アジア・マップ Vol.01 | イエメン

読書案内

馬場 多聞(立命館大学文学部・准教授)

一般向け
佐藤寛『イエメン:もうひとつのアラビア』アジア経済研究所、1994年。
 主として1980年代後半から1990年にかけてのイエメンの人々の暮らしを、著者の体験を踏まえて叙述する。特に首都サナアに生きる人々の生活のリズムや、女性に社会的に課される制約、結婚や人生観、日本との関係について、類書にない生き生きとした描写がなされている。巻末の参考文献ではイエメンに関連する一般書や専門書が紹介されており、出版から30年を経ようとする今でもなお有益である。
佐藤寛『イエメンものづくし』アジア経済研究所、2001年。
 イエメンの文化や社会を、「かぶりモノ」「覆うモノ」「着モノ」「食べモノ」「噛みモノ(嗜好品カート)」「飲みモノ」「乗りモノ」「焚きモノ」「回りモノ(通貨など)」「困りモノ(政治情勢など)」の十の「モノ」の紹介を通して描写する。今世紀初頭に出版されたものであるが、前掲の『イエメン:もうひとつのアラビア』と併せて、今日のイエメン文化を理解するうえでは必読の書である。
ニコラス・クラップ(矢島文夫監修・柴田裕之訳)『シバの女王:砂に埋もれた古代王国の謎』紀伊国屋書店、2003年。
 古代南アラビアに存在したという伝説上のシバの女王を探し求めて、イエメンをはじめとした世界中の遺跡を10年間にわたって訪問した記録をまとめたもの。学術的な内容というよりは、現代の冒険譚のようになっている。著者はドキュメンタリー映画の製作者であり、ほかにも『アラーが破壊した都市:砂漠の都ウバール発掘』が邦訳されている。
旅行人編『季刊 旅行人』146(2005年冬号)、2005年。
 「イエメン完全保存版」と銘打たれた旅行雑誌『旅行人』のイエメン特集号。その名にふさわしく、情報量の質や量にしても、写真の美しさにしても、ほかの旅行書を凌駕する。2005年に出版されたものであるため、巻末に掲載された旅行情報こそ古いものの、写真集兼ガイドブックとして手元に置いておきたい。
蔀勇造『物語 アラビアの歴史』中公新書、2018年。
 日本語で読むことができる、唯一のアラビア半島の通史。およそ紀元前一千年期より筆を起こし、現代に至るまでの三千年間の歴史を追う。筆者が専門とする、前イスラーム期のイエメンに興った古代南アラビア諸王国の歴史に詳しい。特に、ヒムヤル王国トゥッバァ朝とエチオピアのアクスム王国の関係についての考察には、碑文史料や後代のアラビア語史料にもとづいた最新の研究成果が加えられている。
研究書
家島彦一『海域から見た歴史:インド洋と地中海を結ぶ交流史』名古屋大学出版会、2006年。
 インド洋から地中海に至る一帯を、歴史的共通性を帯びた歴史空間である「大海域世界」としてとらえ、そこで展開する人・物・情報の交流のあり方を、膨大なアラビア語文献と著者自身によるフィールドワークの成果をもとに考察する。ここで提示された、陸域ではなく海域から歴史を考える見方は、続く研究者に大きな影響を与えている。なお著者は、イブン・バットゥータの『大旅行記』の邦訳者としても知られている。
栗山保之『海と共にある歴史:イエメン海上交流史の研究』中央大学出版部、2012年。
 前近代のイエメンの歴史について、イエメンの周りを取り囲む紅海やインド洋といった海との連関に着目する。イエメンの国際性を実証すべく、インド洋の中継港であるアデンで13世紀に取り扱われた商品や、17世紀のイエメンを治めたザイド派イマーム政権の対外関係、さらにはインド洋をわたる学術の徒やハドラミーの実態といった、イエメンをめぐる海上交流の諸相を考察している。
馬場多聞『宮廷食材・ネットワーク・王権:イエメン・ラスール朝と13世紀の世界』九州大学出版会、2017年。
 イエメンを治めたラスール朝の宮廷が支配域内外の多様な食材を入手・利用できた背景として、地域内交易網と世界大のネットワークが王権のもとで連続していたことを、具体的に検証する。先行研究においてイエメンはインド洋交易の一中継地としてのみ描かれる傾向にあるなかで、本書は、イエメンという地域自体が持つ文化的経済的なダイナミズムを明らかにし、13世紀の世界のなかに位置づけなおす試みといえる。
大坪玲子『嗜好品カートとイエメン社会』法政大学出版局、2017年。
 2000年代のイエメン社会を、嗜好品カートの消費者や生産者、商人に対するインタビューやアンケート調査をもとに描き出す。カートとは、イエメンや北東アジアで生産されるニシキギ科の常緑樹であり、その葉には覚醒作用が含まれている。イエメンでは、娯楽のひとつとして、人々の結集の手段として、カートが人々に常用されている。イエメンの経済活動は、イスラーム経済や部族社会の語で画一的に説明されがちだが、カートの生産・流通・消費をめぐる検討からは、イスラームや部族の枠を気にすることなく、それぞれのアクターがそれぞれの利益を最大化すべく行動を選んでいることが導き出される。

書誌情報
馬場多聞「イエメンの読書案内」『《アジア・日本研究 Webマガジン》アジア・マップ』1, YE.5.03 (2023年3月22日掲載)
リンク: https://www.ritsumei.ac.jp/research/aji/asia_map_vol01/yemen/reading/