アジア・マップ Vol.02 | キルギス

《エッセイ》キルギスの都市
ビシュケク

秋山 徹(北海道教育大学釧路校・准教授)

 キルギスと聞いて何を思い浮かべるだろうか。世界地図を広げてみると、ユーラシアのほぼ中心にその名を見つけることができる。地図上、国土が「真っ茶色」に染められていることからも一目瞭然なように、キルギスの国土の大部分は天山山岳地帯に位置している。このように、キルギスが「山岳国家」であることは争えない事実であるとしても、面積割合としてはごく僅かではあれ、肥沃な平地の存在を忘れるわけにはゆかない――北部のチュイ平野と南部のフェルガナ盆地である。そして、これら南北の平野部には都市が存在する。北部の中心都市にして、キルギスの首都でもあるビシュケク。南部の中心都市オシュはフェルガナ盆地西端に位置する。本来であれば、「キルギス二都物語」を書きたいところではあるのだが、紙幅の都合上、ビシュケクに絞って書かせていただくこととする。

 私がビシュケクを初めて訪れたのは2003年3月初旬。以後20年にわたり――無論、コロナ禍による3年間のブランクを除けば――ほぼ毎年、夏と春に定期的にこの街を訪問してきた。自己紹介が遅れたが、私は19世紀から20世紀にかけてのキルギス人の歴史を研究する歴史学徒である。歴史研究の生命線にして「商売道具」は何といっても文献史資料であり、この街にはそれらを保管する文書館や図書館がある。当然のことながら、滞在時間の大半は文書館や図書館の薄暗い閲覧室で費やされることになる。それゆえ、街の様子を見るのはせいぜい文書館や図書館の間の移動のついでなのであって、人類学者をはじめとするフィールドワーカーのように気の利いたことを言えないことだけは予めお断りしておかねばならない。

 とはいえ、20年という歳月はそれなりのものなのであって、私のような観光嫌いの出不精でもこの街に変化を感じないわけではない。ビシュケクに限ったことではないだろうが、やはり経済発展が進み、暮らしが便利になってきたことは確かである。かつてショッピングモールといえば、ソ連時代からの流れをくむ「ツム(百貨店)」やトルコ系スーパー、郊外のバザールくらいのものであったが、市内中心部、街を東西に横切るキエフスカヤ通り沿いには新しい大型のショッピングモールがいくつも軒を連ねるようになった。そこには衣料関係ではZARAやユニクロ、飲食店系ではケンタッキーなど、日本でもお馴染みの数多くのブランドがテナントとして入っている。こうした背景には、そうした商品を購買することができる中間・富裕層の増加を想像することができるだろう。お隣カザフスタンのアルマトゥの比ではないものの、恐らくはそうした富裕層を当て込んだ高層マンションやビルの建設が進んでおり、長年定宿にしている市内中心部のホテルから見える景色も明らかに毎年変化している。

写真1:ホテルからの眺め。高層マンションの背後に天山の峰々を望む

写真1:ホテルからの眺め。高層マンションの背後に天山の峰々を望む。

 変化は経済面だけにとどまらない。今年の夏(2023年8月)、3年半振りにビシュケクを訪問した際、約10年ぶりに市内中心部アラ・トー広場に面したキルギス歴史博物館を見学した。石でできた箱型の無機質な社会主義建築という外見は従来通りであったのだが、館内に入ってみて驚いた。以前は、ひたすら暗い照明で、大きな洞窟に迷い込んだかのごとき印象であったのが一変。明るく、きらびやかになり、「白亜の御殿」さながらであった。聞くところによると、トルコ政府の援助で大々的に改装が施されたのだそう。変貌を遂げたのは設備だけではない。展示品が格段に増え、私のような歴史研究者にとってもかなり見応えがある内容となっていた。「私たちには歴史がない」と悲しげにぼやくキルギス人にかつてよく出くわしたものであるが、これだけ充実した展示があれば彼らも「自信」を持つことができるのではあるまいか。来館者もそれなりにいて、多くが現地の人々であったのも印象的であった。

写真2:市内中心部アラ・トー広場とマナス像

写真2:市内中心部アラ・トー広場とマナス像。

写真3:市内バザールの乳製品売り場

写真3:市内バザールの乳製品売り場。

 だが、このように「変わるビシュケク」もあれば、「変わらないビシュケク」もある。経済発展が進み、建設ラッシュが進む一方で、市内中心部でも蓋の無いマンホールはあるし(鉄屑として高価に取引されるらしい)、歩道を歩いているとアスファルトの舗装が突如途切れることはかなり頻繁である。電線から勝手に電気を引く「電気泥棒」もなくならないようだ。かれこれ10年以上前の話なのだが、郊外の住宅街にあるバックパッカー相手のゲストハウスに泊まった際、近隣住民の「電気泥棒」により、外では常に「バチバチ!」という音が花火の如く鳴り響き、「バチッ!」とショートを起こすたびに一帯が頻繁に停電したのには流石に面食らった(ちなみに、「電気泥棒」は、2011年公開のキルギス映画『明かりを灯す人』のテーマとなった)。無論、蓋無しのマンホールや電気泥棒は、経済発展という尺度からすれば、克服されるべき「悪弊」なのかもしれないが、私などは――無責任な言い方になってしまうかもしれないが――こうした現象の背後に、キルギスの人びとの「逞しさ」すら感じてしまうのである。

 街行く人びとのいでたちも、ファストファッションに身を包み、ファストフードを嗜む若者の姿がある一方で、民族帽カルパックが健在なのは嬉しいものである。特に冬場、スーツの上にフェルトのコートをざっくりと羽織ったキルギス紳士――髭があればなおよい――が被るカルパックはお洒落である。日本でカルパックを被って山手線にでも乗ろうものなら、奇異な視線を浴びるどころか、下手すれば職務質問すら受けかねないだろう。だが、不思議なもので、ビシュケクの街にカルパックは絶妙に「溶ける」のである。

写真4:カルパックの紳士

写真4:カルパックの紳士。

 「変わらないビシュケク」を語りだせば切りがないが、小文を締めるに当って最後にひとつ――市内南方に拡がる天山の峰々の雄大な眺めを忘れるわけにはゆかない。早朝、ホテルの窓から朝日を浴びた神々しい峰々を拝む時間は至福の境地である。この20年の間にキルギスでは幾つかの政変が起こり、流血を伴う暴動も経験した。そうした人間社会の喧騒をよそに、天山の峰々はいつでも悠然と聳えているのであり、人びとの心の拠り所となっている。

写真5:朝日を浴びた天山の峰々

写真5:朝日を浴びた天山の峰々。

書誌情報
秋山徹「《エッセイ》キルギスの都市(ビシュケク)」『《アジア・日本研究 Webマガジン》アジア・マップ』2, KG.4.01(2024年4月1日掲載)
リンク: https://www.ritsumei.ac.jp/research/aji/asia_map_vol02/kyrgyz/essay02/