アジア・マップ Vol.02 | インド

インドと私:インドの清掃を担う人びと

増木優衣(筑波大学人文社会系・日本学術振興会特別研究員(PD))

 私がインドの研究1に携わるようになってから、かれこれ10年以上が経過した。新型コロナ感染症の影響で、しばらくインドを訪れることができなかったが、この度2024年になって、実に約4年ぶりに渡印の機会に恵まれた。久しぶりのインドは、以前とは打って変わったところがたくさんあった。なかでも、一番変化が顕著だったのは、経済成長だといえるだろう。すさまじいスピードで成長を遂げているのは、何も大都市だけではなく、むしろ小さな町の方かもしれないといえるほど、市街地では様々な店を見かけるようになった。

 著しい人口増加と、経済発展。当たり前のことであるが、それに伴ってインドの街中では、日々排出されるごみの量も増えている。インドでは、かねてより公衆衛生問題が喫緊の課題として認識されてきたが、国を挙げて抜本的な対策が取られるようになったのは、ここ10年ほどのことである。2014年に、インド中央政府は「クリーン・インディア・ミッション(ヒンディー語ではSwachh Bharat Mission、以下「クリーン・インディア」と表記)」という、大々的な公衆衛生キャンペーンに着手した。都市部では、野外排泄や、手作業でのし尿回収・処理の廃絶が、農村部では、トイレの設置に対する資金援助のほか、サニテーションに関する啓発活動の実施やシステム構築が目指された2。各地で公衆衛生推進のための多様な設備が導入されるとともに、市街地にも公衆衛生のスローガンが描かれた、ストリートアートのようなものが増えていった。

写真1:市街地に描かれた公衆衛生のスローガンの一例。ヒンディー語で、「清潔なトーンク市、健康なトーンク市」と書かれている。(トーンク、2024年)

写真1:市街地に描かれた公衆衛生のスローガンの一例。ヒンディー語で、「清潔なトーンク市、健康なトーンク市」と書かれている。(トーンク、2024年)

写真2:現在使用されているごみ収集トラックの一例。車体に「Clean Up! (きれいに清掃しよう!)」とある。(ムンバイ、2024年)

写真2:現在使用されているごみ収集トラックの一例。車体に「Clean Up! (きれいに清掃しよう!)」とある。(ムンバイ、2024年)

 ここで忘れてはいけないのは、公衆衛生を促進するためには、資金や設備、種々のアウェアネス・プログラムだけではなく、人的資源が必要であるということである。「クリーン・インディア」が始まってから、自治体に雇用される清掃人の数は著しく増加した。町の掃除を担う人びと――。それは、課題を抱え、その解決が目指され続けてきたインドの公衆衛生を、社会の末端で支えてきた人びとである。彼らの多くは、ダリトに属する人びとであるとされている。「ダリト」とは、古くは「不可触民」と呼ばれてきた人びとが、20世紀後半以降、自らを示す用語として採用してきた言葉であり、今日のメディアや学術、社会運動等においてはこの言葉が用いられている。

 そして、私が研究対象としてきたのは、ダリトの中でも、トイレ掃除や道路清掃、その他あらゆる清掃労働にその多くが従事してきたとされる、いわゆる「清掃人カースト」と呼ばれるコミュニティー出身の人びとである。「清掃人カースト」と一括りにいっても、そこには、カースト、出身地域、宗教、言語などが異なる様々な社会集団が含まれている3

 私が頻繁に訪れてきた、インド北西部・ラージャスターン州の小都市に住む清掃人カーストの人びとは、「ヴァールミーキ」という名で呼ばれるヒンドゥー教徒である。一方で、たとえば、インド中部の清掃人カーストには、イスラーム教徒(ムスリム)出身の「ヘーラー」に属する人びとがいる。また、南インドの清掃人カーストは、「マーディガ」「トーティ」と呼ばれるとされる(篠田 1995)。

 なお、「清掃人カースト」と清掃業との関連については、それが歴史的に強化されたステレオタイプであり、かつそのようなステレオタイプが、清掃人の側によっても戦略的に応用されることで実体化していったことが、最近の研究から実証的に明らかにされている。たとえばイギリス統治期のデリーでは、都市の公衆衛生が促進された際、もとは農村部で農業労働等に従事していた特定のダリトが、自治体の清掃職員として雇用されることになった背景がある(Prashad 2000)。そして、清掃人の人びとは彼らにとって「安定した職」である清掃業に、積極的に従事してきたのである(Prashad 2000)。

