アジア・マップ Vol.02 | バハレーン
《エッセイ》
バハレーンと私
私が初めてバハレーンを訪れたのは2015年9月のことである。大学院博士課程にてヨルダン政治に関する研究を進めつつ、それを中東君主制の比較研究として拡張するべく、調査に訪れた中東君主制国家の一つであった。
民選の国民議会を持つアラブ君主制国家という面ではヨルダンとバハレーンは共通であるものの、政治や社会の実際の様子には相違点も数多く、新鮮に感じられた。バハレーンは1932年より石油生産を行っており、それによって富が蓄積され、国家発展につながってきた。現在ではドバイにお株を奪われて久しいとはいえ、早期の国家発展をいかし湾岸地域の金融センターとして栄えた歴史を持っている。
人々の暮らしの様子から豊かさを感じることも少なくなかったが、特に印象に残ったことの1つとして、アラビア語・英語とも堪能な人口の多さがある。私の主たるインタビュー対象者である研究者や政治活動家、社会活動家といった人々はもちろんのこと、市井においても両言語に堪能な人々に出会うことが少なくなかった。先方の母語であるアラビア語でのコミュニケーションにおいて苦労するのは織り込み済みであったが、お互いの第二言語の英語でも自分がタジタジする側に回るとは思ってもいなかった。
その背景としては早くからの国家発展による教育の充実のほか、バハレーンの「コスモポリタン性」が考えられる。ペルシア湾に位置する島として古来より交易拠点として様々な人々が交流を持つ場となってきたほか、戦略上の要衝としてイラン、ポルトガル、オマーンなど東西の大勢力が支配を行った歴史があり、今日でもバハレーンには米国の第5艦隊司令部が置かれている。このような歴史がバハレーンにコスモポリタンな文化の土壌を育み、世界各地の人々を惹きつけてきたのだと考えられる。
加えて、湾岸産油諸国に共通する特徴であるが、少ない人口の中での石油の富による国家発展を支えるために、多くの出稼ぎ労働者が南アジアからバハレーンに到来している。一般のバハレーン国民や中上流階層の外国人は移動の際、自家用車やタクシーを利用するのが普通である。筆者はバハレーン訪問時、土地を覚えるため、地元の人々と接する機会を持つため、そして節約のために、徒歩での移動や公共交通機関(バス)の利用を頻繁に行ったが、その際に出会う人々の多くは出稼ぎ労働者と思われる南アジア系の人々であった。英語、アラビア語に加えて、南アジア諸語が併記されている歩行者用信号機の案内板を目にしたときも、歩行者用信号機のユーザーとして想定される人々は南アジア出身の出稼ぎ労働者となっている点に気付かされた。これも湾岸産油諸国共通のことであるが、「コスモポリタン」という外観のもとにエスニシティをもとにした階級が存在することを改めて感じることとなった。
「コスモポリタン」の内実として、バハレーンにおける特徴的なもう一つの点を語ろうとすれば、スンナ派の支配王政によるシーア派コミュニティや政治運動に対する抑圧に触れざるを得ないだろう。2011年の地域的な政変の波、「アラブの春」を受けてバハレーンでも大規模な反政府抗議運動が発生したが、政府側はこれに対して弾圧という形で応答した。その後、バハレーン政府は政党や政治団体の解散処分など政治的自由の抑圧を強めている。このことを知識としては知っていたものの、実際に現地を訪れてみて、より痛切にそのような現状を実感させられた。
様々なご縁を得て研究者だけでなく政治活動家の方々や市民社会の人々からお話を伺うことができたのだが、バハレーンにおける抑圧の強化は政治活動はもちろんのこと、身近なレベルにまで広く及ぶものであり、過剰な検問の実施や移動の自由の制限、就業への介入など、様々な抑圧の存在を耳にした。逮捕された経験を当たり前のように語る人も少なくなかった。
お話を伺うだけでなく、国内の様々な場所に連れて行って頂くこともあった。地区によって発展度合いや社会の活気に差が見られたり、新興住宅地にも特色が見られたり、移動の自由度が違ったりなど、場所・空間に発生する政治についても学ぶ機会となった。
2015年9月の渡航に続いて2016年9月にもバハレーンを訪れたのだが、その1年間では厳しい抑圧の状況は変わらず、社会の息苦しさはさらに増しているような印象を受けた。それでも嫌な顔をせず、真摯にインタビューに答えて下さった皆さんには感謝しかない。きつい経験や厳しい現状を語りながらも、未来に向かって前向きにお話し下さる方が多かったことも印象深かった。
以前に「ヨルダンと私」にて記したのと同様、実際に土地に赴くことは多くの学びを得る機会になると考えている。今日ではコロナ禍を経て、オンラインでのコミュニケーションが広く行われるようになったが、過去の現地調査のことを思い返すにつけ、実際に土地に足を運ぶことの価値の色褪せなさを改めて感じるところである。
書誌情報
渡邊駿《エッセイ》「バハレーンと私」『アジア・マップ:アジア・日本研究Webマガジン』Vol.2, BH.2.01(2024年11月20日掲載)
リンク: https://www.ritsumei.ac.jp/research/aji/asia_map_vol02/bahrain/essay01/