アジア・マップ Vol.02 | 中国
《総説》
「中国映画」について
「中国映画」と聞いて、どんなイメージが浮かぶだろうか。1980-90年代に国際映画祭を席巻した色彩豊かで芸術性の強いフィルム、2000年代に多く登場したファンタジックな武侠アクション、あるいはプロパガンダ的性格を含んだ戦争映画など、世代や関心の違いによって、その像は様々だろう。実際のところ、「中国映画」という用語それ自体が曖昧なため、ブルース・リー〔李小龍〕やジャッキー・チェン〔成龍〕の印象しか持たない人もいるかもしれない。「中国映画」とは何かという問いに対して、万人が納得できる答えを用意することは難しいが、実はそれこそが「中国映画」の面白さ、幅の広さを示しているのかもしれない。少なくとも、映画というメディアが誕生した19世紀末の時点でイギリスの植民地だった香港、同じく日本の植民地であり、1945年以降中華民国政府の統治下にある台湾、そして1949年以降、社会主義体制が敷かれた大陸それぞれの映画の歴史に明らかな違いがあることは確かである。もちろん相互に関係は深く、特に香港が中国に返還された1997年以降、両者のつながりは強まっているが、ここでは焦点を中華人民共和国の映画に当て、その歴史(および前史)と現状を簡単に紹介することにしたい。
中華人民共和国建国前後から20世紀末まで中国共産党は、日本の敗戦後、満洲映画協会をいち早く接収し、東北映画撮影所(のち長春映画撮影所)を創設したが、国共内戦下の活動はきわめて限られたものであった。劇映画の映画製作が始まるのは1949年に入ってからで、国民党との内戦に勝利した後に、北京や上海をはじめとして、各地に国営の撮影所を設立していった。一方、それまで中国映画の発展を支えてきた民営の映画会社は、1940年代後半においても『春の河、東へ流る』二部作(『一江春水向東流』前後集、蔡楚生・鄭君里監督、1947)や『田舎町の春』(『小城之春』、費穆監督、1949)など、映画史に残るフィルムを生み出していた。建国当初、その創作に一定の自由を認める方針が示されていたが、代表的な映画会社であった崑崙が製作した『武訓伝』二部作(孫瑜監督、1950-51)が毛沢東によって批判の対象となり、映画関係者だけでなく、フィルムに称賛の声を寄せた人々も自己批判を迫られる事態が生じた。これを契機に、民営会社は解体されるか合併の対象となって、わずか数年のうちに国営の上海映画撮影所にすべて吸収された。これ以降しばらくの間、中国映画は国有企業のみが担い手となり、劇映画の題材も、共産党が関わった史実や戦闘、建国後の社会改造など、プロパガンダ的性格の強いものが多くを占めるようになった。ただしすべてが堅苦しいものだったわけではなく、スパイ映画や文学作品の映像化、少数民族の風俗を取り込んだ観光映画に類したものもあったほか、水墨画の技法を取り入れたアニメーションや、有名な舞台俳優による伝統演劇の映像化といった中国ならではのフィルムも製作されている。だが政治的な制約はやはり大きく、とりわけ文化大革命の時期(1966-76年)にそれは浮き彫りになる。まず過去のフィルムのほとんどが批判され、新作の製作も事実上停止に追い込まれた。記録映画やアニメーションを除けば、この時期に製作された最初のフィルムは、模範劇として当時賛美されていた革命現代京劇を映像化した『智取威虎山』(謝鉄驪監督、1970)であり、新作の劇映画の公開は1974年とさらに時間を要した。
政治第一主義と言うべきこうした製作環境が変わるのは、文化大革命が否定され、改革開放政策が導入された1970年代末である。過去との決別を果たすべく、新しい内容や手法を積極的に取り入れようとする動きが広がり、娯楽性を打ち出したフィルムも増加し、観客も映画館に殺到した。しかしテレビ放送の普及や娯楽の多様化など、時代の変化とともに映画人気は次第に衰えていく。しかも、多くの撮影所は市場経済化の流れの速さに即応できず、資金の不足などもあり、製作環境は悪化の一途をたどった。1980年代後半から90年代にかけて、「第五世代」と呼ばれる新しい映画人が世界的に注目され、香港や海外との合作や交流も広がっていたものの、映画産業自体は下り坂へと向かっていたのである。1994年以降、ハリウッド大作が中国でも上映されるようになると、危機感はさらに高まった。こうした状況に際し、政府は製作、配給、上映各方面にわたる各種の改革を断行し、民営企業の参入や市場原理の導入も本格化していく。