 清掃人カーストの人びとは、インドの清掃業の大部分を担ってきた人びとであるが、現在では、彼ら以外のダリト出身者も清掃業に従事している。とりわけ、「クリーン・インディア」以降、清掃人カースト以外の出身者を、自治体の清掃職員として雇用する動きが、各地で広がっていった。このような流れに対して、清掃人カーストの側から、自治体に対する抗議運動が展開されたことは、特筆すべきことである。たしかに、清掃人カーストの人びとの中には、一方で「不潔」な清掃業に従事しているとして、そして他方で「不可触民」の出身であるとして、社会的差別を経験してきた人びとがおり、その数は決して少なくはない。しかし、それとともに、彼らが清掃業を自らの特権として、かつ生存基盤を保証するものとみなし、積極的に清掃業に従事してきたということも、また事実だからである。

 インド全域で公衆衛生運動が高揚するなかで、自治体の清掃職における清掃人カーストの重要性は、今日では少しずつ弱まっているとの認識が、一部の清掃人カーストのなかで共有されているようである。以前は彼らの特権であった清掃業は、徐々にその姿を変えてきているのである。清掃人カーストと、清掃業、そして公衆衛生。互いに切り離せない3つの関係性は、経済成長が進むインドでどのような変化を遂げるのか、今後も注視していきたいと思っている。

写真3:道路清掃に従事する清掃人が用いる清掃用具の一例。回収したごみを入れる手押し車のほか、ほうきとちりとりが見える。(ディウ、2024年)

写真3:道路清掃に従事する清掃人が用いる清掃用具の一例。回収したごみを入れる手押し車の中に、ほうきとちりとりが見える。(ディウ、2024年)

1私の研究テーマは、インドの清掃人カーストについてである。本文は、増木(2023a, 2023b)の内容を踏まえて書かれている。ここでは触れていない、清掃人カーストの労働実践や、インドにおけるトイレ・システムの変遷に関する、文化人類学的視点からのより詳細な記述については、増木(2023a, 2023b)を参照されたい。
2Government of India, Ministry of Drinking Water and Sanitation, Guidelines for Swachh Bharat Mission (Gramin), 2018, p. 9およびGovernment of India, Ministry of Housing and Urban Affairs, Guidelines for Swachh Bharat Mission: Urban, 2017, p. 9.
3「清掃人カースト」に属する人びとについては、彼らが「清掃人カースト」として分類されてきた歴史や、「清掃人カースト」すべてが清掃業に従事してきたわけではないという事実を知っておく必要があるが、ここでは便宜上、「清掃人カースト」という言葉を用いている。ただし、このことは、「清掃人カースト」と呼ばれる人びとがもつ、歴史的かつ社会文化的な多様性を否定するわけではないことを、ここで断っておきたい。

【参考文献】
Government of India, Ministry of Housing and Urban Affairs, 2017, Guidelines for Swachh Bharat Mission: Urban.PDFファイル (2024年4月1日アクセス)
Government of India, Ministry of Drinking Water and Sanitation, 2018, Guidelines for Swachh Bharat Mission (Gramin). PDFファイル (2024年4月1日アクセス)
Prashad, Vijay, 2000, Untouchable Freedom: Social History of a Dalit Community, New Delhi: Oxford University Press.
篠田隆, 1995, 『インドの清掃人カースト研究』春秋社.
増木優衣, 2023a, 『ヴァールミーキはどこへ行けばよいのか―現代インドの清掃人カースト差別と公衆衛生の民族誌』春風社.
―――, 2023b, 「サニテーション労働とカースト―インドの事例から」中尾世治・牛島健編『社会・文化からみたサニテーション』(講座サニテーション学2)北海道大学出版会:143-173.


書誌情報
増木優衣「インドと私」『《アジア・日本研究 Webマガジン》アジア・マップ』2, IN.2.01(2024年00月00日掲載)
リンク: https://www.ritsumei.ac.jp/research/aji/asia_map_vol02/india/essay01/