アジア・マップ Vol.01 | スリランカ

スリランカ21世紀年表

中村沙絵(東京大学大学院総合文化研究科・准教授)

1999年

北部州で戦闘が激化、LTTEが北部州本土領域(ヴァンニ地域)を制圧
12月 スリランカ自由党(SLFP)のチャンドリカ・クマーラトゥンガ氏、コロンボでの選挙演説直後に自爆攻撃で負傷するも、大統領に再選
2000年

LTTEがA9ハイウェイを掌握、本島とジャフナ半島をつなぐエレファント・パスを封鎖

スリランカ・ムスリム会議委員長のアシュラフ港湾相がヘリ墜落で死亡

首相官邸前でLTTEの女性自爆攻撃、シンハラ人暴徒がLTTE元幹部を収容する刑務所を襲撃(シンハラ人警察の不作為にインド・タミル人が抗議運動を展開、一部暴動に発展)

シドニー・オリンピックで200m走者、スザンティカ・ジャヤシンハがスリランカ女性初となるメダル(銅)を獲得
2001年
7月
LTTEがコロンボのバンダーラナーヤカ国際空港を襲撃
12月 「分裂した島に平和をもたらす」との公約を掲げた野党の統一国民党(UNP)が総選挙に大勝、ラニル・ウィクラマシンハ氏首相就任

UNPを主とする統一国民戦線(UNF)政府がLTTEの停戦表明を受け入れる
2002年
2月 ノルウェーの仲介により政府とLTTE間の停戦協定が締結
9月、10月、12月 第1~3回和平交渉が開催される

日本からは明石康・元国連事務次長が「スリランカにおける平和構築及び復興・復旧担当政府代表」に任命され、2002年~2020年にわたりスリランカ和平に関与
2003年
5月 島南部の大雨と洪水で235 人が死亡、70 万人が被災
6月 「スリランカ復興開発に関する東京会議」開催 LTTEは欠席
10月 LTTEが北東部で自治政府をつくる暫定自治機構案を提出するも、政府は拒否
大統領の属するSLFPと首相の属するUNP間の争いに発展、国会解散
2004年
3月 LTTEの東部方面司令官カルナが分離しカルナ派を組織、政府側につく
4月 総選挙で野党の統一人民自由連合(UPFA:SLFPとJVPの左派連合)が勝利
新政権発足、マヒンダ・ラージャパクサ氏首相就任
12月 スマトラ沖大地震及びインド洋津波 スリランカ北西部を除く全ての沿岸が被災し、3万人以上が死亡、沿岸域の住民を中心に40~50 万人が避難民化
2005年

LTTEとの協議の上で津波復興支援金(30億USドル近く)を民族間で分配するための「津波後の運営管理機構(P-TOMS)」設立の合意が成立するも、党内シンハラ勢力からの批判が高まり頓挫
11月 首相を務めていたマヒンダ・ラージャパクサ氏第6代大統領に就任

翌年1月にかけて短期間の和平交渉が行われる
2006年
4月 コロンボの軍事基地で自爆テロ、その後政府軍はLTTE支配地に空爆攻撃
7月 停戦合意が破綻、第4次イーラム戦争
10月 ジュネーブでの和平交渉は失敗
2007年

LTTEがコロンボに空爆を敢行

政府軍は東部での作戦を強化。度重なる空爆などにより東部からの避難民は10万人以上に
2008年
1月 スリランカ政府が停戦協定を無効化、北部州への大規模な攻撃を再開
戦闘の再開によって数万人もの州民が国内避難民と化す
2009年
1月 政府軍がLTTEの管理本部がおかれたキリノッチを制圧
5月 政府軍が北部LTTE支配地域を全て奪取、内戦終結

北部州で内戦後初選挙。ジャフナでは与党連合が勝利するも、ヴァヴニアではLTTEを支援した候補者が支持される
11月 次期大統領選挙に向け、ウィクラマシンハ前首相を中心に、ムスリムやタミルの政党を組み込んだ野党連合の組織化が始まる
2010年
1月 大統領選挙でラージャパクサが圧勝、再選
4月 総選挙では、ラージャパクサ率いる与党連合の統一人民自由連合(UPFA)が圧勝
7月 スリランカの中央高地が世界遺産登録
9月 ラージャパクサ大統領の再任期限を延ばすような改憲が議会で可決される
2011年

日本の支援でスリランカ初の高速道路が開通

タミル国民連合所属の国会議員M.A.Sumanthiranが北・東部の状況に関する報告書を国会に提出。軍の介入や国家による残虐行為などを提起した

教訓と和解委員会の最終報告書は政府の戦争犯罪の疑いを晴らしたが、国際社会は依然として納得せず
2012年
2月 政府の報告書が(「市民犠牲ゼロ」というこれまでの主張に対して)内戦の最終局面に市民が犠牲になったことを正式に発表
3月 国連人権理事会が数十年にわたるLTTEとの紛争の最終局面で行われた戦争犯罪を調査するよう求める決議を採択

