アジア・マップ Vol.02 | 韓国
《総説》
韓国という国
韓国は、第2次世界大戦での日本の敗北をうけて米ソに分割占領された朝鮮半島にあって、38度線の南に樹立された国である。
日本が敗戦へと向かう過程で昭和天皇や軍首脳は、米軍に一撃を与えて動揺させ、少しでも有利な条件で講話を引き出すという、いわゆる「一撃講和論」に固執していた。一方、日ソ間では「日ソ中立条約」が41年4月に締結され、その有効期限は1946年4月までとなっていた。だが、45年2月の米英ソ首脳によるヤルタ会談でスターリンはルーズベルトにドイツ敗北から3ヶ月以内に対日戦に参戦することを密約していた。ソ連は、この密約にしたがって8月8日深夜、中国東北への進撃を始めて朝鮮に至る。この終戦間際のソ連の駆け込み参戦は、日本の敗北を決定的にする一方、朝鮮半島の分割占領という事態を生んだ。
米ソ間には朝鮮半島の戦後処理について一定期間これを「信託統治」の下に置くという合意があり、米ソの分割占領も、当初は日本軍の武装解除のための便宜的なものとされていた。だが、この信託統治の具体化をめぐる米ソ間の交渉が、国際社会での米ソ間の対立や朝鮮半島内での左右両派の対立の激化によって頓挫する。米国は、信託統治に見切りをつけて、朝鮮の戦後処理を誕生間もない国連に委ねて国連監視下の総選挙による新国家樹立という方向を打ち出すが、ソ連側がこれを拒み、南だけの単独選挙(1948年5月10日)となった。この選挙を通じて生まれた国が韓国、すなわち大韓民国であり(1945年8月15日)、これに対抗して北では9月9日に金日成を首班とする朝鮮民主主義人民共和国(以下、北朝鮮)が成立した。韓国の初代大統領となった李承晩は、徹底した反共を掲げ、日本の植民地支配に協力したいわゆる「親日派」を権力基盤として取り込み、政治・社会・文化の脱植民地化の課題は先送りにされた。
1950年6月25日、北朝鮮の人民軍が38度線の主要拠点で攻撃に出て朝鮮戦争が始まった。米国はこの戦争に国連軍の名の下に参戦し、中国は義勇軍を送って米国に対抗した。戦闘は53年7月の停戦条約の締結まで続いたが、今なお平和条約は締結されていない。
3年余りにわたってつづいた戦争が南北朝鮮にもたらした人的・物的被害ははかりしれない。戦争の混乱でちりぢりに離散した家族は1千万人に及ぶとされる。朝鮮戦争中の未曾有の虐殺・テロは、消しがたいトラウマや憎悪を南北双方の住民の心に刻み込み、南北分断を決定的にした。朝鮮戦争後の韓国社会は、反共が社会規範として根付き、「北の脅威」という安全保障上の言説が人権や民主主義を含むあらゆる社会的価値の上位に置かれる社会となった。
以下の表は、韓国憲法の沿革を示したものであるが、現在の第6共和国憲法に至るまで9回の改正があり、韓国の戦後の歩みがいかに波乱に満ちたものであるかを物語っている。政府樹立当初の韓国憲法は、議院内閣制と大統領制の折衷型だったが、李承晩は2度の強引な改憲を通じて大統領中心の制度に作り変えて独裁的な権力をふるった。李承晩政権は民主化を求める学生市民の抗議行動によって倒れるが(1960年4月学生革命)、その後の張勉民主党政権は翌年5月の軍事クーデターによって短命に終わり、四半世紀余りにわたる軍事政権の時代となる。
大韓民国憲法の沿革
〔改憲機関〕 | 主たる内容 | 特徴 |
---|---|---|
憲法制定 〔制憲国会〕 〔1948.7.17〕 |
・国民の基本権保障 ・憲法委員会 ・統制経済 |
制憲憲法 |
第1次改憲 〔2代国会〕 〔1952.7.7〕 |
抜粋国会 | |
第2次改憲 〔3代国会〕 〔1954.11.29〕 |
・国民投票制採択 ・初代大統領再任制限撤廃 ・軍法会議に憲法的根拠付与 |
四捨五入改憲 |
第3次改憲 〔4代国会〕 〔1960.6.15〕 |
・大統領制を廃止、議員内閣制を採択 ・憲法裁判所を新設 |
4月革命直後、与野合意の改憲 |
第4次改憲 〔5代国会〕 〔1960.11.29〕 |
・選挙違反者に対する処罰のための 刑罰不遡及原則の例外規定 |
憲法付則の改定 |
第5次改憲 〔最高会議〕 国民投票 〔1962.12.26〕 |
・一院制国会の採択 ・大統領制の採択 ・憲法の改定に対する国民投票制採択 ・経済科学審議会議、国家安全保障会議設置 |
5・16軍事クーデター後、第3共和国憲法 |
第6次改憲 〔7代国会〕 国民投票 〔1969.10.21〕 |
・大統領の3期継続再任許容 ・大統領に対する弾劾厳格化 |
3選改憲と朴正熙大統領新任 |
第7次改憲 〔非常国務会議〕 国民投票 〔1972.12.27〕 |
・統一主体国民会議新設 ・大統領の間接選挙制度と地位の強化 ・憲法委員会新設 ・非常措置権新設 |
10月維新後、第4共和国憲法〔維新憲法〕 |
第8次改憲 〔立法会議〕 国民投票 〔1980.10.27〕 |
