アジア・マップ Vol.02 | イラン

《エッセイ》イランと私
現代イランと哲学

 
松本耿郎(聖トマス大学 名誉教授)

 現代イランは最高指導者アリー・ハーメネイーを頂点にした権威主義体制の支配下にある。この体制を批判することはイラン国内に住む限り非常に難しい。イランの現体制を批判すると、場合によっては批判者にたいして反逆罪が適用され、ややもすれば死刑になる危険性がある。このため知識人や哲学研究者の批判精神は封じられ萎縮している。

 批判精神は「哲学することdoing philosophy」の重要な糧であり、それによって新しい知見や解釈や思想が生まれる。哲学するために重要な要素である批判精神をあからさまに発揮できない状況の中で、それでもなお哲学に従事しようとする者は、伝統的なイスラーム哲学思想や神智学の著作の訓詁注釈に専念するか、あるいはイラン国外に活動の場を移すかのいずれかである。こうした厳しい状況の中で生きる現代イランの哲学者たちが、だからと言って伝統的なイラン・イスラーム思想と決別するかといえば、そのようなことはない。哲学者たちは長いイラン・イスラーム思想史の中に人々が渇望する「自由」、「人権」、「正義」、「平和」、「民主主義」などの普遍的価値を見出そうと努力している。

 2009年にイランを脱出せざるをえなくなったシーリーン・エバーディー(1947年生まれ、2003年ノーベル平和賞受賞者)もそのような人物の一人である。彼女を哲学者と呼ぶことに抵抗を覚える人がいるかもしれない。しかし、彼女は十二イマーム・シーア派の法学を研究し、革命前には裁判官として、革命後は弁護士として、主として弱者、特に女性の人権の擁護のために活動してきた。このため彼女は法学者兼人権擁護の活動家とみなされがちである。しかし、彼女が十二イマーム・シーア派の法学の典籍に自らの信念の根拠を発見し、自らの主張の論理を組みたてていく思索の過程はまさしく哲学者と呼ぶに相応しい。しかも、彼女の思惟活動のエネルギーの源は、既存の家父長制的権威主義体制を擁護する体制的法学者に対する批判精神である。それゆえ、彼女を哲学者とみなす条件は十分に備わっていると思う。

 さらに現代的な意味における哲学者と呼ぶにふさわしい思想家はミールザー・マフディー・ハーエリー・ヤズディー(1923~1999)である。彼はアーヤトッラー・アブドルカリーム・ハーエリー・ヤズディーの長子として宗教都市コムに生まれた。父のアブドルカリーム・ハーエリー・ヤズディーはコムに十二イマーム・シーア派の神学校(ホウゼ)を設立し、多くの十二イマーム・シーア派の宗教指導者を育成した。のちにイラン・イスラーム革命の指導者となったホメイニーもアブドルカリーム・ハーエリー・ヤズディーの教え子の一人である。ホメイニーはやがてこの神学校の教師となり、ミールザー・マフディー・ハーエリー・ヤズディーを教えた。ミールザー・マフディー・ハーエリー・ヤズディーはコムでの学業を終えると北米に留学し、カナダのトロント大学で博士号を取得する。その後、カナダの諸大学で教鞭をとり、イランに帰国した。彼は十二イマーム・シーア派の伝統的な神智学の存在認識論と英米分析哲学の認識論の比較研究を基礎に、独自の先験的認識論哲学を構築した。彼の考案した「現前知(イルメ・ホズーリー)」という概念は彼以降の十二イマーム・シーア派の思想家たちに多大の影響を与えている。「現前知」はイスラーム哲学において「存在」を意味する言葉wujūdの現実相を巧みに捉えている。

 ミールザー・マフディー・ハーエリー・ヤズディーはコムの神学校ではホメイニーの一番弟子とみなされていたが、イラン・イスラーム革命後は師のホメイニーと意見を異にして師と袂を分かつことになった。まず「法学者の監督権(ウィラーヤテ・ファキーフ)」の意味について、ホメイニーはイスラーム法学者あるいは宗教指導者が権力奪取を視野に入れて積極的に政治参画し、民衆をイスラームの正道に導くことであると解釈する。これに対しミールザー・マフディー・ハーエリー・ヤズディーは、暴力を占有する国家権力にイスラーム法学者は直接関わるべきではなく、イスラーム法学者はアッラーの愛を体現する者として個々の民衆の諸問題を解決するための指針を示すことであると解釈する。

 第二の争点は、ミールザー・マフディー・ハーエリー・ヤズディーがイラン・イラク戦争の早期終結を主張したのに対し、ホメイニーが国連安全保障理事会の決議をなかなか受け入れず、戦争を長引かせたことである。さらにもう一点は、『悪魔の詩』の著者サルマーン・ルシュディーに対してホメイニーが1989年に発した殺害の布告(ファトワ)に対して、ミールザー・マフディー・ハーエリー・ヤズディーはこのようなファトワはムスリム公衆の安寧を危機にさらすとして批判し、布告の発令に反対したことである。こうしたホメイニーに対する批判と抵抗のために彼は革命政府から様々な迫害を受けることになった。ミールザー・マフディー・ハーエリー・ヤズディーの平和主義、非暴力主義、民主主義重視の思想はイラン国内にも多くの支持者がいるが、それらを表立って実践することは現在の状況では難しい。