コロンボのウェリカダ刑務所で銃撃戦が発生し、27名が死亡

アンパーラ県ダンブッラで仏教至上主義者などがモスクを襲撃
2013年

マータラ・ラージャパクシャ国際空港が開業
9月 北部の半自治州議会選挙で、野党・タミル民族同盟が78%の得票率で初当選
10月 コロンボとバンダーラナーヤカ国際空港・ニゴンボを結ぶ「コロンボ-カトゥナーヤカ高速道路」が開業

仏教ナショナリズム組織ボドゥ・バラ・セナ(BBS: Bodu Bala Sena)がムスリムやキリスト教徒の排斥を掲げてラリー。ムスリムによる抗議が全国的に展開
2014年

日本の総理大臣として24年ぶりに安倍総理がスリランカを訪問
6月 Durgaタウンで仏教僧と運転手がムスリムから暴行を受けたとBBSが喧伝し暴動に発展。アルトゥガマ、ベールワラ、ダーガタウンに外出禁止令が発令、ムスリム約8千人、シンハラ約2千人の合計約1万人が避難
2015年
1月 スリランカ自由党から離脱し、内戦中の残虐行為について説明責任を果たすことを約束したマイトリパーラ・シリセーナ氏が当選、大統領に就任
1月 統一国民党(UNP)政権が樹立、党首であるウィクラマシンハ氏が3期目となる首相に就任
8月 総選挙でもUNP勝利。第二党のスリランカ自由党(SLFP)と大連立形成
ウィクラマシンハ首相再任。

スリランカ内戦で闘った元兵士の一生を描いた『ディーパンの闘い』が第68回カンヌ映画祭の最高賞パルムドールを受賞
2016年
5月 コロンボなどを含む22地域で発生した洪水と地滑りにより、およそ34万人が被災、死者・行方不明者を合わせて200人以上の被害。
6月 政府は、1971年のタミル・タイガー反乱軍およびマルクス主義者の反乱との26年間の戦争で、約65,000人が行方不明になっていることを初めて認める
2017年
1月 港湾都市ハンバントタ近郊で、ほとんどが中国系の港湾・工業地帯を建設するために村人を立ち退かせる計画に反対するデモ隊と警察が衝突。
4月 コロンボ郊外コロンナーワのゴミ山が崩壊し、31名が死亡。
5月 南西部で発生した洪水・土砂崩れにより、92人が死亡、110人が行方不明、6万人以上が避難。
1~7月 デング熱が大流行。7月時点で、デング熱罹患者数が11万5千人に。
2018年
2月 アンパーラで反ムスリム暴動が発生。警察はシンハラ仏教ナショナリストをはじめ81名を逮捕。
10月 シリセナ大統領がラニル・ウィクラマシンハ首相をマヒンダ・ラジャパクサ元大統領に交代させ、国会を停止したため、憲法上の危機が発生。
11~12月 憲法裁判所、議会解散は違法と判断。マヒンダ・ラジャパクサは議会の過半数を占める政府を樹立することができないとしてウィクラマシンハ氏が政権を再開。
2019年
4月 イースター連続爆撃事件ジハード主義者らの自爆テロが教会やホテルを襲い、350人以上の死者を出した
11月 大統領選挙、マヒンダ・ラージャパクサの弟であるゴータバヤ・ラージャパクサ大統領(第8代)就任。マヒンダ・ラージャパクサ元大統領は首相に就任。
2020年
3月 新型コロナウイルスに伴うスリランカ全土に対する外出禁止令が発令
8月 マヒンダ・ラージャパクサ 率いるSLPPが政権与党に。総選挙で与党スリランカ人民戦線(SLPP)が圧勝。マヒンダ・ラージャパクサ首相再任
2021年
1月 バブル方式による観光客の入国を再開

ディネーシュ・プリヤンタ選手がパラリンピック陸上やり投げで金メダル獲得。オリンピック・パラリンピックあわせてスリランカ初の金メダル獲得
2022年

独立以来の経済危機。3月31日深夜、経済危機に伴う燃料不足、停電、物価上昇に対して、政権に対するデモが発生。
5月 マヒンダ・ラージャパクサ首相辞職。ウィクラマシンハ首相就任。
7月 ゴタバヤ・ラージャパクサ大統領辞職。ウィクラマシンハ大統領就任。グナワルダナ首相就任。

書誌情報
中村沙絵「スリランカ21世紀年表」『《アジア・日本研究 Webマガジン》アジア・マップ』1, LK.3.02(2023年1月10日掲載)
リンク: https://www.ritsumei.ac.jp/research/aji/asia_map_vol01/sri_lanka/timeline/