アジア・マップ Vol.02 | 中国
《総説》
中国文学と東アジア漢字圏の文化交流
東アジア漢字圏の文化は、漢字や漢文をベースに発展してきた文化である。この文化圏は近代に至るまで、漢字が生まれた中国、朝鮮半島、日本、ベトナムなどの諸地域を含んでいた。今日では、漢字を使用していない国もあるが、漢字に起源がある語彙の使用や歴史的な文化伝統としての影響は続いている。
東アジア諸国は漢字と漢字文化を積極的に吸収し、自国文化発展の基礎とし、それぞれ独自の文化を成熟させた。それと同時に、中国文化は漢字によって多くの国や地域に伝播し、独特な文化の交流を行ったのである。中国を中心とした漢字文化圏においては、文化の伝播、継承と再創造はもちろん、文化における「交流」という現象にも注意を払う必要がある。
東アジア漢字圏における早期の「交流」はおよそ政治、経済、交易に関わるものだった。交流手段としては、筆談や手紙において詩文の交換をすることであった。換言すれば、その過程で、文学というものは政治的な機能を発揮したのであり、文学における交流の多寡は国と国との交流の強度に深く関わることを意味する。さらに、長い歴史の流れから見れば、漢字文化圏の中心に位置する中国文学はまさにそのような役割を担っていたと言える。
ここで根本的な問題に戻るが、文字の誕生はさておき、そもそも中国文学というものはどのように発生したのだろうか。前野直彬は下記のように述べている(『中国文学史』,2000)。
ここで記載されているように、早期の中国文学は自然崇拝、音楽、歌謡や舞踊と深く関わることを読み解くことができる。筆者の研究分野である詞は、填詞(詞を作る)ともいい、「唐詩」より後代、すなわち宋代(960-1279、以下、年号は西暦で示す)に隆盛を極めた韻文形式の「宋詞」を指す。宋詞の起源及び東アジアの他国に伝播したものは、やはり音楽、歌謡や舞踊と切り離することができない。
1.東アジア漢字圏における中国文学の流伝―早期の宋詞伝播
まずは中国の詞が日本に伝来した様相と日本における創作について述べておく。唐詩もほぼ同じ状況であるが、早期の詞が日本にどのように将来されてきたかについては、明確な記載が残されていない。しかし、一般的には遣唐使が抄録や口頭による伝達で彼土の最新の作品をもたらしたと考えられる。よく知られている填詞の初期の作品としては、嵯峨天皇(786-842)が唐代の張志和(732-774)の作品を模倣して作った填詞作品「漁歌」である(『経国集』巻十四所収)。後に有智子内親王(807-847)の奉和作、兼明親王(914-987)の白居易の作品を模倣して作成した填詞が現れた。もちろん、その背景には日本と中国との政治における交流があったことは言うまでもない。
つぎに、韓国の場合であるが、韓国では歌唱された詞が音楽と共に伝わった。現存する最も早い詞についての記録が残されており、高麗宣宗(1084-1094在位)が遼国の使節を招待するために作った「賀聖朝詞」(『高麗史』・「宣宗世家」所収)がそれである。宋王朝は高麗に音楽を贈った(「賜楽」という)。すなわち高麗に中国の音楽と演奏者を派遣したことがある(『太宗大王実録』巻22)。その音楽者たちは高麗に入ってから、「教坊」(音楽の学校)を設立して中国の音楽を教え、高麗の弟子たちは「踏沙行」(詞調名)等を演じた(『高麗史』巻71)実例が見られる。
最後に同じく漢字文化圏に属するベトナムの詞についてであるが、現存する最も早い作例は、匡越禅師(933-1011)が九八七年に作成した「王郎帰」(詞調名『阮郎帰』)であり、宋王朝の使者李覚への餞別に与えられたものである。その後、長い時を経て阮朝(1802-1945)の皇子阮綿審(1819-1870)の『鼓枻詞』に至りベトナムの詞は最高の成就を果たす。阮朝の前に西山朝(1788-1802)があり、西山朝は中国の清王朝と深く関わった。乾隆帝の八十歳を祝う八旬万寿盛典の際に、西山朝の使節が詞十闋を献上している(平塚順良,2017)。
上記のように、早期の詞は東アジア漢字圏の国同士の交流、使節の往来と密接に関係しながら、上流階級に流伝し、政治的な機能を果したと言える。共通した漢字漢文の使用はそれを実現するための前提である。
2.東アジア漢字圏における中国文学―詞文献の伝来による文化交流
東アジア文化圏において、漢字を共有することは紛れもない事実である。漢字をベースに発展してきた文学や前述の詞も共有される文学世界の一端であり、東アジアに共通する文学事象でもある。そのうち、漢字文化の流通と発展に欠かせない媒体である書籍は大きな役割を果たした。この書籍は「漢籍、漢詩文、漢訳仏典・注疏、史書、伝記、霊験記、唱導系、類書、小説等々の諸ジャンルに関わる。まさに東アジアで共有された漢文文化の所産である」(小峯和明,2021)。
まずは、日本や韓国に流通した詞をめぐる文献(詞籍)について述べる。日本の学僧の入宋、宋王朝と高麗朝(918-1392)との交流が頻繁に行われたが、詞文献の流入は少なかった。おそらく当時の学僧にとつては、晩唐18家の五百首の詞を収録した中国最古の詞総集『花間集』の影響が強く、詞は男女の離情や女性の美態を歌い、その用語は艶麗を極めるものだと認識しているからであろう。南宋時代に入宋僧に持ち帰られた詞籍は『注坡詞』『東坡長短句』(「普門院経論章疎語録儒書等目録」)である。当時の五山禅林(五つの臨済宗の大寺院)を始めとする知識人は主に『花間集』、詩話(『冷斎夜話』、『詩人玉屑』等)、類書(『錦繡萬花谷』、『事林広記』等)、韻書(『韻府群玉』、『古今韻会挙要』等)、地理書(『方輿勝覧』等)を通じて詞に関する知識を摂取した。