 彼の思想は現在のイラクの十二イマーム・シーア派の最高指導者アリー・シースターニー(1930~)によく受け継がれているように見える。アリー・シースターニーはイランのマシュハドに生まれ、コムの神学校で学んだ後にイラクのナジャフの神学校に移り、当時のイラクの最高指導者アブルカーシム・フイーに師事した。アブルカーシム・フイーはバアス党支配下で起こったイラン・イラク戦争の時期にはイラクに対して愛国主義的でイランに好戦的な発言をしていた。これに対して、アリー・シースターニーは非暴力主義、平和主義、生命尊重の主張に徹している。さらに、米国のイラク侵攻時にも非暴力と無抵抗を民衆に呼びかけ、主戦論者のムクタダー・サドルの率いるイラクのマフディー軍団に米軍に対する暴力的抵抗を思いとどまらせた。アリー・シースターニーの非暴力主義に反感をもつマフディー軍団は彼に対して武力でもって攻撃をしようとしたが、彼はムクタダー・サドルを説得し、暴力的対決を回避した。さらに、主戦論者であるスンナ派のサラフィー主義者との武力衝突も回避した。そして米侵攻軍に暴力的に抵抗しようとする若者たちに対して、暴力の嵐に身を投じてはならず、アッラーから授かった命を全うすることが重要と諭した。これは、『コーラン』が説く人生かくあるべしとの教えに基づき、平和の大事さを平易な言葉で語ったものであった。さらに、「法学者の監督権(ウィラーヤテ・ファキーフ)」の解釈に関しても、これは民衆の支持を得た上で行使できる権限であり、民衆の支持なしに専制的に行使すべきではないと考えている。

 アリー・シースターニーは民主主義を重視し、制憲議会の選挙には選挙権を持つすべての男女が投票に行くようにと呼び掛けた。彼の非暴力主義、平和主義、民主主義の実現への意志は徹底している。バアス党政府が彼への迫害を強化した時期にも、ただハンガー・ストライキで抵抗をしただけであった。このような彼の非暴力主義、平和主義の実践が評価され、2005年にはノーベル平和賞候補者となった。残念ながら受賞には至らなかった。

 こうしてみると、現代イラン出身の思想家・哲学者たちのほとんどは現在のイランの権威主義的専制主義政府によって迫害されイラン国内に居住することができなくなっていることがわかる。現代イランでは自由な精神に根差した批判的思考を実践する哲学者は反体制派にならざるをえないのである。このような哲学の冬の時代のなかで、特筆すべき哲学者の一人にアブドルカリーム・スルーシュ(1945~)がいる。アブドルカリーム・スルーシュはこれまでに紹介した思想家たちと異なり、伝統的神学校とは無関係で、薬学と化学の研究から研究者生活を始めた。テヘランの大学で薬学部を卒業すると、直ちにロンドン大学に入学し、分析化学と科学史の修士号を取得する。その後、博士号を取得したが、ホメイニーのイラン・イスラーム革命政府が成立すると、ただちにイランに帰国した。テヘランでの大学生時代から反王政運動に参加していたので、イスラーム革命政府の成立と同時に新生イランの建設に参画した。新設のホメイニー国際大学の教授や教師養成学院の院長を歴任した。その意味で、アブドルカリーム・スルーシュはイスラーム革命初期にはホメイニーと良好な関係を維持していた。

 しかしながら、ホメイニーの死後、1990年代になると彼はイスラーム法学者や宗教指導者の過度の政治介入に批判的になってくる。彼はカントの認識論に基礎を置く二分法にもとづき、イデオロギーとしての宗教と真理の宗教を区別し、真理の宗教を重視する。また啓示による宗教と社会的・歴史的要素に基づく宗教的知識を区別し、啓示による宗教を重視する。そして最も論争を呼んだのは彼の「自由意志に基づく信仰説」である。彼は信仰から離れる自由を唱え、強制による信仰を信仰と認めない。アブドルカリーム・スルーシュは人間の自由意志をその思想の基礎にしているので、人間は生まれながらにイスラーム教徒であるというような伝統的な説を受け入れない。このため保守的な人々、とりわけアンサーレ・ヒズブッラー(「アッラーの党の援助者」の意)の一派から迫害を受けることになる。彼の講義はこの人たちに妨害され、生命の危機に晒されることもしばしば起こり、とてもイランにとどまり続けることができなくなり、欧米の大学に赴き、今日に至っている。

 以上に紹介した人々のほかにも優れた哲学的才能を持つ人々が現代イランにいるが、その才能をイラン本国で開花させることは今のところ困難である。近い将来、そのような才能が花開く日が来るのが望むばかりである。

「イブン・シーナー国際会議」の光景

「イブン・シーナー国際会議」の光景

「イブン・シーナー国際会議」の光景

「イブン・シーナー国際会議」の光景

「「イスラーム思想と今日の挑戦 国際会議」における筆者 於:イラン哲学協会(旧イラン王立哲学研究所)」の光景

「イスラーム思想と今日の挑戦 国際会議」における筆者 於:イラン哲学協会(旧イラン王立哲学研究所)

テヘランの女子学生たち

テヘランの女子学生たち

『認識論の原理』 Mahdi Hayeri Yazdi

『認識論の原理』 Mahdi Hayeri Yazdi

書誌情報
松本耿郎「《総説》日本におけるイランの哲学史研究 現代イランと哲学」『《アジア・日本研究 Webマガジン》アジア・マップ』2, IR.1.02 (2024年4月1日掲載)
リンク: https://www.ritsumei.ac.jp/research/aji/asia_map_vol02/iran/essay01/