アジア・マップ Vol.02 | シンガポール
《総説》
シンガポール多言語社会—英語を中心としたバイリンガル政策の功罪―
小さな国に4つの公用語
シンガポールは小さな都市国家である。面積は約720㎡と、東京都23区よりやや広いほどの国土に多くの民族・文化、そして言語がひしめき合っている。人口は約546万人。そのうち、シンガポール人と永住者は約407万人であり、外国人居住者が約140万人と、全人口の3割以上も占めている。シンガポール人の民族内訳は、華人系75%、マレー系15%、インド系8%、その他2%(2023)。国語はマレー語。公用語は標準中国語、マレー語、タミル語、英語である。外国映画を見ていると、4行の字幕で画面の下半分が埋まることもある!
言語政策で特徴的なのは次の3点である。第1に、国語が公的場面で使用される頻度が少ない。国語はマレー語なのに、最も使用頻度が高いのは英語である。行政も、公教育も英語で実施されている。第2に、多くの国家では国語にはその国で最も人口の多い民族の言葉を採用する傾向にあるが、シンガポールの場合は華人系が人口的にはマジョリティであるにもかかわらず、標準中国語は国語ではない。第3に、英語を中心としたバイリンガル教育政策を採用している。これは、英語を教育媒介言語として全国民が修得すべき言語と規定し、その他3つの公用語は各民族の「母語mother tongue」と定め、教科として学習させる教育方針である。華人系の生徒は標準中国語、マレー系の生徒はマレー語、インド系の生徒はタミル語(最近はヒンドゥー語、ウルドゥー語も選択可能)の学習が義務付けられている。
国民生活も様々な公的場面において、このバイリンガル教育政策と同様に類型化され、CMIO政策(Chinese, Malay, Indian, Othersの各頭文字)によって規制されることがある。たとえばHDB(公共団地)の入居者の割合などもCMIOの人口比と比例して配分される。
シンガポールの言語政策の変遷とその社会的背景
なぜこのような特殊な言語政策が生まれたのか。シンガポール社会の特徴のひとつとして、言語と政治が強く結びつき、言語政策の変遷は、建国時からの国民統合政策やこの国を取り巻く外交・経済的状況を反映しつつ、大きく4つの段階に分けることができる。
第1期として、1965年の独立から70年代。シンガポールは独立後、マレー語を国語と定める。これは北にマレーシア、南にインドネシアという地政学的な影響から、外交上、また安全保障上、極めて戦略的な言語選択であった。翌1966年からバイリンガル教育政策を開始する。英語は民族間の中立言語として国民間の紐帯として機能すべく、また天然資源の少ない都市国家の「経済的生き残りをかけて」必要不可欠な言語とされ、また各母語は各民族が「自らのエスニック・アイデンティティを保持し、伝統的価値観を維持するために必要」とされた。リー・クアンユー初代首相が「シンガポール学校の校長」として旗振り役となり、2つの言語修得がシンガポール人のアイデンティティとして掲げられた。
第2期は80年代。1979年に標準中国語(華語)を話そうキャンペーン(Speak Mandarin Campaign)が開始される。シンガポールは同時期に経済的に急成長を遂げた韓国、台湾、香港とともに「四小龍」と称されることもあり、中華文化圏との交流を強化するために標準中国語を正しく話せるように、という華人系シンガポール人に向けたキャンペーンだった。
第3期はゴー・チョクトン第2代首相の就任(1990)とともに幕を開ける。1993年に中国との間に国交が樹立。中国大陸からの新移民が増加するにつれ、華人系のアイデンティティとしての中華文化も強調されるようになる。だが、SNSが英語を主な媒介言語としてグローバルに拡大していく中、英語で教育を受けた世代や海外留学経験者は英語圏文化に親和性を持ち、頭脳流出も多くなった。ゴー首相は2002年のナショナル・デーに「国に留まるのか、海外に逃避するのか“Are you a stayer or quitter?”」という演説のなかで国民の愛国心に訴えた。
第4期は、「良い英語を話そう運動Speak Good English Movement(SGEM)」(2000)から始まる。21世紀に入り、外資系の投資や観光客の増加により、英語の重要度はさらに増してきた。そこで、シンガポールで発達したシングリッシュSinglish(英語、中国地域語、マレー語の混淆言語)を排し、正しい文法で英語を話そう、という運動が始まったのである。この運動開始の前年1999年に香港が中国に返還され、このころから、香港の外国企業がシンガポールに進出を始め、最近は本社も移転し始めている。
