アジア・マップ Vol.02 | クウェート

《総説》砂漠の国クウェート、そして日本の関わり

高岡正人(中央大学特任教授・前駐クウェート大使)
『アジア・マップ』編集部作成

『アジア・マップ』編集部作成

はじめに
 クウェートは、ペルシア湾の奥に位置するアラブの国だ。人口規模は504万人万人(うちクウェート人は150万人)、国土面積は日本の四国とほぼ同じだ。国の周りは湾岸アラブの盟主を任ずるサウディアラビア、かつてサッダーム・フサイン時代に蹂躙されたイラク、そして狭い湾の向こう側のイランによって囲まれている(人口規模はそれぞれ36百万、44百万、88百万と一桁大きい)。地域大国に挟まれた小国クウェートの地政学的難しさは明らかだ。北東アジア情勢も厳しさを増しているとはいえ、四方を海に囲まれて大きな人口・経済規模を有する日本とはまったく違う。
 近隣湾岸諸国の中では、サウディアラビア、アラブ首長国連邦(UAE)、カタルが野心溢れる若い指導者のもとで、豊富な資金力を背景に、対外政策であれ、国内開発であれ、何かと派手な動きが目立つ。一方、クウェートはおとなしい国柄だ。侵略を受けた歴史もあってか、安定志向で地味な立ち回りに徹している。同国では昨年末に86歳で逝去したナワーフ首長の後を継いだミシュアル首長も83歳と高齢であるように、指導層の世代交代が遅いこととも関係していると言われる。また、クウェートは湾岸の王政国家として稀に見る民主制度を備えており、特に議会が喧しい。政府と慢性的対立状態が続いているために、国家としての動きが緩慢になりがちである。
 イラク侵攻前、クウェートは湾岸地域では最も先進的だったが、戦後、UAE、カタルに追い越され、今ではサウディアラビアにすら遅れをとるようになったとのぼやきをよく耳にする。とはいえ、文化の洗練度においては今もクウェートが一番だというのがクウェート人の誇りである。

クウェートの衛星写真 砂漠の下に石油が眠る

クウェートの衛星写真 砂漠の下に石油が眠る
出所:Wikipedia パブリック・ドメイン


「石油に浮かぶ国」クウェート
 クウェートは衛星写真に見る通り、砂漠の国だ。その地下に世界7位の埋蔵量という豊富な石油が眠る。現在の産油量は世界10位。石油が政府歳入の約9割を占める。同国が「石油に浮かぶ国」(牟田口義郎 1965)と呼ばれる所以だ。
 また、クウェートの油田は、採掘が比較的に容易であるため、石油生産に係るコストが他の産油国と比べると相対的に低いことが特徴的である。例えば、サウディアラビアでは財政収支を均衡させるために油価が約80ドルに維持されることが必要であるのに対して、クウェートでは約50ドルの油価で財政を維持できる。そのおかげで、豊かなオイル・マネーで国民生活全体を潤すことが可能となっている。

『アジア・マップ』編集部作成

『アジア・マップ』編集部作成


 日本との関係では、クウェートは、原油輸入先として、サウディアラビア、UAEに次いで3番目(全体輸入量の8.4%。2021年度)。安定的な供給国と重宝される。なお、2020年以降、日本は国内の石油タンクをクウェートの東アジア向け中継・在庫拠点として貸し出し、供給危機時には日本企業が優先して供給を受けるという共同備蓄事業が行なわれており、石油をめぐる有機的な協力関係が両国間で進んでいる。

イラク侵攻の教訓とクウェートの安全保障
 クウェートにとって最大の国難は、1990年8月、サッダーム・フサイン率いるイラク軍が突如国境を突破し、一夜にしてクウェート全土を占拠したことだ。翌91年2月に米国を中心とする多国籍軍の「砂漠の嵐」作戦によって退却させられるまでの半年間、イラク軍は、破壊・略奪、果ては油田の一斉炎上など、蛮行を極めた。(なお、当時、現地日本人コミュニティーは、日本の国策会社「アラビア石油」が初の海外石油採掘権を取得していたこともあり、大いに賑わっていた。そして、突然の侵攻勃発によって、多くの在留邦人が人質としてイラクに連行され、「人間の盾」となるという壮絶な苦難に直面したことで、日本社会全体が大きく揺れた。)

湾岸戦争時、炎上するクウェートの油田上空を飛行する米軍戦闘機

湾岸戦争時、炎上するクウェートの油田上空を飛行する米軍戦闘機
出所:Wikipedia パブリック・ドメイン

 クウェート人は、当時のことをあまり多く語らないが、教訓の一つは、「国家は脆い」と身をもって感じたことであろう。
 中東は紛争が絶えない。いつ再び火の粉が降りかかるか分からない。小国クウェートにとって武力で物事を御することは難しい。だから、国家の安全のために警戒を怠らないと同時に、危機を未然に防ぐための外交が重要になる。敵を作らず、諸外国との友好・協力の輪を何重にも築くことが命題である。クウェートが石油収入をもとに諸外国の経済開発や人道・救済支援に積極的に取り組んでいるのはその証左である。

2020年、筆者がサバーハ首長(当時)に信任状を捧呈した時の様子。

2020年、筆者がサバーハ首長(当時)に信任状を捧呈した時の様子。
長年クウェート外交を先導した同首長が平和と対話の重要性を繰り返していたことが非常に印象的であった。

