アジア・マップ Vol.02 | マレーシア

《エッセイ》マレーシアと私
「スダッ・マカン?」ごはん食べた?

 
桐原 翠(京都府立大学・農学食科学部和食文化科学科 講師)

 「スダッ・マカン(sudah makan)?」これは、マレーシアではよく耳にする質問の一つであると言える。「ごはん食べた?」という意味で、私もマレーシアに渡航中には友人や知り合いの研究者から出会い頭によく聞かれる。マレーシアはマレー系・中華系・インド系からなる多民族国家であり、街中や市場に出かけると様々な民族の人々が行き交い、マレー語、中国語、タミル語といった言語が飛び交う。それは食にも大きな影響を与えている。

写真1

写真1 マレーシアのラマダーン・バザール
2023年3月のラマダーン月に開催されるラマダーン・バザール(市場)の様子。イスラーム世界では、ラマダーン月の間は太陽が昇って沈むまでサウム(断食)を行うことがムスリム(イスラーム教徒)の義務である。もちろん、幼い子供や体調の悪い人は断食を見送ることもできる。
(マレーシアのクランタン州にて、筆者撮影)

 ムスリムの食事といえば、一般的な認識としての代表例とされるのは、「ムスリムは豚肉を食べず、飲酒しない」とい言うものである。もちろん、この認識は間違いではないが、現地に出向き人々の生活に触れると、「ムスリムは豚肉を食べず、飲酒しない」という表現はいかに画一化された見方であるのかということに気が付く。マレーシアにおけるムスリムの生活は、多民族という環境の中で徐々に培われてきた。私が専門的に調査し研究を行っているハラール産業もその例の一つとして挙げることができる。「ハラール産業」と聞くと、食事に限定された話のように感じる人が多いようであるが、「ハラール」とはアラビア語で「合法」(つまりイスラームの戒律から見て適正)を意味している。そのため、ハラールと言う単語はムスリムの食事に限定されず、ムスリムの実生活・社会すべてにおいて用いられる言葉なのである。

 ある時、マレーシア、クランタン州のモスクをマレーの友人と訪れたことがあった。モスクの中で聞くことのできるアザーン(礼拝の呼びかけ)の声は大変心地良く、たくさんのムスリムが礼拝をする後ろ姿を見ていると、私もイスラームの世界にきたのだな、と実感するものである。さらに、モスクの中やその周辺では、時として、礼拝を終えた人々が楽しげに会話をしている様子を多々見ることができる。私は友人の礼拝が終わるまで、モスクの隅っこでぼんやりと礼拝の様子を眺めていた。すると、年配の女性たちが私に興味津々に話しかけてきた。友人の礼拝が終わることを待っていることを伝えると、見ず知らずの私に、「スダッ・マカン?」 と尋ねてきた。その時はちょうど食事前だったこともあり、まだだよ、と答えると、クランタン州ならではの料理のことや自宅で作る料理にはどのような工夫をしているのか、そしてモスク周辺のおいしいお店のことを教えてくれた。マレーシアで出会う人々は料理の話を大変楽しそうに話すのが印象的である。

 モスクの周辺には露店も立ち並び、スナック菓子感覚で手軽に食べることのできるピサン・ゴレン(揚げバナナ)、クロポ・レコー(魚のすり身を棒状にして揚げたもの)や、クエと呼ばれるマレーシアの伝統的なお菓子などを購入することができる。礼拝後には、このような揚げ物やクエを購入し帰宅後家族で食べる場合もあれば、近所を訪問する手土産とする場合もある。食事を通じて人々が繋がる空間が自然と出来上がっている。

写真2

写真2 菓子販売の様子
クランタン州のモスク付近にある市場で売っていた菓子の様子。写真手前の袋の中にはクエが、写真奥にはクロポ・レコーが写っている。
(マレーシア、クランタン州にて筆者撮影)

 食事は、その土地で良く採れる物や民族の交わりなども反映している場合がある。例えば、今ではマレーシアやシンガポールのほとんどの地域で食べることができるニョニャ料理も、マレー系と中華系の交わりにより生まれた食べ物である。ニョニャ料理の代表的なものに、ニョニャ・ラクサと呼ばれる麺料理がある。これは、魚介類から採れたスープと黄色い麺を合わせたものであり、一見するとラーメンや中華料理のようであるが、ムスリムも食べることのできるハラール料理である。この料理の特筆すべき点は、マレー系の特徴的な側面と中華の特徴的な側面がうまく融合しているということである。魚介類のスープであれば、ムスリムであるマレー人は食することができるし、一方で黄色い麺は中華を彷彿とさせる。その他にも調理器具や具材などにも双方の特徴を生かした工夫が見受けられる。

 このように、食事には地域性だけでなく、民族間の共存を考えるうえでの重要な工夫や、民族における伝統といった側面も多く含まれている。ハラール産業も、そうした民族の共存をめぐる関する近代の代表的な工夫であると言える。ハラール産業に参入する企業は、マレー系、中華系、インド系と様々であり、外資系の企業の参入も多くなっている。人と人とが生活していく中で「食」は欠かすことのできないテーマであり、食事をしながら現地の人々と交流を深めることも多くある。私の現地調査を支えてくれている一つに、マレーシアの美味しい料理があると言っても過言ではない。これからも食を通じた人との交流や共存の工夫などに目を向けていきたいと思う。

写真3

写真3 ジャックフルーツを販売している露店の様子
マレーシアでは、果物の種類も豊富であり、様々な南国の果物に出会うことができる。マレーシアで代表的な果物と言えばドリアンがある。ドリアンは強烈な匂いが特徴的であるが、その匂いは「ドリアン持ち込み禁止」の看板が存在するほどである。ちなみに、筆者はドリアンとよく似た形のジャックフルーツを好んでいる。匂いや歯ごたえはドリアンとは全く異なる。
(マレーシア、ヌグリ・スンビラン州に向かう途中の道路にて、筆者撮影)

書誌情報
桐原翠「エッセイ マレーシアと私」『《アジア・日本研究 Webマガジン》アジア・マップ』2, MY.2.01(2024年00月00日掲載)
リンク: https://www.ritsumei.ac.jp/research/aji/asia_map_vol02/malaysia/essay01/