アジア・マップ Vol.01 | トルコ
《総説》
トルコという国
基本データ
1. 国名:Türkiye Cumhuriyeti(トルコ語)、Republic of Türkiye(英語)(2022年6月国連承認)
2. 面積:約78万平方キロメートル
3. 人口:2021年推計 84,680,273人。世界195カ国の中で18位、世界の総人口の1.1%(注1)
4. 宗教:ムスリムが約99%、その他ギリシア正教徒、アルメニア教徒、ユダヤ教徒等
5. 言語:公用語はトルコ語
6. 民族:数値化は難しい
概況
トルコ共和国は、オスマン帝国(1300頃~1922年)の主要後継国家として1923年に独立し、その地政学的重要性から今日の国際情勢においてもっとも重要な役割を担う国家のひとつである。公式名称はトルコ語でTürkiye
Cumhuriyeti(テュルキイェ・ジュムフリイェティ)、英語では従来Republic of
Turkeyであったが、2022年6月、国連がTürkiyeとすることを承認したと報じられた(注2)。首都はアナトリア中央部のアンカラだが、国内最大の人口を有する都市は、帝国の都であったコスモポリタンな国際都市イスタンブルである。
1990年前後には「トルコの総人口は日本の約半分、国土面積は日本(注3)の約二倍」と説明することができた。しかし、その後トルコの総人口は増加を続け、2021年には8468万人に達したのに対し、日本の総人口は15年連続自然減少の結果、2021年には約1億2550万人(注4)となったため、現在のトルコの人口は日本の67.5%に相当する。
トルコ国民の宗教、言語、民族構成比を示すことは非常に難しい。トルコは、オスマン帝国600余年間に同地域に居住・往来した多言語・多宗教の人びとによって織りなされた重層的文化を継承しているからだ。
宗教
オスマン帝国では、帝国内の臣民をムスリムか非ムスリムかという宗教別に把握していた。このことはイスラームの世界観、イスラーム諸王朝におけるムスリムと非ムスリムとに課せられる税目の違い、とくにオスマン帝国では啓典の民であるキリスト教徒、アルメニア教徒、ユダヤ教徒に各宗教共同体の自治を認めたこと(注5)などに起因する。1905/06年に実施された総人口調査(注6)でも、ムスリム、ギリシア正教徒、アルメニア教徒、ブルガリア正教徒、カトリック、ユダヤ教徒、プロテスタント、その他と宗教別に集計された。
トルコ政治研究者の柿﨑正樹は、宗教に基づくマイノリティ概念はトルコ共和国にも受け継がれ、ユダヤ教徒、ギリシア正教徒、アルメニア教徒のみが「ローザンヌ条約において公式なマイノリティとして法的保護の対象となっている」(注7)と指摘する。第一次世界大戦の戦後処理についてトルコが連合国と締結した1923年のローザンヌ条約のマイノリティ概念から、ムスリムであったために抜け落ちた社会集団がクルド人とアレヴィーである。アレヴィーとは第四代カリフのアリーを信奉する人びとを意味し、しばしばシーア派であるとされるが、人類学者の石川真作によれば、その文化はシーア派と異なる点も多く、アナトリアの村落共同体と強く結びついているという(注8)。宗派別の公式統計がトルコには存在しないためアレヴィー人口は不明であるが、柿﨑はトルコ総人口の10~25%(注9)、石川はアレヴィー人口を450万から2000万人まで諸説ある(注10)(約5.3~23.6%)という。
トルコのシンクタンク、コンダ社によって2006年の9・10月にトルコ全域で47,958人から対面調査(注11)が実施された。同調査(表1)でムスリムは合計99.25%となり、アレヴィーは約5%を占めていた。前述のとおりアレヴィー人口の割合は10~25%、5.3~23.6%と諸説あり、時代情況によって数値は変化する。表1は2006年の調査結果であることに注意を要する。
表1
宗教・宗派名 | (%) |
---|---|
1.スンナ派ハナフィー法学派 | 81.96 |
2. スンナ派シャーフィイー法学派 | 9.06 |
3.スンナ派その他 | 0.4 |
4.アレヴィー | 5.02 |
5.ヌサイリー (注12) | 0.1 |
6. シーア派 | 0.71 |
7.その他のムスリム | 2.1 |
8. 正教徒 | 0.06 |
8. カトリック | 0.01 |
9. プロテスタント・その他 | 0.057 |
10. ユダヤ教徒 | 0.013 |
11. その他の宗教 | 0.04 |
12. 無宗教 | 0.47 |
言語
トルコ共和国の公用語はトルコ語である。石川によれば「最後に言語別の統計が公表された1965年のセンサスには、17の国内言語」が列挙されている(注13)。同センサスは、自己申告による使用言語であり、この「国内言語」とは、「A-トルコ語」、「B-イスラム少数言語:アブハジア語、ペルシア語、アラビア語、アルバニア語、ボスニア語、チェルケス語、グルジア語、クルド語、クルマンジー語、クルダシュ語、ラズ語、ポマック語、ザザ語」、「C-その他の少数言語:アルメニア語、ユダヤ語、ギリシア語」である。これらの「国内言語」以外に、「国外言語」として英語、ドイツ語、フランス語、スペイン語、イタリア語等に加えてスラブ系諸語の話者もいる。石川は、クルマンジー語およびクルダシュ語はクルド語の範疇と見なしうるとし、「イスラム少数言語」と「その他の少数言語」として宗教による大分類をたてているのが興味深いと指摘する。つまり言語分類にも宗教別分類が一部採用されているといえる。
