アジア・マップ Vol.02 | イラン
《総説》
イラン映画がうつしだす女性と社会:日本公開作品を中心に
芸術性の高さで国際的な評価も高いイラン映画。ガージャール朝末期に国王モザッファロッディーン・シャー(在1896-1907)がヨーロッパ外遊中、リュミエール兄弟に発明されて間もないシネマトグラフに出会い、お抱え写真師のMīrzā Ebrāhīm Khānに欧州旅行を撮影させたことがその始まりだとされる。製作地がイランの映画、あるいはイラン人監督の映画を「イラン映画」と定義すると、日本での軌跡はゴルパリアン氏の自伝『映画の旅びと(2021)』を読むとよく分かる。彼女はイラン革命(1979)直後に来日し、Mohsen Makhmalbāf監督の『サイクリスト(1989)』を契機に日本公開のイラン映画ほぼ全ての字幕翻訳に携わった。Makhmalbāfや‘Abbās Kiyārostamīをはじめ、Amīr Nāderī、Majīd Majīdī、Abo-l-fazl Jalīlī、Kamāl Tabrīzī、Ja‘far Panāhī、Bahman Ghobādī、Asghar Farhādīといった名だたるイラン人監督の通訳・アシスタントを務め、日本各地の映画祭でイラン映画を紹介してきた。イラン映画の普及に大きく貢献した映画プロデューサーでもあり、日本・イラン合作映画『ホテルニュームーン(筒井武文監督、2019)』も製作している。
日本とイランの映画関係者たちは『風の絨毯(Kamāl Tabrīzī監督、2003)』『ハーフェズ:ペルシャの詩(Abo-l-fazl Jalīlī監督、2007)』『オン・ザ・ゼロ・ライン:赤道の上で(神保慶政監督、2022)』などの合作映画を通じ交流を重ねてきた。日本で最も有名な‘Abbās Kiyārostamī監督にも『旅の途中で(2002)』という合作がある。イラン映画が玄人筋に着目される契機となったのは「ジグザク道三部作」として知られる『友達のうちはどこ?(1987)』『そして人生はつづく(1991)』『オリーブの林をぬけて(1994)』や『トラベラー(1974)』『桜桃の味(1997)』『風が吹くまま(1999)』などのKiyārostamī監督作品であり、1990年代に次々と日本で公開された。晩年に彼が欧州で製作した『トスカーナの贋作(2010)』『ライク・サムワン・イン・ラブ(2012)』も日本で劇場公開され、作品の多くは現在、サブスクでも視聴できる。
イラン映画は日本でも高い評価を得て、ユーロスペースやBunkamura(ル・シネマ)などミニシアター系劇場で、毎年のように劇場公開されるようになった。東京国際映画祭、東京フィルメックス、難民映画祭、山形国際ドキュメンタリー映画祭などでも上映され、イラン映画特集が組まれることもある。在京イラン大使館が開催するイラン映画祭や、2015年に始まったイスラーム映画祭でも多くのイラン映画を鑑賞できる。日本イラン文化交流協会の景山咲子事務局長は、日本で上映される様々なイラン映画について多くの紹介文を記しており、必読に値する。『イラン映画をみに行こう(2002)』には2000年頃までに日本で公開された映画がリスト化されている。それ以降については「イスラーム映画祭」の公式ガイドブック『映画で旅するイスラーム(2018)』を見て欲しい。
政治や外交に左右されるイラン映画歴史的に映画は政治の道具とされることが多かったが、イラン映画もご多分に漏れず、時の政権に翻弄されてきた。パフラヴィー朝期に世俗化・西洋化が進んだが、イラン革命後はイスラーム法の重要性が復活し、映画をはじめとする芸術作品はイスラーム法の観点から制約を受けるようになった。だが制約があるからこそ芸術性が高まったとされ、『友達のうちはどこ?』に見られるように、子どもを主人公にすることで活路が見出されたことはよく知られる。
他方でイラン革命後、文化・イスラーム指導省がイスラーム法の観点から検閲して撮影禁止や上映禁止を命じるなどイラン映画協会と対立するようになり、検閲に抗議してイランを離れる監督や俳優も増えた。反体制的なプロパガンダを理由に懲役6年と映画製作20年間禁止を言い渡されたJa‘far Panāhī監督作品も日本で多く公開されている。彼はドキュメンタリー映画『これは映画ではない(2011)』で自宅軟禁生活を、『人生タクシー(2015)』で情報統制の現状を批判的に描き、『熊は、いない(2022)』発表後にイラン当局により収監された。一方、彼が製作として関わった『君は行く先を知らない(2021)』は息子Panāh Panāhīの監督作だが、本作の試写会が2023年に在日イラン大使館で実施されている。
