アジア・マップ Vol.02 | オマーン

《エッセイ》オマーンの都市
ニズワ

近藤洋平(福岡女子大学国際文理学部)

 ニズワは、オマーンの最も重要で、かつ歴史ある町の一つである。市内のシャワーズナ・モスクは、その建立の起源をヒジュラ暦7年、すなわち西暦628/9年にまで遡る。イスラームの預言者ムハンマドが生きていたころである。西暦9世紀前半、ニズワは「イバード派ムスリムたちの中心」と表現されるほどに、イバード派の拠点であった。イバード派とは、スンナ派やシーア派と同じく、イスラームの宗派である。西暦14世紀には、大旅行家のイブン・バットゥータがこの地を訪れた。彼は、ニズワの町の様子、人びとの性格や暮らしを記録している。

 私がニズワを初めて訪れたのは、2008年9月19日の金曜日だった。外務省の専門調査員として前月にオマーンの地を踏み、日々の移動のために必要な車が納品されてすぐのことである。オマーンのガイドブックに、ニズワの家畜市場についての説明があった。ラマダン(断食)月も後半に入った。断食月明けの祝日に向けて、金曜日に開かれるこの市場はさぞ賑わっていることだろうと考え、早朝ニズワに向けて出発した。車で2時間ほど、午前8時半ごろにニズワ中心部に到着する。

 果たしてニズワの家畜市場は、現地の人びとでごった返していた。トラックに乗せられたラクダ、ウシ、ヒツジ、そしてヤギ。白い長衣を着た集団。老いも若きも、「40リヤル、50リヤル」との売り手の言い値を聞きながら、円形の競り場に連れて来られる家畜を見ている。ヤギは一匹1万2〜5千円なのか。自分の聞き取り能力は、なんとか通用しそうだとほっとして、自分もヤギを見る。何人かの買い手は、ヤギの背骨に触れ、歯列を覗き、年齢や健康状態を確認する。男性たちに混じって、フェイスマスクをつけた女性が売り手に声をかける。黒い長衣を着た女性たちは、隅の木陰で待機している。

 家畜の競りは、10時を過ぎると終わりを迎えた。ガイドブックに従って、周辺をうろついてみる。1970年に即位した前国王が主導した一連の国内近代化政策・開発により、市内はこぎれいである。家畜市場に隣接して、青果市場や工芸品売り場がある。路上の木陰でも、人びとが農作物を売っている。「ねこ」にザクロが積まれている。ナツメヤシの葉状部を編んで作られた籠には、ライムが入っている。隣の露店ではハチミツも売られている。それらを横目で見ながら、ニズワ要塞へゆっくりと向かう。

 ニズワ要塞の屋上から、ニズワの賑わい、豊かな実りの源を確認する。ニズワはオアシス都市である。要塞の北には、ユネスコの世界遺産に登録されたファラジ(灌漑用水路)がある。ここに暮らした人びとは、古くからファラジを整備し、限りある水資源を適切に管理・使用してきた。ちょっと霞んでいるが、それでも青い空、焦茶色の山肌、緑色のナツメヤシ農園、そして砂漠色、白色を基調とした住居、建物。鳥のさえずりを聞きながら、しばし遠くを眺め、考える。自分の研究対象であるイバード派の人びとは、今から1000年前はどのような暮らしをしていたのか。

 マスカットで暮らしていた時は、2、3ヶ月に一度の頻度でニズワに足を運んだ。2010年9月に帰国した後も、ほぼ毎年ニズワを訪れた。ホテルはニズワ市内にも近郊にもあるが、私はいつもマスカットから日帰りでニズワに向かった。訪問目的は、毎回異なった。ある時はニズワに住むイバード派の学者を訪問するため。またある時は、市内の本屋でイバード派の関連書籍を探すため。バハラ、ジャブリン、マナフなど、近郊の町を訪れるさいの経由地として訪れる時もあれば、特に目的を持たず、なんとなく車を走らせた時もあった。訪問する時季に応じて、ニズワはさまざまな顔を見せる。12月から2月にかけて、ニズワはヨーロッパから多くの観光客を迎える。2月から3月ごろには、受粉用のナツメヤシのおしべを売る光景がみられる。ニズワの人びともまた、伝統と革新の間で暮らしてきた。

 ニズワを最後に訪れたのは、2020年1月19日のことだ。日曜日だったこともあり、この最後の訪問時には、家畜市場は開かれていなかった。駐車場は閑散としていた。レストランで昼食をとり、市内を散歩する。人びとが活動を再開する夕方前ということもあり、人けは少ない。そんな中、石造りのシャワーズナ・モスクはどっしりと構え、歩行者に日陰を提供していた。

 新型コロナウイルス感染症は、オマーンに暮らす人びとにも大きな影響を与えた。パンデミックも収まり、人びとの往来も活発になっている。冬季には多くの観光客が、ニズワを訪れるだろう。私もできるだけ早くオマーンに渡航し、ニズワを訪れたい。2020年と比べて、ニズワは何か変わっただろうか。この先世界はどうなるだろうか。自分はどうなるだろうか。初めてニズワを訪れた日と同じように、ニズワ要塞の屋上に上がり、青い空、焦茶色の山肌、そして緑色のナツメヤシ農園を眺めながら、しばし物思いに耽るつもりだ。

競り場での語らい。(2008年9月)

競り場での語らい。(2008年9月)

「ねこ」に積まれたザクロ。

「ねこ」に積まれたザクロ。(2008年9月)

ニズワ要塞からの眺め。 (2008年9月)

ニズワ要塞からの眺め。 (2008年9月)

書誌情報
近藤洋平「《エッセイ》オマーンの都市(ニズワ)」『《アジア・日本研究 Webマガジン》アジア・マップ』2, OM.4.01(2024年4月1日掲載)
リンク: https://www.ritsumei.ac.jp/research/aji/asia_map_vol02/oman/essay02/