トルコ国家統計庁のHPにおいて現在、言語、宗教、民族という項目は見当たらない。2000年実施の人口調査(注14)の項目にも世帯人数、世帯構成員氏名・性別・年齢・出生地・国籍・身体障害の有無・最終学歴・就学状況あるいは就業状況等はあるが、言語、宗教、民族の項目はない。トルコでは1965年の人口調査を最後に、民族構成に関する調査結果は公表されなくなった(注15) 。このような背景から前述のコンダ社が実施した調査(注16)において母語および日常言語の使用に関する結果は表2のとおりである。
表2 母語(「母親から教わった言語」)および日常使用言語
言語名 | 母語(%) | 日常使用言語(%) |
---|---|---|
1.トルコ語 | 84.54 | 87.46 |
2. クルド語 | 11.97 | 9.76 |
3.ザザ語 | 1.01 | 0.81 |
4.アラビア語 | 1.38 | 1.05 |
5.アルメニア語 | 0.07 | 0.02 |
6.ギリシア語 | 0.06 | 0.04 |
7.ヘブライ語 | 0.01 | 0.00 |
8.バルカン諸語 | 0.23 | 0.13 |
9.カフカス諸語 | 0.07 | 0.03 |
10.ラズ語 | 0.12 | 0.07 |
11.チェルケス語 | 0.11 | 0.08 |
12.トルコ系諸語 | 0.28 | 0.34 |
13.ロマ語 | 0.01 | 0.00 |
14.西欧語 | 0.03 | 0.03 |
15.その他 | 0.12 | 0.17 |
合計 | 100 | 100 |
母語に着目すると、トルコ語84.54%、クルド語11.97%、アラビア語1.38%、ザザ語(北西イラン語群の一グループといわれる)1.01%となる。とはいえ、母語の割合を民族の割合であると読み替えることはできまい。
民族アイデンティティEtnik Kimlikler
コンダ社の調査において、「民族アイデンティティ」に関しては、調査員が「われわれはみなトルコ人同胞ですが、さまざまなルーツや地方出身の可能性があります。あなたは自らを・自らのアイデンティティを何であると考えていますか、あるいはどのような者であると感じていますか?」と質問し、回答者が最初に答えた回答を書いてもらい、あらかじめ選択肢を設けたり、調査員が方向づけをしたりということをしなかった(注17)。回答は100以上に及んだため、類似の回答を統合し、下記の結果(注18)が示された。
表3 アイデンティティ・グループ
実回答数(%) | コンダ社修正数(18歳以上) | % |
---|---|---|
トルコ人 | 81.33 | 78.1 |
国内地方出身者 | 1.54 | 1.5 |
アジア出身トルコ人 | 0.08 | 0.1 |
カフカス出身者 | 0.27 | 0.3 |
バルカン出身者 | 0.22 | 0.2 |
移民 | 0.40 | 0.4 |
ムスリム・トルコ人 | 1.02 | 0.9 |
アレヴィー/td> | 0.35 | 0.2 |
トルコ出身者、地球人、オスマン人 | 0.36 | 0.3 |
クルド人、ザザ人 | 9.02 | 13.4 |
アラブ人 | 0.75 | 0.7 |
非ムスリム | 0.10 | 0.1 |
ロマ | 0.03 | 0.05 |
他国出身者 | 0.05 | 0.07 |
トルコ共和国同胞 | 4.45 | 3.8 |
合計 | 100.00 | 100.0 |
コンダ社は調査当時、トルコの「南東部問題、あるいはクルド人問題が継続している情況において、自らのアイデンティティを明確に言うことを躊躇する人がいる可能性があるため」、アイデンティティにとって重要な要素のひとつである母語を指標として修正を加え、たとえば、母語がアラビア語で、アイデンティティはトルコ人と回答した人は、アラブ人とみなすことにした(注19)。このような修正を加えた数値が「コンダ社修正数」である。 たしかに自らをトルコ人(Türk)と回答した(81.33%)人の4.08%の母語はクルド語である。また自らをクルド人あるいはザザ人と回答した(13.4%)人の8.82%の母語はトルコ語であった(注20)。つまり母語は、自らが申告したアイデンティティとは必ずしも一致していない。しかもトルコ人の他に、アジア出身トルコ人、ムスリム・トルコ人、トルコ共和国同胞などの項目があるため、分類要素に地域・宗教が混在していることが理解できる。 今日、われわれが安易に多用する民族という概念は、言語、宗教、部族、あるいは遊牧民という生業・生活様式の要素までもが組み合わされており、時には他者によって政治的に定義されることもある。この問題は、世界の23カ国の「レイス(race)やエスニック集団(ethnic group)がこれまでどのように国勢調査の中で規定され、分類されてきたかという点を明らかにする」(注21)意図で比較・考察された『国勢調査の文化人類学―人種・民族分類の比較研究』で詳細に検討されている。編者の青柳真智子は、各国の事情によって国勢調査の細部が異なることはいうまでもないが、「レイス(人種)・エスニック集団(民族)の分類が状況的・恣意的であること、植民地的状況のなかで顕著になってきたこと、またその国々の政治状況に著しく左右されるものであることなどが理解できる」(注22)と指摘する。したがって母語やアイデンティティ別に集団を分けることも、たとえ一定の基準で客観性を高めたとしても、民族をひとつの範疇として数値化することは極めて難しいと筆者は考える。(6182文字)
写真
(注1)トルコ国家統計庁(Türkiye İstatistik Kurumu) TÜİK Kurumsal
(tuik.gov.tr))(2022年9月9日閲覧)。
(注2) 神谷亮平翻訳「「ターキー」から「トゥルキイェ」へ、その背景 Cumhuriyet紙
2022-06-10」東京外国語大学「日本語で読む世界のメディア:中東、東南アジア、南アジアの各地域の新聞が報じた最近のニュース2022-6-20」.