・政党運営費の国家負担 ・大統領間接選挙制度、任期7年再任不可制 ・国会議員の比例代表制採択 |
国家保衛委員会と戒厳統治 第5共和国憲法 |
第9次改憲 〔12代国会〕 国民投票 〔1987.10.29〕 |
・大統領の直接選挙制5年再任不可制 ・国政監査権復活 ・国会の権限強化 ・司法権の独立強化 ・憲法裁判所の新設 |
6・29宣言後の第6共和国憲法 |
クーデターで登場した朴正熙は、憲法を再び大統領制に変えて(第5次改憲)、69年には長期執権をはかる改憲を強行したが(69年3選改憲)、学生・野党の反発と、米中接近などの東アジア情勢の激変に直面して、大統領直選制の廃止と、反政府運動に対する弾圧を可能にする緊急措置条項を盛り込んだ憲法改悪を断行した(72年「維新憲法」)。20年近く続くこの朴政権期には、日韓条約(1965年)による請求権資金やインドシナ戦争に伴う「特需」もあって、経済のテイクオフが実現した。70年代には重化学工業化が進んで新興工業経済地域(NIES)として世界的な脚光を浴びた。
だが、維新憲法の時代は人権や民主主義の暗黒期だった。国家保安法や緊急措置権の発動によって、学生・市民・野党の抗議行動が暴力的に封じられ、母国留学で韓国で学ぶなか政治犯として投獄された在日韓国人青年も100人以上におよぶ。
1979年10月、朴正熙が側近によって殺害され、維新体制に終止符が打たれた。朴殺害以後、「ソウルの春」といわれる開かれた政治空間のもとで学生・市民・野党の民主化運動が噴出すが、朴正熙をひきつぐ全斗煥・盧泰愚などの「新軍部」が台頭してこれを封じる(5・17クーデター)。全羅南道光州では新軍部に捨て身で抵抗する市民・学生に空挺部隊が投入された。軍は学生・市民に対する発砲も辞さず、200人近い犠牲者(死者)を出す最悪の流血事態となった(光州事件)。
光州事件以後、第5共和国憲法のもとで新軍部による強権支配が続くが、これに抵抗する学生の抗議行動が粘り強く続いた。光州事件は、韓国の社会思想や運動の一大転換点となった。朝鮮戦争で途絶えていた急進的社会思想・運動が復活し、386世代といわれる、80年代に大学生活を送った「運動圏」世代が、その後の民主化運動の主体となる。一方で、急速な工業化・都市化によって成長した都市の中間層が、学生たちの抗議行動を後押しした。1987年6月、100万人を超える学生市民が連日街頭に出て、軍事政権を退陣に追い込み、大統領直接選挙制を含む現在の民主憲法への改憲が実現した。
民主化以後、最初の大統領選挙(87年12月)では、それまで民主化運動をリードした金大中・金泳三の候補の一本化がならず、軍事政権を継承する盧泰愚の当選を許した。その後保守合同が実現して金泳三政権(93年~98年)となるが、97年後半から韓国を襲った未曽有の金融危機のなかで実施された大統領選挙で金大中が当選を果たし、保守から進歩(リベラル)への政権交代が実現した。金大中政権の下で南北首脳会談(2000年6月)や「日韓新時代」が提唱され、日本で韓国の文化コンテンツが広く受容されるきっかけとなった。
金融危機を経た韓国は、労働市場の柔軟化や貿易の自由化など新自由主義的な構造調整を大胆かつ急激におしすすめグローバルな競争国家に変貌した。半導体・自動車・文化コンテンツなどで世界市場を席巻し、2018年には一人当たりのGDP(購買力平価基準)が日本を超えるほどの経済大国に躍進した。
だが、その代償は計り知れない。韓国社会は、「能力主義」「リストラ」「40代定年」「非正規雇用」などに象徴される極端なストレス社会へと変わり、グローバル時代に特有の社会的リスク構造が極端なまでに深まった。伝統的な大家族や地域の紐帯が衰え、核家族や一人世帯が韓国社会の大半を占めるようになり、子育てや老後をめぐる中産層の不安・不満が充満する社会となった。80%前後の大学進学率の高学歴社会を実現しながら、20-30代の非正規就業や失業率が拡大し、結婚や出産もままならず、合計特殊出生率は1を切って(2021年0.81)世界最低の水準にある。
一方で、今日の韓国は、2016年12月から翌年年3月にかけて、ときの大統領の不正に抗議して延べ1700万人の市民が街頭でろうそくを灯し、大統領を弾劾に追い込んだ国でもある。史上類例のない脱中心のネットワーク型のこの「ろうそくデモ」は、韓国の市民社会の“公正”や”正義“をめぐる尽きることのない衝動を物語っている。
ともあれ、超大国の利害のひしめく北東アジアの一角にあって、分断国家という重いハンデを背負いながらも、民主主義と経済発展(豊かさ)という「二兎」を求めて懸命に歩む人々の姿がそこにはある。
書誌情報
文京沫《総説》「韓国という国」『アジア・マップ:アジア・日本研究Webマガジン』Vol.2, KR.1.01(2024年4月1日掲載)
リンク: https://www.ritsumei.ac.jp/research/aji/asia_map_vol02/korea/country/