アジア・マップ Vol.01 | イエメン

《エッセイ》イエメンの都市
サナア

馬場 多聞(立命館大学文学部・准教授)

 イエメンの北部山岳地域の標高2250mのところに位置するサナアは、古来、イエメンの首邑として知られた。サナアについて、10世紀のイエメン出身の地理学者であるハムダーニーは「イエメンの母」と呼び、14世紀の旅行家イブン・バットゥータは「イエメンの昔日の首都」と記した。現在ではサナアは、イエメン共和国の首都となっている。

 サナア旧市街は、5~8階建ての高層住宅がそびえたつ摩天楼都市として知られ、世界遺産に登録されている。面積的に限られた空間に多くの人が住むために、建物の高層化が進んだ。下層部は石造りで、かつては家畜小屋や穀物の貯蔵場などとして用いられた。人々が居住する上層部は、軽量化のためか、日干し煉瓦を用いている。最上階には客人を接待するマフラージュ(応接間)が設置されており、ここで旧市街を眺めながら吸う水煙草はきわめて美味しい。

写真1:サナア旧市街の高層建築群

写真1:サナア旧市街の高層建築群

 サナア旧市街の範囲は、一般には、総延長5 kmの市壁に囲まれていた一帯に相当し、その原型は16世紀の第一次オスマン帝国期に完成したとされる。現在ではこの区域に、6500棟の住宅と43のモスクがあると言われる。礼拝の時刻になると礼拝の開始を知らせる呼びかけであるアザーンが四方八方のモスクからきこえ、高層住宅に反響し、エキゾチックな雰囲気を醸し出す。世界遺産の登録対象にはなっていないものの、旧市街の西側にも歴史的建造物が残されている。すなわち、20世紀のムタワッキル王国期につくられた宮殿や王の別邸が現存する。筆者が2009年から2011年にかけて暮らしていたのは、この別邸のひとつである。

 旧市街を歩いていると、その摩天楼ぶりに加えて、成人男性が白い長衣やジャンビーヤと呼ばれる三日月刀をまとっていることもあって、数百年前の世界に紛れ込んだような錯覚に陥る。しかし街中では様々なものが現代化しており、たとえばマシャッダ(頭にかぶったり肩にかけたりする布)は、その多くがインドの工場でつくられたものである。また、人々が普段使いしているジャンビーヤにはほとんど殺傷能力がなく、ジャンビーヤの鞘はプラスチック袋を下げたり疲れた手を置いたりするために使われるに留まる。隊商宿(イエメンではサムサラと呼ばれる)は、かつては街の外から駄獣が運んできた商品の取引で栄えたが、今ではその機能を失っている。いくつかの隊商宿は博物館や土産屋として再利用されているが、なかには朽ちてしまい地元の喫茶店となっているものも見られる。なおイエメンはモカ・コーヒーで知られているが、コーヒー豆は輸出に回されるため、イエメンの人々はその殻を煮出して飲む以外にコーヒーを知らない、と冗談半分で言われることがある。その正誤については何とも言えない部分があるが、確かに旧市街でコーヒーを見ることはほとんどなく、紅茶、あるいはコーヒー豆の殻の煮汁がしばしば飲まれていた。現地の人にどこで「コーヒー」を飲むことができるか尋ねたところ、ブラジル産のコーヒーを扱う、旧市街の外にある外資のお店スター・バニー(スター・バックスを模していた)を紹介された。

写真2:元隊商宿の喫茶店の男たち

写真2:元隊商宿の喫茶店の男たち

 旧市街の西部には、大きなサーイラが走っている。サーイラは、平時には片側二車線ほどの道路として機能しているが、その本質はアラビア語の字義通り、水路である。サナア旧市街で処理できなくなった水は、傾斜を伝ってサーイラへ流れ込むようになっている。乾季には雨が降らないため、サーイラが水浸しになることはない。しかし雨季に入り、サナア旧市街の内部で処理できないほどの雨量に至ると、大量の水がサーイラへ流れ込む。子供たちは水遊びに興じるが、水量の増加があまりにも速い時には、サーイラはもはや川と化し、逃げ遅れた人々や車を激流に巻き込んでしまう。筆者が滞在していた2010年には、二桁の死者が出ていた。最近でも毎年のようにサーイラの氾濫の様子がYouTubeにアップされており、水はけは未だ改善されていないようである。

写真3:サーイラで水遊びをする子供たち

写真3:サーイラで水遊びをする子供たち

 現在では、サナア旧市街は危機遺産に登録されている。サウジアラビアによる空爆がもたらした破壊や、政権の不安定さゆえに補修がなされていないことが、原因である。同様の状況はイエメンのほかの世界遺産や建築物においても見られ、喫緊の課題となっている。

書誌情報
馬場多聞「《エッセイ》イエメンの都市 サナア」『《アジア・日本研究 Webマガジン》アジア・マップ』1, YE.4.02(2023年3月22日掲載)
リンク: https://www.ritsumei.ac.jp/research/aji/asia_map_vol01/yemen/essay02/