アジア・マップ Vol.02 | カザフスタン
《エッセイ》カザフスタンと私
日本人抑留者の記憶―カザフスタンの人々の語りから
中央ユーラシアの社会と文化を知るため、カザフスタンに初めて留学したのは1990年代末、修士課程に在学中のことだった。留学先の東洋学研究所は、カザフスタン南東部の旧首都アルマトゥにある。カザフ人のみならずロシア人やタタール人など多くの民族が暮らすこの町で、私はロシア語とカザフ語を学んだ。帰国してから1年留年した後、博士課程に入って2度目の留学をした。今度はカザフスタン北東部にある、カザフ人が多く暮らす村に住まわせてもらった。地方都市カラガンダから約140キロ、広大な草原のなかに位置する村である。ここで私は、草原ではぐくまれた遊牧文化にイスラームの影響が重なり合う暮らしを知った。そして街と村での暮らしをとおして、ソ連時代の影響の深さを感じつつ、カザフスタン独立を経て急激な変化のなかで生きる人たちの思いに少しずつふれた。
カザフスタンで出会った人たちは、日本人抑留者についての記憶をしばしば語ってくれた。第二次世界大戦後のソ連による抑留は「シベリア抑留」として知られているが、一部の人々は中央アジアに抑留された。旧ソ連カザフ共和国に抑留された日本人は6万人近くに上り、戦後の労働力不足のなかで、建物や道路の建設、鉱山での採掘などさまざまな重労働に従事させられた。アルマトゥ市では、科学アカデミーの建設などに日本人抑留者がたずさわったと、東洋学研究所に勤めるカザフ人から聞いた。また、炭鉱の町として発展したカラガンダ市の周辺には、かつて収容所が点在していたという。現在の首都アスタナを訪れた際には、カザフ人が日本人抑留者にクルト(保存がきく乾燥チーズ)を渡したという話を聞いた。語りの多くは飢餓のなかで過酷な労働に従事した抑留者の姿を浮き彫りにするものだったが、少ないながら現地の人たちと日本人抑留者との交流を伝えるエピソードもあった。
最初の留学の際にロシア語を教えてくださったタタール人の先生は、日本文学が好きで芭蕉の俳句のロシア語訳を暗記する宿題を出されたほどだったが、ある日ぽつりぽつりと子どもの頃の思い出を語り始めた。戦後の貧しい暮らしのなかで、祖母と共に日本人抑留者にパンを渡しに行ったという。また、日本人抑留者がトラックに乗せられて移動していくのを、アルマトゥの子どもたちは「バンザイ!バンザイ!」と叫びながら追いかけていった。そうすると、日本人はトラックの上で笑って手を振ってくれたという。後に帰国できた抑留者が記した『捕虜体験記』には、労働を終えて収容所に戻る時にソ連の子どもたちを見て、日本に残してきた家族のことが思われたという胸の痛む記述がある。子どもたちに手を振った抑留者も、同じ思いであったのだろうか。そして、当時幼かったタタール人の先生にとっては、この頃の記憶が後に日本への関心につながっていったのかもしれない。
日本人抑留者に直接会ったことがない人々によって、記憶が受け継がれていることもある。アルマトゥ市で滞在させていただいた家のカザフ人女性は、母親が日本人抑留者から受け取った日本歌謡のレコードを長年にわたり大切にしてきたという。当時、日本人抑留者が厳しい所持品検査をかいくぐり、レコードを保持していたのは稀有なことだろう。去年改めて調べたところ、それは満洲を舞台にした恋を描いた映画「白蘭の歌」の主題歌だった。レコードの裏面は、この映画のなかで歌われる「いとしあの星」とわかった(注)。1939年の国策映画の主題歌であることに複雑な気持ちになりながら、カザフ人女性にくわしく聞いてさらに驚いたのは、日本人抑留者がこのレコードと交換にカザフ歌謡のレコード数枚を受け取ったということだった。おそらく収容所から街に出かける許可が下りるようになった後のことだろうが、どのようなカザフ歌謡をその方は聴いたのだろう。
カザフ人女性は母親から、数枚のレコードに収録されていたカザフ歌謡の曲名までは伝えられていなかった。カザフ音楽を研究されている東田範子氏(武蔵野音楽大学)に、当時のレコードについて教えていただき、曲を特定はできなかったものの、民族楽器オーケストラの演奏や、オペラ歌手が民謡を歌っているものなどがあると分かった。『捕虜体験記』には、収容所を慰問に訪れた劇団にカザフ人のソプラノ歌手がいて見事な独唱を披露し、日本に残してきた妻と顔や髪が似ているので懐かしく感じたというエピソードが記されている。また、複数の収容所内で、日本人抑留者による楽団が組織されたという。レコードは収容所内で行事の際に使われたか、ようやく帰国できることになった抑留者が土産物として求めたものだろうか。