興味深いことに、1253年に成書した道元著『正眼法蔵』を契機に、五山僧は蘇軾(東坡)の詞への解読を始めた。蘇軾は日本の五山文学に大きな影響を与えただけでなく、高麗中葉からの韓国の文学(詞学)においても特筆すべき存在である。詞籍がいつ韓国に伝わったのかについては資料が残されていないため、明らかではないが、蘇軾の作品集は生前(1037-1101)に既に高麗の使者によって購入されており、朝鮮に持ち帰られた宋人の記録が残っている(蘇頌『蘇魏公文集』巻十)。
漢籍が大量に日本や韓国に輸入したのは、江戸時代からであった。政治的な要素が減少するとともに、中国文化の載体である書籍への需要が高まっていた(大庭修,1967)。同時に漢籍の翻刻本、和刻本の出版が盛んになった。中国から日本、韓国のみならず、日韓の間にも書籍を通じての文化交流が見られる。朝鮮刊本による江戸前期刊本『須溪先生評點簡齋詩集』(巻十五附『無住詞』)がその一例である。筆者が事例研究とし―注目している詞総集『詞綜』は、天明二年(1782)に既に日本に舶来したのであり、明治漢詩壇の第一人である森槐南(1863-1911)や久保天随(1875―1934)等の日本文学者はそれらの詞籍を参考書として通覧し、朱筆を施した。
一方、韓国では、高麗・朝鮮期に、詞人134名、詞の作品1031首が残っており、李奎報(1169-1241、著書『東國李相国集』53巻)、李斉賢(1287-1367、『益斎乱稿』)のような代表的な詞人が現れ、後の文壇における填詞の道を切り開いたと言える。しかし、当時の知識人にとって、中国の宋詞は「艶科」であるという認識の影響を受けながら、音楽と緊密に関わり、填詞の際は音律に叶わなければならないという規則上の難問も存在していた。それゆえ、詞は唐詩ほど広く伝わらなかった。このような詞学研究の状況について、韓国の学者車柱環、柳己洙、柳基栄らが韓国の文学や詞学への宋詞の影響につい―優れた業績を挙げたものの、日本と同様に、基礎研究としての各時代に将来された詞籍の詳細状況と流伝過程はまだ明らかにされていない状態である。
ベトナムでは、匡越禅師による填詞の開幕から19世紀末まで、明確な記載が残される詞人は約10人、詞の作品約130首が残っている。ベトナムの詞人や詞集についての研究は中国の学者夏承焘から始まった。後に中国とベトナムの学者何僊年や彭黎明、阮瓊花が詞の研究を推進した。詞文献の整理においては、劉春銀・王小盾・陳義主編の『越南漢喃文獻目録提要』(2002-2004)があり、詩詞集6部、詞の作品139首が紹介されている。とはいえ、ベトナムの詞に対する研究はまだ端緒にあると言わざるを得ない。
染谷智幸は「文学研究とは、森羅万象を、事実の指摘やその考察のみならず、人間の想像力を基にした詩歌・物語などから心意伝承に至るまでを扱い、多面的で豊かな視点から、人間やその社会を模索することにある。」(2021)と述べており、また「はじめ交流ありき―東アジアの文化と異文化交流」(文学通信,2021)という序文の中で、「日本の古典文学研究が、アジアや東アジアに目を配る時、中国から日本への線条的、かつ一方通行的影響の検証に終始してきた」と述べ、「その弊害として朝鮮やベトナムなどの他の周辺文化の見落としがある」と述べている。東アジア漢字圏における詞学の研究は、まさに同問題に直面している。詞学研究においては、中国文学の享受や受容の視点でのみ検討するのではなく、東アジア漢字圏に位置づけて読み直すことと、東アジアの文化交流の観点から、多方面の交流の様相を見極めることが喫緊の課題である。そうすることで、東アジアの文化交流の実態が今後いっそう浮かび上がってくることを期待したい。
参考文献
前野直彬編(2000)『中国文学史』,東京大学出版社,1975年初版。 pp1。
平塚順良(2017)『ベトナム西山朝の潘輝益と詞牌楽春風』,『風絮』(14)12。pp149-150。
染谷智幸編(2021)『はじめ交流ありき 東アジアの文化と異文化交流』,『東アジア文化講座1』,文学通信。
金文京編(2021)『漢字を使った文化はどう広がっていたのか 東アジアの漢字漢文文化圏』,『東アジア文化講座2』,文学通信。
小峯和明編(2021)『東アジアに共有される文学世界 東アジアの文学圏』,『東アジア文化講座3』 文学通信。
大庭修(1967)『江戸時代における唐船持渡書研究』関西大学東西学術研究所。
譚正璧著・立仙憲一郎訳(1941)『支那文学史』人文閣。
馬里揚(2020)『詞史考微』社会科学文献出版社。
神田喜一郎(1965)『日本における中国文学Ⅰ』二玄社。
劉春銀・王小盾・陳義主編(2002―2004)『越南漢喃文獻目録提要』臺北中央研究院中國文哲研究所。
靳春雨(2023)『中国・日本の詩と詞―『燕喜詞』研究と日本人の詩詞受容』朋友書店。
靳春雨《総説》「中国文学と東アジア漢字圏の文化交流」『アジア・マップ:アジア・日本研究Webマガジン』Vol.2, CN.1.02(2024年6月19日掲載)
リンク: https://www.ritsumei.ac.jp/research/aji/asia_map_vol02/china/country2/