2004年には、リー・クアンユーの息子、リー・シェンロンが第3代首相就任。貿易、金融、先端技術産業にさらに力を入れ、また地政学的に東南アジアのハブであることを活かし、経済成長にも拍車がかかるにつれ、英語需要も高まり、シンガポール社会の英語化が加速する。2007年には一人当たりのGDPが日本を抜く。リー・シェンロンの20年間の在任中、GDPは1949億シンガポールドルから約7000億シンガポールドルにまで拡大した。
2024年5月15日、20年ぶりに首相が交代し、ローレンス・ウォンが新たに第4代首相に就任した。1972年生まれのウォンは、人民行動党(PAP)の第4世代(40~50歳代の国家指導者層)に属する。海南省出身の父親を持つ移民2世、中産階級出身の庶民派である。米国中西部ウィスコンシン州の州立大学を卒業し、ハーバード大学院で学んだ。趣味はオートバイとギターで、ロック、ジャズ、ブルースに親しむ。ウォン首相はその出自と学歴、そして言語的背景から米中に強い文化的親和性を持つ。混迷する世界、米中対立の現在、既定路線である「中立外交」という立場をどれだけ維持できるか、難しい舵取りとなる。
英語化が進む社会の現状
英語化が進むシンガポールでは現在、「5歳以上が家庭で最も頻繁に話す言語」として、英語を選択した回答が全人口の約48%を占める(2020)。5歳から19歳の若年層では、約73%に跳ね上がる(2020)。
シンガポールは10年毎に国勢調査を実施している。「5歳以上が家庭で最も頻繁に話す言語」の統計を2000年、2010年、2020年(最新)で比較してみた。華人系で標準中国語を最も話す割合は45.1%→47.7%→40.2%と極端に減少、英語を最も話す割合は23.9%→32.6%→47.7%と増え続け、地域語は30.7%→19.2%→11.6%と激減した。この10年でインド系も50%→約60%へ、マレー系でも26%→約38%へと、家庭内での英語使用が増加している。
このように英語化が加速する要因として、国内の要因と対外的要因があげられる。国内の要因としては、バイリンガル教育政策の長期化による国民の使用言語の変化がある。英語中心のバイリンガル政策が長期的に適用されることで、英語リテラシーが世代間で継承されてくるようになった。1966年に小学校に入学した年代が40代から50代後半へと働き盛りとなり、現在ではその子供や孫の世代も英語教育になるにつれて、親子、あるいは祖父母も入れて3世代に渡って家庭内でも英語で話す世代が増加してきた。
対外的要因として重要なのは、貿易の発展、ICTの発達、SNSの拡大と共に、国内市場への外国人労働者、特に優秀なホワイト・カラーの増加が挙げられる。彼らとのコミュニケーション手段として、英語の重要度が増している。
バイリンガル教育政策の成果と想定外の問題の生起
まず成功した点としては、“仕事の言語Working Language”としての英語の普及があげられる。多民族国家シンガポール国内の民族間の紐帯としての英語の役割は大きく、独立以来、表立った民族対立のない、安定した社会運営の維持に貢献している。そして何よりも、この言語政策はシンガポールの経済発展の大きな原動力となった。ASEAN諸国の中心に位置するハブ、という地政学的な恩恵もあり、かつ英語で仕事ができるということで、ASEAN諸国へも進出を狙う海外企業、投資、優秀な人材を呼び込むことができた。
ただし、独立から約60年がたち、シンガポールを取り巻く世界の状況が変化するに伴い、想定外の問題も生じてきた。第1に、2言語学習の負担である。特に華人系とインド系の学生にとっては、民族語、国定の「母語」、英語と3言語を操ることが求められ、負担が大きく、言語をアイデンティティの基盤と考えない実利主義者の間では「英語だけでよい」との声まででている。
第2に、コミュニケーションの問題である。英語に流暢ではない祖父母世代と、中国地方語に流暢ではない孫との間にコミュニケーション・ギャップが生じたり、言語学習が不得手な人々の間では、日常生活での口頭でのコミュニケーションの場で、シングリッシュのような混淆言語の流通度も上がったりしている。「減算的バイリンガル」という、2つの言語をいずれも修得できない子供の数も少なくない。逆に、英語に流暢なグループでは、親の代から家庭でも英語を話しているのに「英語母語話者」と国内外で認識されない、という言語アイデンティティの危機も見られる。
