アジア・マップ Vol.02 | シリア

シリアと私
シリアの書店

 
柳谷あゆみ(公益財団法人東洋文庫・研究員)

<アラブの総合書店サイトの不思議>

 アラブ諸国にもamazonのようなインターネット上で書籍を購入できるサイトがある。特に規模が大きいのはエジプトのニール・ワ・ル・フラート(「ナイル川とユーフラテス川」。もしかしてamazonを意識して二大河の名前にしたのだろうか?)や、ヨルダンのジャマロン(このサイトについては後述する)などで、私もよく利用していた。

 これらのサイトを使ってみるとamazonとはちょっと仕組みが違うことに気付く。サイト上に掲載された書籍と価格を確認して、送料も含めた金額をクレジットカードで決済するところまでは同じだが、その後、現物の有無の連絡があるのだ。サイトに掲載されていても「この本は仕入れられなかった」という連絡が来れば書籍は届かず、返金処理がされる。

 この「発注後に現物の有無がわかる」という仕組みは、一瞬驚きはするもものの、アラブの書店で本を買った経験から考えると、それはそうだろうな、と思ってしまう。広く多様なアラビア語圏の書籍を扱うにはこうならざるを得ないとすら思う。

総合書店サイト「ジャマロン」のロゴ

総合書店サイト「ジャマロン」のロゴ


<ダマスカスの書店で本を買う>

写真2

2010年のダマスカス

 留学先がダマスカスだったこともあり、アラビア語の本はだいたいダマスカスの書店で買っていた。ダマスカスの書店の店主やスタッフたちは私のアラビア語書籍収集の先生だ。

 ダマスカス市内には文献収集でも頼もしい味方となってくれる店がいくつもあった。ただダマスカスの書店はたいてい小規模の専門書店で(書庫は大きいのでキャパシティは見かけ以上にある)、一軒であらゆるジャンルの書籍を集めるのはけっこう難しい。日本でいうところの独立系書店や古書店がイメージとしては近いかもしれない。またダマスカスに限らず、個人経営の書店は休日や営業時間がまちまちなので、初見の客がごく短い期間で集中して書籍を収集するのは相当困難だと思う。

書店の棚

書店の棚

書店の棚

 こちらの要望を聞いて書籍を探して取り寄せてくれる店もあるが、どの分野に強いかやサービス内容は店主とスタッフによって異なる。仕入れには彼らの能力に加えて、地縁や血縁や信仰(宗派)に基づく人脈も関わってくるので、どの書店でどういう本が買えるかという情報は、書店の性格やスタッフを知ることに結びつく。

 ダマスカスの(そしておそらくアラブ諸国の)書店で本を探して買うことは、人が、しかも何人もの人が関わってくる話だ。資料のリストを持って店に入り、店主にそれを見せると「これはうちにはないな」と言われる場合と「ありますよ」と言われる場合、そして「今、うちはないけど、よそにはある」と電話をかけ始める場合がある。あれば万々歳、なければこの店はちょっと傾向が違った、ということだろう。電話をかけ始める店主は、知り合いの書店に心当たりがあるのだ。書店主同士が互いの扱い内容をだいたい把握していて、そのやり取りで書籍が動いたりするのを見ると、そういえば本は人の手で流通しているんだなと当たり前のことに感心する。冒頭のインターネット上の書店サイトの仕組みにすぐ納得したのも、同じことを大規模にやっているだけだと気づいたからである。サイトの運営者はすべての書籍の在庫を管理しているわけではなく、取引のある書店の在庫を大まかに把握しているにすぎない。注文を受けた時点で改めて在庫を確認し、販売を代行しているのだろう。

ダマスカス国際書籍市(現在は休止されている)

ダマスカス国際書籍市(現在は休止されている)

 ダマスカスの書店でも書籍のやり取りは国内に限らない。もちろんシリアで入手しやすいのはまずはシリアで刊行された書籍であり、次に隣国レバノンで刊行された書籍だ。けれど店主によってはイラクやヨルダンに伝手があり、取り寄せ可能な場合もある(ある程度まとまった量の注文でないと難しいが)。

