アジア・マップ Vol.02 | パキスタン

移民のまち、カラーチー

 
小野 道子(東洋大学福祉社会デザイン学部・准教授)

 カラーチー市は、1947年のインド・パキスタン分離独立後、1959年まではパキスタンの首都として、現在はスィンド州の州都として、2000万人を超える人々が住むパキスタン最大の都市である。パキスタンの首都であるにもかかわらず、「パキスタンから3キロ離れている」とパキスタン人から揶揄されるイスラマーバードに5年ほど暮らした経験からすると、カラーチーは、パキスタンのすべてが詰まった都市のように感じる。外交官や開発援助機関、国連や国際NGO職員、企業関係者など外国人駐在員が多いイスラマーバードと比べると、カラーチーでの生活は身体的にも精神的にもタフさが要求される。外国人にとっての楽な暮らしは望みにくいものの、一度訪れるとまた行きたいと思ってしまう中毒的な魅力がカラーチーの街にはある。

 カラーチー市内は、ディフェンス地区の一部地域を除いて、碁盤の目状に整備された首都イスラマーバードのように、ストリートナンバーとハウスナンバーが分かれば簡単に行き先に到着できるような整備された街並みはない。サダル地区などの旧市街は、現代から数十年前にタイムスリップしたように感じる英領時代からの建物が残り、馬やロバが引く荷車、時にはラクダも見かけ、リキシャー(オート三輪)やバイク、派手な飾り付けのバスのクラクションなどがごった返す喧騒がある。その一方で、アラビア海を望むクリフトン地区の浜辺にはドバイを思わせるような大型ショッピングモール、お洒落なレストランやカフェ、シネマコンプレックスもあるという多様な顔を見せる街である(写真1)。カラーチー発着の国際線の乗客を見ていると、いかにもビジネスパーソン風であったり、民族衣装を着ていない女性も目立つ。カラーチーのショッピングモールの高級店や老舗国際NGOなどを訪問すると、思わず二度見してしまうようなお洒落なシャルワール・カミーズを着ている女性も多く、さすが2000万人のメガシティと感心する。

 パキスタンは多民族・多言語の国であるが、カラーチー市も同様である。スィンド州土着のスィンディー語話者は11%程度しかおらず、市内人口の半数近くを占めるのは、インド・パキスタン分離独立の際にインドから流入してきたウルドゥー語話者のムスリム、ムハージルと呼ばれる人たちである。ムハージルに次ぐ第二の勢力は、パキスタン北西部、アフガニスタンと国境を接するハイバル・パフトゥーンフワー州(KP州)出身のパシュトゥーンの人々である。車やバスのドライバーなど交通関係の仕事についている人が多く、カラーチーの人口の約15%を占める。パキスタンで最も人口の多い民族であるパンジャービーも11%、スィンド州の隣のバローチスターン州に多く住むバローチーは4%ほどを占めている。その他にも、パンジャーブ州南部で主に話されているサラーイキー語話者や北部地域出身のイスマーイール派の人々など(アーガー・ハーン財団からの奨学金などで子ども時代からカラーチーの寄宿学校で学んでいた人も)、風貌も様々な多様な民族、言語の人々が暮らしている。

 カラーチーには、国内の様々な地域からの移民に加え、ムハージル以外にも外国にルーツを持つ難民や移民も多い。私の研究対象である「ベンガリー」は、カラーチーでは、現在のバングラデシュとミャンマーのアラカン地方出身のムスリムのことを指す。1960年代から1990年代にかけてカラーチーに移住してきた人たちが多く、市内人口の10%にあたる200万人以上もの人々が暮らしているが、政府統計などには現れてこないため、パキスタン人もその存在を知っている人は少ない。大多数はバングラデシュ出身者であるが、25-30万人位程度はアラカン出身者、国際社会では「ロヒンギャ」と呼ばれる人たちである。

 実は、パキスタンにいる「ロヒンギャ」の人たちは、「ロヒンギャ」と名乗らない人が多い。「ロヒンギャ」という言葉すら知らない人もいる。大抵の人は初対面の相手には、「ベンガリー」と名乗り、バングラデシュのどこの出身なのか?と聞かれると、「バルミー」であると答える。多くの「ロヒンギャ」の人たちは、バングラデシュ南部に避難後にカラーチーに来ているため、バングラデシュに長く暮らしていたり、親戚や家族がいたりするなどバングラデシュとのつながりを持っている。「ロヒンギャ」を自称するのは、国際メディアが使う「ロヒンギャ」という言葉をよく知っている高等教育を受けたエリート層や、バングラデシュの「ロヒンギャ」難民キャンプに親戚がいたり、支援活動に携わっている人などごく少数の人たちに限られる。ミャンマーでは、「ベンガリー」と呼ばれたくないために祖国を追われ、100万人もの人々がバングラデシュの難民キャンプに暮らしているのに、なぜカラーチーでは「ベンガリー」を自称する人たちがいるのか、その理由は、後述する市民権問題にある。

