アジア・マップ Vol.02 | バングラデシュ

《エッセイ》
バングラデシュ初の原発都市―パブナ県イッショルディー市

杉江あい(京都大学大学院文学研究科・文学部 講師)

 バングラデシュの西部に位置するパブナ県イッショルディー(イシュワルディ)市は、人口76,665人(2021年推計)の地方都市である1。2023年現在、イッショルディー市の市街地から南へ8 kmほど行ったところに位置するループールという集落の近くに、原子力発電所(以下、原発)の建設が進められている。原発の建設計画はこの地方都市にどのように変貌させたのだろうか。


原発建設の計画と立地
 バングラデシュでは各地で電化が進み、2018年時点で電力供給を受けていない人口は2割ほどとなった。しかし、電化している地域でも停電は日常茶飯事であり、電力不足は依然として問題となっている。バングラデシュのエネルギー生産の大部分は天然ガス、石炭、石油などに依存しており、原発はループールでの建設計画がバングラデシュで初めてとなる。しかし、原発建設に関する検討は近年に始まったものではない。バングラデシュでは、パキスタンから独立する前の1960年代から原子力研究開発が開始された。

 原発の建設地としてループールが選ばれたのは、1963年という早い段階である。ループールはバングラデシュ西部を南北に分けるガンジス河の左岸に位置する。このあたりには天然ガスなどのエネルギー資源がなく、南北間に相互接続のない独立した送電網が2つあった2。また、建設地のすぐ西には1916年にイギリスによって長さ1.8 kmに及ぶハーディンジ鉄道橋が架けられている(さらに、2004年には中国によってラロン・シャハ高速道路橋も建設された)3。建設の実現可能性に関する調査を経て、ループールは原発にふさわしい立地とされた。しかし、当時のパキスタン政府はこの計画を破棄し、その後の建設計画もパキスタンからの独立戦争や資金難で頓挫した。

 1990年代以降、バングラデシュ政府は原発計画実現に向けた政策を本格的にすすめてきた。原子力発電プラントを戦略的に輸出するロシア、中国、韓国がループール発電所建設への経済的・技術的援助を申し出た。最終的にバングラデシュ原子力委員会(Bangladesh Atomic Energy Commission)は、ロシアのロスアトム社と原発建設に関する政府間協定を2011年に締結し、2017年から建設を開始した4


原発建設に伴う外国人関係者・専門家の流入
 2023年8月、私はイッショルディー市に2泊3日で滞在する機会を得て、原発建設現場も実際に見ることができた(写真1)。そのときに観察した市街地の様子も交えながら、イッショルディー市の変貌を記述する。2011年時、イッショルディー市の面積は19.59㎢だったが、都市域が拡大して2021年時には31.18㎢ になり、人口も2011年時の66,255人から10年間で推計76,665人に増加した5。2011年時の世帯の主要な収入源の内訳をみると、農業33.6%、工業1.7%、サービス業13.9%であり(その他は省略)、農業の割合が最も高いが6、2001年に設立されたイッショルディー輸出加工区には日本を含む外資系企業が進出しており、市内および隣接県に住む人びとの雇用口となっている7

 イッショルディーでは原発の建設を受け、イッショルディー市を擁するイッショルディー郡内には、27 kmの鉄道、河川港、100 kmの舗装道路が建設された8。上述の通り、バングラデシュではこれが初めての原発建設である。そのため、バングラデシュ人の間では技術者が不足しており、専門家育成のため、バングラデシュ人がロシアに派遣されている一方、ロシア側から建設に携わる関係者や専門家などがバングラデシュに来ている9。2021年の記事によると、ロシア、インド、ウクライナ、ベラルーシ、その他の旧ソ連加盟国から来た約4,000人が原発建設に従事し、そのうちロシア語を話す労働者は3,000人ほどである。さらに、バングラデシュ人を含めて20,000人以上が原子力プラントや関連するインフラ・プロジェクトで働いており10、原発建設はこの地域の一大産業となっている。実際に、私が建設中の原発の前を通りかかったとき、門の守衛はバングラデシュ人がつとめており、駐輪所には、地元のバングラデシュ人たちが通勤に使用していると思われるバイクや自転車がたくさん停めてあった。