日本人抑留者の多くが帰国した一方で、ソ連時代に帰国できなかった方たちがいたことも忘れてはならない。戦後に捕虜となった日本人が近郊の村に暮らしていると、テレビ局に勤めているカザフ人から聞いたのは、カラガンダ市に滞在していた時のことだった。その後2016年には、この方についての演劇「アクタス村の阿彦」がアルマトゥ市で初演された(2017年に東京でも上演)。1990年代に在カザフスタン日本大使館に勤務していた佐野伸寿氏は、民間人でありながら抑留された2人の体験について、2022年と2023年に映画を製作している(カザフスタン・日本等の合作)。また、NHKアーカイブスには、3人のインタビュー動画が公開されており、抑留の経験が直に語られている。
いま私が働いている国立民族学博物館(吹田市)の中央・北アジア展示場も、戦後の抑留と実は関連が深い。この展示場のため旧ソ連で数多くの資料を収集したのは、朝鮮半島出身で東京の大学に在学していた時に兵となって終戦を迎え、シベリア抑留を体験された加藤九祚先生であった。1970年代から1980年代にかけて加藤先生が収集した貴重な民族学資料に、カザフの天幕と生活用品一式がある。抑留者と現地の人たちの当時の体験の上に今があるという重い事実に、私は最初の留学から長い時間を経てようやく思い至った。ソ連時代に日本まで運ばれてきた天幕を、カザフスタン独立後に現地の方々の協力により収集できたゆりかごや花嫁衣裳などと共に、展示場でぜひご覧になっていただければと思う。
カザフスタンの人たちが抑留者について語ってくれたのは、私が日本人だからというだけではないだろう。語ってくれた人たち自身が、ソ連時代およびカザフスタン独立後の激しい変化のなかで困難を経験してきたからこそ、抑留者の過酷な体験に心を寄せ続けているように思われてならない。
注コロムビアから1939年に発売されたレコードで、次の2曲が収録されている。「白蘭の歌」(作詞:久米正雄、作曲:竹岡信幸、編曲:奥山貞吉、歌:伊藤久男・二葉あき子)、「いとしあの星」(作詞:サトウハチロー、作曲:服部良一、歌:渡辺はま子)。
【参考文献】
味方俊介『カザフスタンにおける日本人抑留者』(ユーラシア・ブックレット127)東洋書店、2008年。
小松久男編著『テュルクを知るための61章』明石書店、2016年。
ソ連における日本人捕虜の生活体験を記録する会編集・発行『捕虜体験記Ⅴ 中央アジア篇』、1986年。
藤本透子「移動する人々のつながり―カザフ草原に生きる家族の事例から」山田孝子編著『人のつながりと世界の行方』英明企画編集、2020年、65-80頁。
【ウェブサイト】
国立民族学博物館編「みんぱくインタビュー 加藤九祚」『月刊みんぱく』2009年10月号(https://www.r.minpaku.ac.jp/gekkan_minpaku/pdf/MP0910.pdf)
国立民族学博物館編「特集 変貌する中央・北アジア」『月刊みんぱく』2016年7月号(https://www.r.minpaku.ac.jp/gekkan_minpaku/pdf/MP1607.pdf)
藤本透子「日本人抑留者からカザフ人家族にわたされたレコード」『みんぱくe-news』263号、2023年5月(https://www.minpaku.ac.jp/post-goods/42583)
NHK戦争証言アーカイブス「シベリア抑留体験者(旧ソ連に残留)」
https://www2.nhk.or.jp/archives/movies/?id=D0001130221_00000
https://www2.nhk.or.jp/archives/movies/?id=D0001130222_00000
https://www2.nhk.or.jp/archives/movies/?id=D0001130223_00000
【映画】
「阿彦哲郎物語―戦争の囚われ人」カザフスタン・日本合作、佐野伸寿、エルダル・カバーロフ、アリヤ・ウバリジャノバ監督、2022年製作。
「ちっちゃいサムライ―三浦義雄の少年時代」カザフスタン・日本・キルギス合作、佐野伸寿監督、2023年製作。
書誌情報
藤本透子《エッセイ》「カザフスタンと私 日本人抑留者の記憶―カザフスタンの人々の語りから」『アジア・マップ:アジア・日本研究Webマガジン』Vol.2, KZ.2.01(2024年8月8日掲載)
リンク: https://www.ritsumei.ac.jp/research/aji/asia_map_vol02/kazakhstan/essay01/