アジア・マップ Vol.02 | アゼルバイジャン

《総説》アゼルバイジャンという国
現代アゼルバイジャンにおける国家と宗教の関係

岩倉洸(龍谷大学社会学部 実習助手)

アゼルバイジャンにおける宗教状況
 北はロシアとジョージア、東はカスピ海、南はイラン、西はアルメニアとトルコに囲まれた場所に位置するアゼルバイジャンは、面積8万6600平方キロメートル(北海道と同程度)、人口は1050万人の国である。アゼルバイジャンの宗教構成を見ると、イスラームが97%と多数を占め、そのうち60%程度がシーア派(12イマーム派)、30%程度がスンナ派(多数がハナフィー法学派、一部シャーフィイー法学派)である。その他、ロシア正教会、ジョージア正教会、霊的キリスト教、アルメニア使徒教会、アルバニア・ウディ教会(アゼルバイジャン独自の東方諸教会)、カトリック教会、プロテスタント諸派、ユダヤ教(主に山岳ユダヤ、アシュケナージ、グルジーム)、バハーイ教、ハレー・クリシュナ運動等が存在している。また、現在国民に信徒は存在しないとされているものの、ゾロアスター教も重要な文化の一つとして取り扱われている。

写真1

写真1 シェキのアルバニア・ウディ教会(筆者撮影)

 近年の近隣諸国の国家と宗教の関係―ロシアにおけるロシア正教会、トルコにおけるイスラーム(スンナ派)、イランにおけるイスラーム(シーア派)の地位も踏まえると、アゼルバイジャンで多数を占めるイスラームが国教的な扱いを受けているように考えられるかもしれない。しかし、アゼルバイジャンでは、世俗主義と多文化主義を柱とする国家による宗教管理体制が構築され、イスラームは伝統的な宗教の1つとして扱われているに過ぎない。以下、このような世俗主義・多文化主義を標榜しつつ、国家が宗教を管理するという、アゼルバイジャンの国家と宗教の関係の詳細を見ていきたい。

旧ソ連地域における国家と宗教の関係の特徴
 アゼルバイジャンは、1991年までソビエト連邦に属しており、社会主義による宗教弾圧・管理の影響を色濃く受けてきた。ソ連崩壊後もロシア・中央アジアとは、ソ連時代の遺産を引き継いだ政教関係を共有している。そのため、アゼルバイジャンの政教関係を見るにはソ連の遺産による共通点を見ていく必要がある。

 Curanovic(2013)は、ソ連の遺産を引き継いだ旧ソ連地域の政教関係を「ポスト・ソビエト宗教モデル」と呼称し、その特徴として「形式的・法的な世俗性」、「伝統的な宗教カテゴリーの発展」、「国家との(通常は相互に有益な)関係において宗教機関が従属的な立場」、「社会的パートナーシップ」を持つと指摘している。

 「形式的・法的な世俗性」とは、国家と宗教の分離が憲法・その他法律に明記されているかどうかを示しており、国教は持っていないものとされる。「伝統的な宗教カテゴリーの発展」とは、国が国内の宗教を伝統/非伝統と分類する姿勢を示す。「国家との(通常は相互に有益な)関係において宗教機関が従属的な立場」とは、国家が宗教団体を強固に管理(時には弾圧も)しつつ、礼拝施設・教育施設の拡充・修復などのサポートも行うような関係を指している。「社会的パートナーシップ」とは、国家が伝統的かつ親和的な宗教団体と協力して、教育、外交、安全保障、治安、文化・慈善活動等を実施する。それにより、国家が政権の正統性保証を得て、宗教団体は財政支援や活動範囲において優遇され公共的な役割を担うものと考えられている。

 このような、ポスト・ソビエト宗教モデルはソ連時代の遺産継承、ソ連崩壊後の宗教復興による治安や安全保障の懸念、ロシアの模倣という背景があり、ソ連崩壊後も一部の旧ソ連地域が似たような政教関係を持つことを説明している。確かにアゼルバイジャンの場合も、ある程度このモデルによって説明できる。しかし、ソ連が崩壊して既に30年以上になり、国家と宗教の関係も変容しつつある。

アゼルバイジャンにおける国家と宗教の関係の特徴
 それでは、旧ソ連地域の共通性を超えたアゼルバイジャンにおける国家と宗教の関係とはどのようなものであろうか。ポスト・ソビエト宗教モデルも踏まえつつ、国家、宗教団体、外国という3つの視点から特徴を炙り出していく。