「リトル・ロシア」の形成
 私が滞在していたイッショルディー市内のホテルの職員によると、当ホテルにも数年前まで原発関係者と思われる外国人がよく泊まっていたという。市内には、首都のダカなど一部の大都市に限定的に見られるようなスーパー・マーケットやリゾートホテル、高級レストランなどが建設され、原発建設に携わる外国人たちのニーズを満たすようになった。2018年頃には市内に20階建ての集合住宅が建てられ(写真2)、原発建設に携わる外国人の集住地域となった。そして、集合住宅の道路を挟んだ向かいには、ロシア語の看板を持つ数多くの商店が立ち並ぶようになり(写真3)、このあたり一帯はまさに「リトル・ロシア」のようになった。商店はレストランやアパレル、家電製品屋などさまざまである。これらの商店の店員は地元のバングラデシュ人男性たちであり、彼らは流暢なロシア語を操っていた。どのようにロシア語を学んだかを尋ねると、ロシア語話者と話す必要があり、次第に話せるようになったという。

 ちなみに私がバングラデシュ人の言語能力に驚かされたのは、これが最初ではない。私が2018年にサウディアラビアのマッカ(メッカ)に行ったとき、数多くのバングラデシュ人男性が巡礼者をむかえるホテルや食堂などで働いていた。彼らはマッカに巡礼にやって来るインドネシア人やアルジェリア人など、多様な言語を話す人びととコミュニケーションを取る必要があるため、インドネシア語やフランス語などを実践的に学び、数か国語を流暢に操っていたのである。イッショルディー市のリトル・ロシアも、こうしたバングラデシュ人たちの高い言語能力や順応力に支えられるような形で形成されていたと考えられる。

 個人的に、私は原発建設に対して穏やかな気持ちではいられない。しかし、地元のバングラデシュ人たちは、これを自らの生計活動にとっての好機ととらえているようであった。また、イッショルディー滞在中に会議で同席したイッショルディー郡行政のトップに立つUpazila Nirbahi Officer(UNO)も、原発建設について肯定的に言及していた。

 ループールの原発は2023年に稼働開始の予定だったが、2024~2025年に延期された。原発稼働後も、危機管理のためにロシアなどから来た外国人たちは滞在し続ける。イッショルディー市内に生まれたリトル・ロシアの景観もまた、これらの外国人たちと、それをむかえるバングラデシュ人たちによって維持されていくだろう。


1https://www.susana.org/_resources/documents/default/3-4410-7-1632308333.pdf
2Ali, T., Arnab, I. Z., Bhuiyan, S. I., Hossain, I., & Shidujaman, M. (2013). Feasibility study of RNPP (Rooppur Nuclear Power Project) in Bangladesh. ,Energy and Power Engineering, 5(04), 1526.
3Panov, A. V., Isamov, N. N., Kuznetsov, V. K., & Kurbakov, D. N. (2019). Developing of the radioecological monitoring system of atmospheric air, terrestrial and freshwater ecosystems in the vicinity of Rooppur NPP (People's Republic of Bangladesh). ENVIRA 2019 Proceedings of the 5th International conference on environmental radioactivity. Czech technical university in Prague. 69-73.
4https://www.jaif.or.jp/cms_admin/wp-content/uploads/2019/06/bangladesh_data02.pdf
5前掲1参照。
6https://en.banglapedia.org/index.php/Ishwardi_Upazila
7https://www.thedailystar.net/business/news/ishwardi-epz-yet-reach-potential-2039577
8https://globalvoices.org/2021/11/07/rooppur-little-russia-in-bangladesh/
9https://globe.asahi.com/article/12670100
10前掲8参照。

写真1 ループールで建設中の原発

写真1 ループールで建設中の原発

写真2 原発建設の関係者・専門家の外国人が暮らす集合住宅

写真2 原発建設の関係者・専門家の外国人が暮らす集合住宅

写真3 集合住宅の向かいに立地する商店。英語やベンガル語のなかにロシア語が散見される。

写真3 集合住宅の向かいに立地する商店。英語やベンガル語のなかにロシア語が散見される。

書誌情報
杉江あい「《エッセイ》バングラデシュの都市」『《アジア・日本研究 Webマガジン》アジア・マップ』2, BD.4.01(2024年4月1日掲載)
リンク:https://www.ritsumei.ac.jp/research/aji/asia_map_vol02/bangladesh/essay02/