Mohsen Makhmalbāf監督は、2005年のイラン大統領選挙後にイランを離れ、2009年の大統領選挙以降パリに居住している。規制を避けるためタジキスタンで撮影した『サイレンス(1998)』、「アラブの春」を機に脚本を書き直した『独裁者と小さな孫(2014)』などが日本で公開された。イランのテュルク(トルコ)系遊牧民が織るギャッベがモチーフの『ギャべ(1996)』は東京国際映画祭で最優秀芸術貢献賞を受賞している。マイノリティや難民に向ける眼差しがよく現れているのが、9.11後のアフガニスタンを扱う映画だ。同監督の言説をまとめた『アフガニスタンの仏像は破壊されたのではない(2001)』刊行と同じ頃、ターリバーン政権下のアフガニスタンからカナダに亡命した女性ジャーナリストを主人公にした『カンダハール(2001)』が発表された。Makhmalbāf監督の妻や娘もマイノリティや難民を扱う映画を監督している。妻Marzīyeh Meshkīnīは『ストレイドッグス:家なき子供たち』で母親が収監されたアフガニスタンの子どもたちを、長女Samīrā Makhmalbāfは『ブラック・ボード:背負う人(2000)』でクルド人の子どもたちのため黒板を背負って教える辺境地帯の教師を描いた。次女Hanā Makhmalbāfはハザーラ人の子どもを主人公とする『子供の情景(2007)』を監督している。モンゴル系のハザーラ人は、シーア派12イマーム派を信奉しダリー語を話すアフガニスタンの少数民族である。
東京国際映画祭でアジアの未来作品賞を受賞したAmīr-hosein ‘Asgarī監督作『ボーダレス:ぼくの船の国境線(2014)』は、イラクとの国境地帯の川に浮かぶ廃船で魚介を換金して暮らすイラン人少年と対岸から来たイラク少女兵の物語だ。Ebrāhīm Hātamī-kiyā監督の『ダマスカス(2018)』はダーイシュ(IS, ISIS)が猛威を振るうシリアから難民たちを救おうと奮闘するイラン空軍パイロットの物語で、在日イラン大使館のイラン映画祭でも上映された迫力作である。
国際政治の文脈から語られがちなイランであるが、イラン革命と米大使館占拠人質事件、9・11後の反体制派によるイラン核問題の暴露などにより、米欧の同国に向ける眼差しは厳しくなった。革命以降、シーア派12イマーム派のジャアファル法学派イスラーム法の重要性が復活し、女性たちは公の場でのヘジャーブ着用を強制されている。ヘジャーブはアラビア語のヒジャーブ由来で、イランの場合は髪を隠す被り物(スカーフやショールなど)と体の線を隠す長衣の総称だ。Amnesty InternationalやHuman Rights Watchのような国際人権団体はイランの人権状況、特に女性の状況に厳しい目を向ける。シーリーン・エバーディー弁護士以来、イラン女性として20年ぶり2度目となる人権活動家ナルゲス・モハンマディ氏のノーベル平和賞受賞(2023)は、米や西欧のイランに対する厳しい眼差しを示唆する象徴的な事象でもあり、2022年に宗教警察に拘束されたクルド系イラン女性の死亡に起因するヒジャーブ抗議運動にも関係している。
映画がうつしだすイラン社会と女性明治期以降は欧化策、第二次世界大戦後はAmericanizationが顕著な日本でも、マス・メディアの報道は米や西欧の通信社が情報源である。従って、米欧ほどではないにしても、イランを含む中東・イスラーム世界やその人びとにネガティヴなイメージを抱く日本人は多いだろう。だが筆者は、イラン人ほど現実とイメージが乖離している人々は他にないと感じる。日本やイラン留学などで筆者がこれまで出会ったイランの人びと、とりわけ女性たちは皆、心温かく優しい面倒見の良い人たちばかりだからだ。そのため学生たちには、少しでもイラン社会の実情や普通の人々の日常生活、特に女性たちの現状を理解してほしい、その良い題材は写真や映像なのではないか、イランに関してはその芸術性の高さもあり、映画を教材とすることで、イラン社会やその中で生きる女性や若者の実像を学生たちに理解してもらえるのではないか、と考えている。
映画を題材に中東・イスラーム社会を理解しようとする機運が近年高まっている。東京外国語大学TUFS Cinema(https://www.tufs.ac.jp/tufscinema/)、中東映画研究会(https://www.facebook.com/mecinema/)そして『イスラーム・ジェンダー・スタディーズ』を刊行するイスラーム・ジェンダー学科研(http://islam-gender.jp/index.html)などが上映会、映画関連セミナーや講演会に力を入れ、PIN(プラットフォーム・イラン=日本)も公開セミナー『鈴木均の映画随想』を開講している。