①国家から見る政教関係
 アゼルバイジャンの憲法や宗教基本法に当たる信教の自由法等によれば、世俗主義を宣言しており、国家と宗教の分離が明言されている。世俗主義とは何かを見ていくと、宗教指導者の大統領選・議会選出制限、公職選出時の宗教指導者の宗教活動禁止、宗教団体による政党での活動・財政支援の禁止といった、宗教の政治参加制限規定が散見される。逆に国家から宗教への関与という点を見ると、全ての宗教の法的な平等と宗教団体への非介入が謳われるものの、宗教団体や宗教指導者の国家登録制、宗教教育の許可制、国家への活動報告義務、宗教ごとに政府に親和的な宗教団体への帰属義務、宗教的刊行物の事前確認制度が並んでいる。法律面からは、アゼルバイジャンは宗教による国家への介入を禁止にしつつ、国家による宗教への介入は認めており、それを世俗主義と呼称している。

 このような国家による宗教管理は、国家と宗教を分離することが必要だという世俗主義自体を正当化の根拠とすることも多い。しかしそれ以外にも「人権」、「安全保障」、「国民統合」、「多文化主義」によっても正当化されることがある。

 特に重要なのは多文化主義である。1992~1993年に2代目大統領となったアブルファズ・エルチベイの下で、テュルク諸語とスンナ派的なイスラームを融合したトルコ性こそがアゼルバイジャン人の本質として国民統合が進められたが、外交的孤立もあり失敗に終わっている。1993年~2003年のヘイダル・アリエフ、2003年以降のイルハム・アリエフ両大統領は、市民権をベースとして多様な民族・文化を包摂しようとする「アゼルバイジャン主義(Azərbaycançılıq)」を掲げて国民統合を進めてきた。このような多文化主義政策の下で、国は古代からアゼルバイジャンは、本質的に東西南北の多様な文化を包摂しており、宗教共存地域であると主張する。そして共存を乱すものは排除するしかないが、それは国家による宗教管理のみが可能であるという正当化論理である。ただし、ここでいう多文化主義は、欧米の物とは違うと主張されていることも留意するべきであろう。例えば、大学の必修科目『多文化主義入門(Multikulturalizmə giriş)』の国定教科書では、アゼルバイジャンの多文化主義は本質的・道徳的・文化的規範であり、欧米の多文化主義は構築的で単に法的義務によって保障されたものに過ぎないとし、国教制やイスラームフォビアは不寛容な欧米の典型例であると指摘している。

②宗教団体から見る政教関係
 政府組織と宗教団体の関係を見ていくと、現在のアゼルバイジャンでは宗教行政を担当する「宗教団体担当国家委員会(Azərbaycan Respublikası Dini Qurumlarla İş üzrə Dövlət Komitəsi)」と呼ばれる政府組織が、宗教団体や宗教指導者の登録、宗教的刊行物の確認といった管理部分の宗教管理を担っている。そして、政府に公認された宗教団体として、イスラームであればロシア帝国時代以来の歴史を持つ官製ウラマー組織カフカース・ムスリム宗務局(Qafqaz Müsəlmanları İdarəsi)、キリスト教であればロシア正教会やカトリック教会、ユダヤ教であれば各ユダヤ人の共同体が、信仰儀礼の実践、宗教教育、巡礼、宗教宣伝といった実践面での宗教管理を担ってきた。このような国家による二元的な宗教管理は、ソ連時代から採られてきたものであり、ソ連崩壊後も組織的・人的変更もなく受け継がれてきた。

 二元的な宗教管理の一翼を担うのは、アゼルバイジャンで伝統的とされてきた宗教団体で、イスラーム、ロシア正教会、カトリック教会、アルバニア・ウディ教会、ユダヤ教がそれに当たる。彼らは、アゼルバイジャンの文化的多様性と宗教共存を体現する伝統的な宗教団体として扱われ、比較的宗教活動の自治保障や優遇された財政支援を受けている。管理を担わず信仰実践を保持するグループも存在し、プロテスタント諸派、ジョージア正教会、クリシュナ運動はその代表例である。なお、法律上、国家による登録をしていない宗教団体の活動は禁止されており、礼拝等の信仰実践や会合を行うことも不可能となっている。