 湾岸協力理事会(GCC:クウェートの他、サウディアラビア、UAE、カタル、バハレーン、オマーンで構成)はクウェートにとって最も重要な地域協力の枠組みである。クウェートの安全を包むための繭のような存在に喩えられる。だが、GCCの各国の思惑には開きもある。2017年にサウディアラビア、UAE、バハレーンなどがカタルのテロ支援や内政干渉を理由としてカタルと国交断絶を行い、一時は戦闘に発展することも懸念された。だが、2021年になんとか関係正常化に辿り着いた背景の一つには、GCCの安定が何よりも重要と考えるサバーハ首長(当時)を筆頭とするクウェートの粘り強い仲介努力があった。
 クウェートは、2003年の米国侵攻によって荒廃したイラクの復興を積極的に支援していることも特徴的だ。イラクに対する恨みが消えないとしても、また、再び強大化するイラクに対する不安があったとしても、今は、テロや政情不安に苛まれる隣国を安定させ、協力関係を築くことがクウェートの安全保障に資するとの判断があるためだ。
 最大の懸念はイランである。シリア、イラク、イエメン、レバノンなど近隣で起きている紛争にはイランの関与がある。それ故、指呼の距離にあるイランの動きに対する警戒が特に強い。国内シーア派住民を通じた同国の影響力も懸念されている。しかし、その一方、クウェートがイランとの対話を維持し、関係を安定化する努力に余念はない。

 域外大国に目を転じれば、鍵は米国との関係だ。総勢約4万7千と言われる兵力を中東各地に配備する米国は、クウェートに1万35百と最大規模の米軍基地を持つ。米国のパワーはかつて(それこそ、米国が超大国としてクウェート解放やサッダーム・フサイン討伐を主導した当時)とは大きく異なるかもしれないが、中東の秩序にとって米国の役割は極めて大きい。バイデン大統領は中東の平和と安定に対するコミットメントは確固たるものだと表明しているが、イスラエル・ガザ紛争を機にきな臭さが増す中で、米国の動きがどうなるか。今年11月月の米国大統領選挙の結果をクウェートも注目する。

日本との関係
 イラクのクウェート侵攻は当時の日本外交にとって戦後最大の試練であった。中東からの石油に大きく依存しつつ、経済的繁栄を享受する日本は、この危機にどのような貢献をするのかが問われた。時あたかも日米経済摩擦が厳しく、米国から強い圧力がかかった。すったもんだの議論の挙句、日本の役割は憲法の制約もあり、財政面が中心となった。しかし、130億ドルという巨額な支援にもかかわらず、米国において日本の貢献は「顔が見えない」、「小切手外交」などと批判・揶揄されるところとなり、日本の政治・外交指導者に大きな挫折感を残すことになった(後年、その時の強い反省がバネとなり、国際平和協力法や危機時における自衛隊の活用を含め日本の能動的な姿勢へと転換していくことになった)。
 一方、クウェートでの日本に対する高い評価は紛れもない。クウェートを国難から救うために、130億ドルもの支援を行った日本への恩義は忘れないと言われることがある。また、戦争終結後、海上自衛隊の掃海艇がクウェートに派遣され、イラクが敷設した機雷の除去を行い、クウェートの海上ルートの安全に貢献したことも記憶されている。
 時代は下って、2011年3月に東日本大震災が発生すると、クウェートはサバーハ首長の指示により、復興援助として原油500万バレル(5億ドル相当)を日本に無償提供した。また、震災1年後には首長自身が見舞いのために訪日し、被災地のアクアマリンふくしま、三陸鉄道の復旧などのために支援を行った。クウェートにとっては、イラク侵攻の際に受けた日本からの支援に対する御礼という意味合いがあったのだ。クウェート側が日本との関係について語る際、「苦難の時の友人こそが真の友である(a friend in need is a friend indeed)」という表現を用いることがある。人間関係と同様、外交関係でも、相手を思いやる善意の積み重ねが重要であることが痛感される。
 筆者がクウェートで特命全権大使を務めていた2021年は日本・クウェート外交関係60周年に当たった。丁度60年前に合意文書に署名が行われた12月の夜、クウェート随一の名所施設であるクウェート・タワーを両国の国旗でライトアップする行事が行われた。クウェート・タワーが外国の国旗で彩られることは異例であるが、クウェート側が日本との関係を重視し、気を利かせてくれた。
 将来を見れば、日本とクウェートの関係は石油を超えて大いに発展する余地がある。クウェートの資金力は非常に大きい。日本ブランドへの評価は今も高い。最近の東京株式市場の活況もあり、資産規模で世界第5位のソブリン・ウェルス・ファンドとされるクウェート投資庁(KIA)からの投資促進は有望である。また、これまでクウェート人の文化的関心は主として米欧に向かっていたが、日本の人気も高まっている。クウェート人は旅行好きなので、観光需要は旺盛だ。クウェート政府には手厚い海外留学支援もあるので、両国間で学生交流が深まっていくことも期待される。

2021年、日本・クウェート外交関係設立60周年を祝ってクウェート・タワーが両国国旗で照らされた。

2021年、日本・クウェート外交関係設立60周年を祝ってクウェート・タワーが両国国旗で照らされた。

(了)

書誌情報
高岡正人《総説》「日本とクウェートの外交関係 砂漠の国クウェート、そして日本の関わり」『アジア・マップ:アジア・日本研究Webマガジン』Vol.2, KW.2.01(2024年7月2日掲載)
リンク: https://www.ritsumei.ac.jp/research/aji/asia_map_vol02/kuwait/country/