第3に、社会構造の変化として、CMIO政策の揺らぎがあげられる。外国人人口の増加や国際結婚、異民族間結婚によって、民族間の境界が曖昧になってきたこと、“その他Others”の存在感が増してきたことにある。4つの「母語」以外の民族語を持つ移民からの異議申し立てや、中国との交易を意識してか、華人系以外でも子供に第2言語として標準中国語を学ばせたい、という要請も出るようになった。
バイリンガル教育政策の見直し
このような現状のなか、学校教育におけるバイリンガル政策、特に第2言語選択制度の見直しが求められるようになってきた。シンガポールにおける言語使用状況を国民目線から見ると、その選択は実利的傾向が強いようにみえる。独立世代の高齢者層は自分たちの民族文化に対する、ある種、センチメンタルな感情があるのに対して、若い世代は自分の生活に必要な言語、仕事上有利に働く言語を選択して学習する傾向がある。
ゆえに、国民一律のバイリンガル教育政策は現在の社会のニーズと相いれず、バイリンガル教育においては第1言語は英語としつつも、第2言語についてはより弾力的な、柔軟性のある、言語使用者が主体的な選択ができることが求められている。
言語環境の変化による文化変容
国民は英語に流暢になることによって情報源として英語媒体の書籍・視聴覚資料へのアクセスが容易となり、さらに英米の大衆文化、消費文化に親しむようになってきた。加えて、帰国子女や留学経験のある、欧米的な価値観を持つ年代が働き盛りの年代に入ってきた。ウォン首相の経歴と趣味を見ても米国文化の影響の強さがわかるであろう。政府は依然として建前上は、国民全員の2言語修得を目指す、という目標を掲げつつも、現実社会では英語使用が頻繁になることで、民族語による「伝統文化の価値」の継承が困難になる問題に危機感を募らせている。
宗教人口にも変化がみられる。英語で経典を読む世代では、仏教徒は減少傾向にあるのに対し、キリスト教徒は増加している。米国発のメガ・チャーチも勢いを増し、キリスト教徒が人口の約18.9%に達しており、仏教徒31.1%に次ぐ第2の宗教となった(2020)。また、SNSやICTの普及で欧米の若者文化の影響を強く受け、SDG関連やLGBTQの権利関連など社会運動も活発になりつつある。
政府の政策立案者とそれに対峙する市民活動家(多くは英米圏へ留学して高等教育を受けた「コスモポリタン」)と一般国民(英語に不自由な「ハートランダー」)との社会問題への意識が乖離・拡大していることは、国民統合の観点から懸念され、華人系間では中国大陸からの新移民と中国(標準語)台頭によるアイデンティティ危機も深刻化している。
このような言語環境の変化に対応して、政府の文化政策も変化している。CMIOの各民族の伝統文化強調からシンガポール人共通の国民文化を強調する傾向がみられる。SGEMが軟化し、それまで排除していたシングリッシュを「文化遺産」として許容しはじめた。独立50周年のパレードでも、シングリッシュを可視化した山車を「国民のアイデンティティ」の象徴のひとつとして、代表的な食文化や名所の山車とともに登場させた。
2015年3月25日、初代首相にして国父と讃えられたリー・クアンユーの国葬にて、大砲の牽引車に乗せられたリーの棺がイスタナ(大統領官邸)前を訪問した際、屋根の上の国旗掲揚台に一人立つグルカ兵のバグパイパーが奏する惜別の「オールド・ラング・ザイン(蛍の光の原曲。スコットランド民謡)」が流れた。2024年5月15日、多くの国民が新首相誕生のニュースで視聴した曲は、ウォン新首相のティック・トック動画であり、自らがギターでつま弾く、テイラー・スウィフトの「ラブ・ストーリー」であった。2025年には独立60周年を迎えるシンガポールは、英国植民地時代の長い影が色濃く残っていた時代は幕を閉じ、政治的にも、社会的にも、そして言語文化的にも新たな時代に入る。
第4代シンガポール首相
ローレンス・ウォン氏(出典:首相官邸ホームページhttps://www.kantei.go.jp/jp/101_kishida/actions/202305/26hyokei.html
書誌情報
奥村みさ,《総説》「シンガポール多言語社会—英語を中心としたバイリンガル政策の功罪―」『《アジア・日本研究 Webマガジン》アジア・マップ』2, SG.1.01(2024年9月17日掲載)
リンク: https://www.ritsumei.ac.jp/research/aji/asia_map_vol02/singapore/country/