アジア・マップ Vol.02 | マレーシア
《総説》
「ハラール産業先進国」としてのマレーシア
1.マレーシアの概要
「ハラール産業先進国」としてのマレーシアについて述べる前に、マレーシアの概要について簡単に確認しておきたい。マレーシアは、1957年にイギリスより独立した(写真1)。正式名称はマレーシアであり(連邦国家であることに鑑み、マレーシア連邦と呼ばれることもある)、首都はクアラルンプールである。
マレーシアの地理的な特徴は、東南アジア地域に属し、マレー半島部の西マレーシアとボルネオ島北部の東マレーシアより構成されていることである。マレー半島の北部はタイと国境を、南部はシンガポールと接しており、ボルネオ島北部の東マレーシアは、ブルネイ・ダルサラーム王国やインドネシアと国境を接している。そのため、特に国境付近では相互の文化が影響しあっている場合も多く見受けられる。さらに、マレーシアは熱帯雨林気候に属しており、年中、30度を超えることがほとんどであり、雨季にはスコールが降る。
人口は、約3,300万人であり、人口の約70%がマレー系(先住民も含む)、中華系が約23%、インド系が約7%、その他から構成される。いわゆる、多民族国家である。さらに、マレーシアの歴史を辿ると、経済政策への取り組みに注力していることがわかる。これまでにも民族集団のパワーバランスや社会状況を意識した経済政策が実施されており、それは現在の経済政策などにも影響力を及ぼしている。
政治の側面では、マレーシアは、立憲君主制をとっている。全13州のうち、9州にスルタンがおり、スルタンによる州の統治がなされてきた。そのスルタンの存在を束ねるのが、マレー語でラジャと呼ばれる国王であり、国王は5年間の輪番制となっている。現在は、ジョホール州のスルタンが第17代国王として即位している。連邦議会選挙が行われ、首相が連邦政府を率いるという意味では民主国家としての側面も持っている。
2.多民族の共存
マレーシアという国について特筆すべき重要な点は、マレー人、華人、インド人、その他の民族グループから構成される多民族国家であるという点である。現在は、さまざまな工夫を凝らしながら多民族の共存関係を築いていると考えられるが、政治、経済、社会、教育の現場においては、民族グループ間のバランスや言語の問題など、課題は山積している。これらの課題に宗教の問題も加わることもあり、課題の本質が見えづらくなってしまう場合も多々見受けられる。1965年5月13日に生じたマレー系と中華系の間で民族暴動事件(5.13事件とも言う)は、共存を進めていく大きな契機となったと言える。
マレー人とは、「マレー語を話し、ムスリム(イスラーム教徒)であり、マレーの慣習に従う者」という定義づけが、独立憲法の中でなされている。
現代における多民族共存の工夫の一つにハラール産業への取り組みをあげることができる。ハラールとは、アラビア語で「合法」を意味する言葉である。そのため、ハラール産業への参入はムスリムのみと思われるかもしれないが、実際は民族、宗教関係なく参入することができる。つまり、ハラール認証規格という規則を遵守することが、ハラール産業における重要な決まりとなる。ハラール認証規格に則って合法だとみなされた場合には、その製品にハラール認証ロゴが付与される(写真2)。
現在では、マレー人だけでなく、華人や、インド人などのさまざまな民族がハラール産業に参入し、ハラール製品の販売や開発を行っている。加えて、マレーシアの国外においても、イスラーム、非イスラームの違いに関係なく、さまざまな国に本社を置く企業がハラール産業に関わっている。
そのため、宗教的な取り組みという側面より、民族グループごとの経済活動や企業の成長に良い影響を与えてきたと言えるだろう。もちろん、ハラール認証ロゴが付与されていることで、マレー人は安心して食品や食材を購入することができることも重要な点である。多民族が生活する社会において、言語や宗教を同化ではなく、共存を推進していく工夫がこれからも大切である。
3.「ハラール産業先進国」への道
マレーシアは多民族という環境に伴い、人々の言語や宗教が多様である。まず、原則としてマレー人は、マレー語を話しイスラームを信仰している。さらに、華人は、中国語を話し仏教や儒教に帰属し、インド人は、タミル語を話しヒンドゥー教やキリスト教を信仰していることが多い。もちろん、華人の中にもマレー語を話す人やキリスト教を信仰している人もおり、インド人も同様である。
このことはマレーシア国内の生活にも大きな影響を与えている。例えば、国内で見かける道路の案内標識のほとんどはマレー語が使用され、公共交通機関である電車の駅のホームや車内の案内にはマレー語と英語が並列して表記されることが多い(ちなみに、マレーシアの主要駅では日本語の表記を見かけることもある)。さらに、街中で見かける店舗の看板などはマレー語、中国語、タミル語、英語のみが使用されている場合もあれば、複数の言語が並列して書かれている場合もある。また、州や建物によっては、マレー語と共に、ジャウィ文字(マレー語を表記するために、アラビア文字を改良して創られた文字のこと)が表記される場合もある(写真3)。一方で、「危険」を表すような標識の場合には、マレー語、英語、中国語、タミル語の4言語が共に表記される。
この表記に関する問題は、食事にも影響を与えてきた。店で販売されている商品の成分表記のほとんどは、一つの言語のみが表記される場合が多い。加えて、飲食店におけるメニューで使用されている言語についても同じような状況である。このような状況を払しょくする一つの経済的な手段として、「ハラール」という概念と「産業」とを結びつけたハラール産業が2000年から開始された。国内の産業構造の中に、ハラール産業を位置付けることで、マレーシア国内の経済活動の活発化を促すことに繋がるとともに、これまで、イスラームと言う宗教は世界的にみても近代化の流れには一定の距離を保ちながら受容や反発を繰り返しながら成長を遂げてきたと言える。その一方で、ハラール産業という構想は、近代化にうまく適応したと共に、国内の産業構造の中に近代化を位置付けることに成功した例としてみることができる。その結果、現在では、世界中のあらゆる国に本社を置く企業がハラール産業に参入し、ハラール産業のグローバル化が生じることとなった。
第一次マハティール政権期において、マハティールは1991年に「ワワサン2020」という2020年までにマレーシアの先進国入りを目指すという構想を打ち出した。この構想を継いで、2019年に新たに「ビジョン2030」という「ワワサン2020」に代わる新たな構想が打ち出された。2020年までに、マレーシアを先進国入りさせるといった目標には届かなかったものの、ハラール産業に焦点を当てると「ハラール産業先進国」と呼べる段階までハラール産業を拡大し、世界中に革新をもたらしたことは現在のハラール産業への参入率やハラール食品や製品の普及率を確認すると明らかである。
4.おわりに
2020年にマレーシアは、ハラール経済という新たな構想を打ち出した。これは、これまでのハラール産業の世界的な拡大と、マレーシアが「ハラール産業先進国」と呼べるまで成長した2000年からの20年間を終え、新たなフェーズへと突入した証であると言える。これから、マレーシアのハラール産業がどのような展開を見せていくのか、マレーシアの動向を見守っていきたい。
桐原翠,《総説》「「ハラール産業先進国」としてのマレーシア」『アジア・マップ:アジア・日本研究Webマガジン』Vol.2 MY.1.02(2024年8月1日掲載)
リンク: https://www.ritsumei.ac.jp/research/aji/asia_map_vol02/malaysia/country/