21世紀の中国映画中国は2001年、念願だったWTO(World Trade Organization 世界貿易機関)加盟を果たした。このようにグローバル化が進む中、「第五世代」の代表であったチャン・イーモウ〔張芸謀〕は、視覚に訴える武侠映画『HERO』(『英雄』、2002)を監督し、国内外で高い興行成績を挙げた。さらに、ツイ・ハーク〔徐克〕やピーター・チャン〔陳可辛〕など、香港映画界で活躍してきた有名監督が次々と中国に進出したこともあり、商業性を重視した大作が市場をにぎわせていった。中国経済の成長とともに、生活にゆとりのある層が多く映画館に向かうようになり、さらに映画界に対する投資も増えたことで、中国映画は斜陽化の危機から一転、巨大産業への道を突き進んでいく。
しかしコロナ禍は、長期間にわたる映画館の営業停止など、中国映画に大きな影響を与えた。落ち込んだ客足を取り戻そうと様々な方策がとられ、ファンミーティングの実施やSNSの活用など多角的な宣伝活動も盛んである。一方、中国市場で大きな存在感を示していたハリウッド映画の人気は減退気味で、相対的に国産映画の勢いが増している。大ヒットを挙げたジャンルとして目につくのは、朝鮮戦争を題材とした『1950 鋼の第7中隊』(『長津湖』、チェン・カイコー〔陳凱歌〕・ダンテ・ラム〔林超賢〕・ツイ・ハーク監督、2021)など、「主旋律」と呼ばれるプロパガンダ映画や、肩肘張らずに楽しめる『こんにちは、私のお母さん』(『你好,李煥英』、賈玲監督、2021)などの喜劇映画である。これらは外国映画による代替が難しいジャンルでもあり、中国市場にターゲットを絞った同様のフィルムが今後も一定の支持を受ける可能性は高い。
ただその一方で、日本の『THE FIRST SLAM DUNK』(井上雄彦監督、2023)や『すずめの戸締り』(新海誠監督、2023)が大ヒットしたように、国産のコンテンツと競合しない領域で強みを発揮する外国映画が依然として高い集客力を持つことも証明されている。観客の細分化がさらに広がれば、国内、海外を問わず、一定の質を有する様々なタイプのフィルムが、中国市場で予想を超えたヒットを飛ばす例は増えていくだろう。将来的には、中国でヒットしたのち、日本を含む世界の市場に飛び火する、といったトレンドが生まれないとも限らない。
中国映画は今のところ海外志向は薄いが、日本で利用できる動画配信サービスでも、中国映画のラインナップは、新しいフィルムを中心に広がりつつある。2024年2月時点で、SF映画大作の『流転の地球』(『流浪地球』、郭帆監督、2019)、若者たちの恋愛と苦悩を描いた『少年の君』(『少年的你』、デレク・ツァン〔曽国祥〕監督、2019)や『あなたがここにいてほしい』(『我要我們在一起』、沙漠監督、2021)、『ザ・マジックアワー』(三谷幸喜監督、2008)のリメイクである喜劇映画『トゥ・クール・トゥ・キル 〜殺せない殺し屋〜』(『這個殺手不太冷静』、邢文雄監督、2022)、サスペンスの『妻消えて』(『消失的她』、崔睿・劉翔監督、2023)、CGアニメの『白蛇:縁起』(黄家康・趙霽監督、2019)などが提供されているので、「中国映画」と特に意識せずに鑑賞してみるのも一興だろう。また、人気の推理コメディシリーズの第3弾『唐人街探偵 東京MISSION』(『唐人街探案3』、陳思誠監督、2020)は、東京を舞台に、日本の有名俳優を大量に起用した娯楽作で、中国式のブロックバスターの勢いを十二分に感じられるはずである。そのほか、国際的に高い評価を受けた『ロングデイズ・ジャーニー この夜の涯てへ』(『地球最後的夜晩』、ビー・ガン〔畢贛〕監督、2018)や『象は静かに座っている』(『大象席地而坐』、胡波監督、2018)、作家性の高いフィルムを撮り続けているロウ・イエ〔婁燁〕監督の『ブラインド・マッサージ』(『推拿』、2014)や『シャドウプレイ【完全版】』(『風中有朶雨做的雲』、2019)なども見逃せない。
実際に現地へ渡るためにいまだ様々なハードルが残る状況下において、映画は比較的容易に触れられるコンテンツであり、メディアであり、芸術である。オンラインや映像ソフトもあるが、全国各地の映画祭でも中国映画の上映は増えているので、様々な機会を利用して、変化する中国の今を感じてみるのはいかがだろうか。
阿部範之《総説》「『中国映画』について」『アジア・マップ:アジア・日本研究Webマガジン』Vol.2, CN.1.03(2024年5月8日掲載)
リンク: https://www.ritsumei.ac.jp/research/aji/asia_map_vol02/china/country/