イラン社会と映画に関する最も重要な研究成果として第一に紹介したいのが、トヨタ財団2012年度研究助成プログラム報告書『革命後イランにおける映画と社会(2014)』である。鈴木均「イランの映画史」、ケイワン・アブドリ「イランにおける映画産業の発展史」、貫井万里「イラン革命後の映画製作と映画人の系譜」、椿原敦子「在外イラン人コミュニティにおけるイラン映画」など同書掲載の論考はいずれもイラン映画研究を志す者には必読である。同書には「現代イラン映画に描かれたシングルマザーの境涯」[エルミラ・ダードヴァル(著)、中村菜穂(訳)]とNaghme Samini, “Five Statements and Their Contradictions: Iranian Women Directors after the Islamic Revolution: Challenges and Approaches”といった女性に関する論文も掲載されている。同書と関連し、早稲田大学イスラーム地域研究機構による国際シンポジウム「革命後のイランにおける映画と社会:権威主義体制下の娯楽と抵抗の文化(2014/7/5)」が開催された。このシンポジムでには、講師として脚本家・劇作家のNaghmeh Samīnīテヘラン大学准教授やMonā Zandī Haqīqī (Haghīghī)監督など、イラン映画産業で活躍する著名な女性たちが招かれ、女性が直面する諸問題の世代間による差異やその変遷などを語り、同時期の中東映画研究会でもMonā監督の『金曜の午後に(2006)』が取り上げられた。
既述の著名監督たちもイラン社会を生きる女性や若者たちの現状をリアルに映し出してきた。筆者が最も好きなのは、自身のイラン留学とも密接にリンクする『ペルシャ猫を誰も知らない(2009)』と『オフサイド・ガールズ(2006)』である。Bahman Ghobādī監督の『ペルシャ猫を誰も知らない』はロック・ポップ・ヒップホップなど西洋音楽が制限されるテヘランで夢を叶えるためにアンダー・グラウンドで奮闘する若者たちの物語だ。Ja‘far Panāhī監督は『チャドルと生きる(2000)』で制約されるイラン女性の現状を、『オフサイド・ガールズ』でも男女の空間分離や都市部と農村部の格差、若者たちの生きづらさを描いた。「日本の女性たちは(アーザーディー・スタジアムで男性たちと一緒にW杯予選を)観戦していたのに、私たちはなぜいけないの?」というイラン女性たちの台詞に筆者は申し訳ない気持ちで一杯になった。なぜなら筆者自身がまさにその日本人女性のうちの1人だったからである。山岸(2015)も参照して欲しい。
重層的で複雑な現代イラン社会と女性のリアルMarzīyeh Meshkīnī監督の『私が女になった日(2000)』はイスラーム法により9歳で成人するイラン女性たちがヒジャーブ着用慣行と男女の空間分離という社会規範にどのように向き合っているのかを知るために、とても良い題材である。なお、ダリー語はアフガニスタンのペルシャ語であり、言語が共通することもあって、Makhmalbāf一家以外にも多くのイラン人監督が同地の女性や子どもを題材とする秀作を製作している。テヘランの建設現場で少年のふりをして懸命に働くアフガニスタン難民の少女を扱ったMajīd Majīdī『少女の髪どめ(2001)』や、イラン女性であるRokhsāreh Ghā’em-maghāmī監督の『ソニータ(2015)』をお勧めしたい。テヘランに避難しつつヒップホップ歌手になる夢を叶えようと奮闘するアフガン少女ソニータのドキュメンタリー映画で、難民映画祭でも上映され、短縮版が2016年8月にNHK BS1でも放送された。イラン人女性監督ら撮影クルーと部族社会の伝統が根強いアフガニスタンから来たソニータの母親の間で、女性観や結婚観に大きな齟齬があることがわかる。『映画でみる移民/難民/レイシズム』(中村一成、影書房、2019)で言及された作品や難民映画祭とともに、着目してほしい。
さらに近年の日本公開作のうち着目すべきものを紹介したい。Mahrdād Oskouī監督のドキュメンタリー『少女は夜明けに夢を見る(2016)』には、殺人・麻薬・売春などで投獄された当事者の少女たち本人が登場する。Behtāsh Sanā‘ī-hā監督の『白い牛のバラッド(2020)』は女性を主人公とする秀逸なサスペンスだ。‘Alī Abbāsī監督の『聖地には蜘蛛が巣を張る(2022)』はシーア派参詣地・学術都市マシュハドで実際に起きた娼婦殺人事件がモデルの衝撃作である。上記はいずれも日本公開された。なお日本では劇場公開されていないが、テヘランの女性3人とミュージシャンの男性が厳格なイスラーム法に抗おうともがく姿を描くアニメーション映画『Tehran Taboo(Alī Sūzandeh監督、2017)』もある。