 しかし、2010年代以降、国内外のイスラーム主義運動の台頭も受けて、宗教指導者教育を独占的に担う国立高等教育機関「神学学院(Azərbaycan İlahiyyat İnstitutu)」の設置、宗教団体担当国家委員会による宗教宣伝の実施等、宗教教育や宗教宣伝といった実践面においても、国家が直接管理を担うような一元的な宗教管理へと移行しつつある。

写真2

写真2 カフカース・ムスリム宗務局入口(筆者撮影)

写真3

写真3 多文化主義入門の国定教科書の1ページ(Mehdiyev 2019: 220より引用)
イルハム・アリエフ大統領と各宗教の代表がイスラームのラマダン時に
日没後に行われる夕食(イフタール)に参加している様子

③外国との関係から見る政教関係

 独立以降、アゼルバイジャンの宗教を考える上で、国外との関係は重要な安全保障・治安問題となった。特に、スンナ派的なイスラーム主義勢力、イランの支援あるいは教育受けたシーア的なイスラーム主義勢力は、世俗主義を標榜する国家にとって主要な仮想敵であった。これらの外国のイスラーム主義に対抗するために、法律面では、外国人・無国籍者による宗教活動の制限、外国人による宗教教育の禁止、国外で宗教教育を受けた自国民の宗教活動の禁止、海外での宗教運動参加者の市民権剥奪、宗教的刊行物の輸入・輸出の許可制が取られている。また、歴史的に見ていくと、イスラーム政党であるアゼルバイジャン・イスラーム党の解散、トルコから発生したギュレン運動や湾岸諸国を拠点に持つイスラーム系NPOの追放、エホバの証人の宗教団体登録拒否(2018年登録)も行われてきた。ソ連時代から独立初期にウズベキスタン、リビア、シリア、エジプトといった社会主義とも関係が深い国に留学し宗教教育を受けたウラマーも存在するが、現在は原則として国内でのみ宗教教育を受けることとされている。

 ただし、全ての国外の宗教団体が排除されるわけではない。トルコの宗務庁(並び親トルコ政府的な宗教団体)とカトリック教会は、条約によって宗教活動の自由や組織内部の人事・財政が相当程度保障されており、ロシア正教会も条約はないもののそれに準ずる立場である。さらに、近年アゼルバイジャンの宗教行政、宗教教育、宗教活動を担う公務員、教員、宗教指導者の経歴を見ていくと、40代以下の中堅・若手層においてトルコに留学し宗教教育を受けた人々が相当数含まれている。そのことを考えるならば、国家と宗教の関係について、今後トルコ流の思想が導入されてもおかしくない。

写真4

写真4 バクー市内の宗教的刊行物販売店(筆者撮影)
海外――特にイランからの宗教的刊行物は極めて少なかった。

アゼルバイジャンにおける国家と宗教の関係の今後
 このように、現在のアゼルバイジャンはソ連時代に由来するポスト・ソビエト宗教モデルを引き継ぎつつ、アゼルバイジャンの宗教状況に合わせたカスタマイズ、イランや欧米諸国の状況を批判的に吸収した宗教管理の正当化論理、宗教的人材の面からトルコの影響流入という独立後に形成された独自の特徴も併せ持っている。

 今後、アゼルバイジャンはソ連時代に教育を受けた世代が表舞台を退き、独立以降に教育を受けた世代が中心になってくる。そのような中で、ソ連の遺産を引き継いだ国家と宗教の関係の枠組みを維持するのか、トルコ的な政教関係へと変容するのか、あるいは欧米的な政教関係に接近するのかは注目すべき事例であろう。

【参考文献】
Curanovic, Alicja. 2013. “The Post-Soviet Religious Model: Reflections on Relations between the State and Religious Institutions in the CIS Area,” Religion, State and Society 41(3), 330-351.
Mehdiyev, Ramiz (eds.). 2019. Multikulturalizmə giriş: Ali məktəblər üçün dərslik Azərbaycan.
Bakı: Şərq Qərb.

書誌情報
岩倉洸《総説》「現代アゼルバイジャンにおける国家と宗教の関係」『アジア・マップ:アジア・日本研究Webマガジン』Vol.2, AZ.1.01(2024年1月28日掲載)
リンク:https://www.ritsumei.ac.jp/research/aji/asia_map_vol02/azerbaijan/country/