経済研究所
 2009年スリランカ内戦の終結後から、内戦終結を強行したマヒンダ・ラージャパクサ大統領が敗北した2015年の大統領選挙までを「内戦後」と定義し、内戦後期から内戦後の経済について検討している。内戦期にも大きな経済の落ち込みを経験せず、内戦終結後には一時的に著しい経済成長をみせたスリランカだが、こうした状況の内実と背景について、輸出産業の状況、海外就労、失業問題、漁村の状況や、内戦の経緯と終戦後の統治など、多方面から照射する。本書で指摘される様々な政治と産業の状況は、コロナ禍の影響を受けた後の2022年の経済破綻と政変の背景を理解するためにも重要である。
中村沙絵2017.『響応する身体―スリランカの老人施設ヴァディヒティ・ニヴァーサの民族誌』ナカニシヤ出版
 高齢者は家族が世話をして看取ることが規範となっているスリランカにおいて、頼る者のない高齢者たちが暮らし最期を迎える老人施設-そこで「ダーナ(布施)」や「ピン(功徳)」、「パウ(罪・気の毒)」といったシンハラの人々の生活に根付く仏教的概念を媒介しながら展開される相互的な関係性を描く民族誌。そこでは寄付の与え手と受け手や、苦悩する他者とケアする自己といった関係性は溶け合い、自己と他者の立場が所与のものではなく偶有性によるものだという気づきの中で、出来ることを模索する姿勢が生まれている。老いと死の現場から、人々が口にする仏教的概念のもつ深度を垣間見る時、スリランカで日常的に聞くそれらの言葉への印象は一変する。

書誌情報
清水加奈子「スリランカの読書案内」『《アジア・日本研究 Webマガジン》アジア・マップ』1, LK.5.03(2023年10月3日掲載)
リンク: https://www.ritsumei.ac.jp/research/aji/asia_map_vol01/sri_lanka/reading/