 「パキスタン市民権法(Pakistan Citizenship Act: PCA)1951(1978年一部改正)」によれば、市民権を与えられる移住者の定義は、1951年のPCA制定前に旧英領インド内から移住してきた者、もしくは、1978年3月18日までに旧パキスタン領土内(東パキスタンは含まれるが、ミャンマーは含まれない)からパキスタンに来た者」である。そのため、「ロヒンギャ」の人々が市民権を得るためには、バングラデシュから来たベンガル人、すなわち「ベンガリー」と名乗ることが最も楽な方法なのである。バングラデシュ出身のベンガル人であっても、「1978年3月18日以前に東パキスタン州/バングラデシュからパキスタン側に来た」ことを証明することは容易ではない。フェリーやバス、汽車などの切符や配給証、予防接種証などの証明書類を見せて証明できる人はごく僅かである。

 カラーチーには、「ベンガリー」以外にも、ビハーリーやアフガニスタンからの難民・移民がいる。ビハーリーは、ウルドゥー語を母語とするインドのビハール州など出身のムスリムで、インド・パキスタン分離独立時にインドから東パキスタンに移住し、第三次インド・パキスタン戦争(バングラデシュ独立戦争)の際、西パキスタン側に味方したとして、ダッカなどのキャンプに収容されていた。バングラデシュ独立後、国際的な支援を受け、または自力でバングラデシュからパキスタン側に帰還してきた人たちである。パンジャーブ州やKP州などにパキスタン政府が設置したビハーリーのコロニーに住んでいる人たちもいるが、多くはカラーチーのオーランギー地区に居住している(コロニーでは生活できず、カラーチーに仕事を求めてきた人たちも多い)。アフガニスタン出身者は、1979年のアフガニスタンへのソ連侵攻以降、難民としてパキスタンに入国しているが、アフガニスタンと国境を接するKP州やバローチスターン州から、仕事を求めてカラーチーに移動してきた人たちも多い(2023年10月以降、パキスタン政府がアフガニスタンからの不法移民を強制退去させており、かなりの数のアフガニスタン移民・難民がアフガニスタンに帰国している)。ビハーリーやアフガニスタン出身者も市民権を持っていないがゆえに、条件の良い仕事を得ることが難しく、困窮した暮らしを余儀なくされている人々が多い。

 市民権を持っていないとはどういうことなのか。パキスタンには、CNIC(Computerized National Identity Card)と呼ばれる18歳になると取得できるIDカード(身分証)がある。市民権の有資格者でなければCNICを取得できず、無国籍の状態になってしまう。CNICを持っていないと、生活に様々な不利益が生じる。日雇い労働などインフォーマルセクターでの仕事しか得られないため、カッチー・アーバーディと呼ばれる低所得者が多く住む地域の中でも、特に水衛生環境が悪く、1日に10時間にもわたる停電があり、ゴミも回収されていないようなスラムに住んでいる人々も多い(写真2、3)。CNICを持っていれば公立病院での基礎医療は無償となるが、その恩恵も受けられない。携帯のSIMカードや飛行機、長距離バスのチケットを買うにもCNICの提示が必要であり、銀行口座も開設できないため、マイクロクレジットや貧困者への給付金などの社会保障も受けられない。子どもは小学校9学年以上に進級することができず(9年生と10年生で受験する中等教育修了試験を受験するために親のCNICの提示が必要)、定員を超えている小学校では1年生への入学さえ断られる場合もある。カラーチー市内の初等教育就学率は65%にも満たないが、CNICを持っていない外国にルーツを持つ移民の子どもたちの就学率はさらに低い。そのため、CNICを持っていない移民の子どもたちの中でも貧困層向けにNGOなどがノンフォーマル教育を提供している例もある(写真4)。

写真1

写真1: カラーチーのクリフトン地区にあるショッピングモールの様子(筆者撮影)

写真2

写真2: カラーチーのスラムでは長時間停電やゴミが回収されていない地域も目立つ(筆者撮影)

写真3

写真3:「ベンガリー」が40万人以上居住するカラーチー最大のスラム、マッチャルコロニー(筆者撮影)

写真4

写真4: 公立小学校に通えない「ベンガリー」の子どもたちが通うノンフォーマル小学校(筆者撮影)

書誌情報
小野道子「パキスタンの都市 カラーチー」『《アジア・日本研究 Webマガジン》アジア・マップ』2, PK.4.02(2024年4月16日掲載)
リンク: https://www.ritsumei.ac.jp/research/aji/asia_map_vol02/pakistan/essay02/