(注3) 1990年の日本の面積は37万7,727.37平方メートル、2022年4月1日時点では37万7,973.74平方メートル(これまでに公表した面積調(昭和63年以降) |
国土地理院
(gsi.go.jp) (2022年9月18日閲覧)。
(注4)日本総務省統計局HP/人口推計(2021年(令和3年)10月1日現在)(stat.go.jp)(2022年9月18日閲覧)。
(注5) イスラームに固有の「共存の原理」とオスマン帝国におけるミッレト制との関係については小杉泰『現代イスラーム世界論』名古屋大学出版会, 2006, pp.102-129.
(注6) Haz.(Prepared by) Behar, Cem, Osmanlı İmparatorluğu'nun ve Türkiye'nin Nüfusu 1500-1927;
The
Population of the Ottoman Empire and Turkey, Tarihi İstatistikler Dizisi Cilt 2; Historical Statistics
Series, Vol.2, T.C. Başbakanlık Devlet İstatistik Enstitüsü(トルコ共和国国家統計庁), 1996, Ankara, pp.55-58.
(注7) 柿﨑正樹「多文化主義―公正発展党のアレヴィー政策の事例から―」間寧編著・中村覚監修『トルコ』ミネルヴァ書房, 2019, pp.46-47.
(注8) 石川真作「アレヴィー―変貌する「宗教的」マイノリティ―」『トルコを知るための53章』明石書店, 2022(初版第3刷, 第1刷2012), pp.243-245.
(注9) 柿﨑2019, p.44.で Erman, Tahire & Emrah Göker, "Alevi Politics in Contemporary Turkey,"
Middle Eastern Studies, 36(4): pp.99-118.を典拠としている。
(注10) 石川2022, p.243.
(注11) KONDA, Toplumsal Yapı Araştırması 2006: Biz Kimiz?(『2006年社会構造研究:われわれは何者なのか?』Biz Kimiz?
Toplumsal Yapı Araştırması | Konda Araştırma & Danışmanlık), p.24.
(注12)
シーア派の一分派で、信者はシリアのラタキアの山地を中心とし、シリア、トルコ南東部およびレバノンに居住する。教義上、イスマーイール派の影響が強いが、シリアの土着宗教を基礎としてキリスト教とイスラームとの折衷的性格をもつ。シリア人口の一割強を占めるといわれる。アラウィーともよばれるが、アレヴィーとは異なる集団である。
(注13) 石川真作「トルコにおけるエスニック・グループ―クルド人を中心に―」『トルコを知るための53章』, pp.246-252.
とくにトルコの国勢調査の変遷と課題に関しては、石川真作「トルコ―同胞として―」青柳真智子編『国勢調査の文化人類学―人種・民族分類の比較研究』古今書院, 2004,
pp.81-97(同書については石川真作氏にご教示いただいた).
(注14) 2000 Genel Nüfus Sayımı: Nüfusun Sosyal ve Ekonomik Nitelikleri(Census of Population:
Social and Economic Characteristics of Population) İl/Province, 81-Düzce, T.C. Başbakanlık Devlet
İstatistik
Enstitüsü(国家統計庁), Ankara, 2002.
(注15) KONDA Araştırma ve Danışmanlık A.Ş(KONDA調査・コンサルティング株式会社、1986年創設)の歴史(Tarihçe | Konda Araştırma &
Danışmanlık)。
(注16) KONDA2006, pp.18-21.
(注17) KONDA2006, p.14.
(注18) KONDA2006, pp.15-18.
(注19) KONDA2006, p.15.
(注20) KONDA2006, p.20.
(注21) 青柳真智子編2004, p.1.
(注22) 青柳真智子編2004, p.10.
書誌情報
江川ひかり《総説》「トルコという国」『アジア・マップ:アジア・日本研究Webマガジン』Vol.1, TR.1.01(2023年1月10日掲載)
リンク: https://www.ritsumei.ac.jp/research/aji/asia_map_vol01/turkey/country/