筆者が最も推奨したいのがAsghar Farhādī監督の作品だ。近年でも欧州製作の『ある過去の行方(2013)』『誰もがそれを知っている(2019)』『英雄の証明(2021)』などが日本で劇場公開されている。イラン女性と彼女らを取り巻く社会を理解する上で特に重要なのは『彼女が消えた浜辺(2009)』『別離(2011)』『セールスマン(2016)』だ。『彼女が消えた浜辺(2009)』で第59回ベルリン国際映画祭銀熊賞(監督賞)など、『別離』で第61回ベルリン国際映画祭金熊賞(最高賞)と2つの銀熊賞(女優賞、男優賞)、第84回アカデミー賞外国語映画賞など、『セールスマン』で第89回アカデミー賞外国語映画賞、第69回カンヌ国際映画祭脚本賞など、同監督の作品は多くの国際的映画賞を受賞している。『別離』については貫井・森田(2014)および貫井(2012)、『セールスマン』については山﨑(2017)を参照されたい(以下、ネタバレあり)。タラーネ・アリードゥースティーが『彼女が消えた浜辺』で演じた女性、エリーは「名誉」を回復されることのないまま死んだ。彼女が主人公夫妻の妻を演じた『セールスマン』の場合、犯人の「セールスマン」の「名誉」は辛うじて守られたが、劇中劇『セールスマンの死』が暗示するのは、彼の死である。
歴史的に、イスラーム法に従う婚姻契約(宗教婚)を結んだ夫婦以外の性的関係は「姦通」と見なされる。一族の女性が「姦通を犯した」との誹りを受けると、男性は「名誉」を汚され「恥」と感じる。こうした元来、アラブの部族社会の伝統的慣習だった性的名誉規範は、イスラーム世界に踏襲され、後世には男性主体のイスラーム法学者により正当化されていった。部族社会の伝統が根強いアラブ人と違い、シーア派やペルシャ人が多数派のイランであったとしても、また現代社会の世俗的な都市部の中間層でさえ、こうしたイスラーム法により正当化される社会規範から無縁ではいられない。
近代イランの女性史や教育史を専門に研究してきた筆者は、イラン女性たちが、こうした社会規範に挑戦する姿に着目してきた。彼女らが100年以上悩まされてきたジレンマ――近代性と伝統的慣習の相克――の呪縛から、イランのみならず中東の人々は、未だ解き放たれていない。しかしながら、イラン映画が教えてくれるのは、ステレオタイプ化することでは理解できない重層的で複雑な現代イラン社会、その中で生きる人々の人間関係、そしてリアルな家族や女性の姿であろう。残念ながら「イラン女性はただ抑圧され物言わぬ存在であり、イラン社会は我々が生きている世界とかけ離れている」などと誤解されてきたように思う。だが、そうした見方が真実ではないことに、イラン映画を通して日本の人々が少しでも気づいてくれれば本望である。
参考文献
『イラン映画をみに行こう』ブルースインターアクションズ、2002
ショーレ・ゴルパリアン『映画の旅びと:イランから日本へ』みすず書房、2021
中村一成『映画でみる移民/難民/レイシズム』影書房、2019
貫井万里「イラン映画の中の北と南:価値観と生活空間の境界を越えて」『別離(公式パンフレット)』マジックアワー、2012、13-14頁
貫井万里・杉山隆一(編)『革命後イランにおける映画と社会』早稲田大学イスラーム地域研究機構、2014
貫井万里・森田豊子「1979年革命後のイラン女性と社会変化:2013年成立の家族保護法をめぐって」福原裕二・吉村慎太郎(編)『現代アジアの女性たち:グローバル化社会を生きる』新水社、2014、75-100頁
藤本高之・金子遊(編著)『映画で旅するイスラーム:知られざる世界へ』論創社、2018
モフセン・マフマルバフ(著)、武井みゆき・渡部良子(訳)『アフガニスタンの仏像は破壊されたのではない:恥辱のあまり崩れ落ちたのだ』現代企画室、2001
山岸智子「イラン:急成長する女子サッカー」『アジ研ワールド・トレンド』21-7(237)号、2015、26-27頁
山﨑和美「Review:映画『セールスマン』が映し出す現代イランの家族と女性」『セールスマン(公式パンフレット)』スターサンズ、2017、18-19頁
書誌情報
山﨑和美《総説》「イラン映画がうつしだす女性と社会:日本公開作品を中心に」『アジア・マップ:アジア・日本研究Webマガジン』Vol.2, IR.1.04(2024年6月28日掲載)
リンク:https://www.ritsumei.ac.jp/research/aji/asia_map_vol02/iran/country/