写真6

ダマスカスで取り寄せた『モスル文明百科事典』

 イラクで刊行された本をダマスカスで入手するのは普段の購入と比べるとやはり少し気の長い話になった。出張は10日間程度なのでまずダマスカスに着く一か月前にファクスで書店に探している本のリストを送っておく。一か月後、ダマスカスに到着して書店に行くと、店主がどれが入手可能で、いくらくらいになるかを教えてくれる。それで購入が決まるといよいよ人が動き出すのだ。それからはほぼ毎日のように書店に通って進捗を聞く。

 正直なところ、この書店通いを面倒くさく思ったこともあった。行っても本はない。明日また来いと言われても、明日も本がないという確信がある。でも翌日も行く。本のことだけでいえば、この行動は無駄以外の何でもないけれど、なんとなく直感的に「この本屋通いは必要なんだろうな」と思って続けていた。書店に置いていない本を取り寄せてもらうのは、利益もあるとは思うが、大部分は店主やスタッフのご厚意である。先方が「おいで」と言ってくれているうちは挨拶だけでも会いに行ったほうがいいし、行って喜んでくれるならなお嬉しい。そういう関係がどううまく働くのかはこれも明確に言えるようなものではないのだが、馴染みがあるほうが頼りがいもある。書店は本を買いに行くだけのところではない。書店にいる人たちに会いに行くのだ。書店に行って、店主と紅茶を飲みながら話をする。店に来るお客さんたちと話をする。製本屋さんに挨拶をする、店主の兄弟や息子たちに会う。他愛ない出会いの合間に書籍の購入と運搬も順調に進んでいく。書店主から進捗を聞く。
「モスルで書籍が買えたと連絡があった」
「イラクとヨルダンの国境にいるそうだ」
「ヨルダンに入った。明後日にはシリアに入る」
書籍を仕入れて運んでいる人は店主の知り合いで、そうなると今や自分にとっても知り合いに近い。誰かがイラクで本を探して入手して、運んでくれている。関わる人の存在がリアルに感じられ、欲しい本を手に入れることのありがたさをしみじみと実感する。書店の店主たち、スタッフたちにはほんとうにいろいろお世話になった。ただ本を買うだけの私だったが、アイスクリームやお菓子をおごってもらったり、資料についてアドバイスをいただいたり、イフタールをごちそうになったこともあった。シリアもアラブ有数の書籍大国といえるだろう。古書も新刊書もたくさんあって、知り合いの本屋さんがあって、行くたびに嬉しいところである。


<危機にある書店>

 2010年の夏以降、シリアに行かれないまま10年以上が経ってしまった。先日、ダマスカスでお世話になっているウバーダ書店の主人アブー・ウバーダにメールで現況を尋ねたところ、予想以上に厳しい状況が伝えられてきた。2011年以降、顧客だった日本人や外国人の研究者や学生は全く来なくなってしまった。2011年にシリアは自国民に対する人権侵害によってアラブ連盟から資格停止処分を受けたほか(2023年に復帰)、経済制裁を受けていることもあって国外との経済活動が難しくなった。ダマスカス国際書籍市も中止になり、他国の新刊書籍が入ってこない。シリア国内での刊行数も激減している。加えて古書を収集する際に頼りにしていた個人蔵書の多くは、国内の混乱に巻き込まれ、略奪などで散逸してしまった。焼かれてしまったものもある。現在、買取を打診される古書の多くは略奪された書籍の可能性が高く、盗品で商売をしたくないから買取も断っている。さらに、今や国民の平均月収は月額20ドル、書籍は贅沢品になってしまった。誰も買えない。ダマスカスの書店は次々と閉店している。うちも開店休業状態だ。
 それまでにもダマスカス中心部にあったノベル書店の店主が店を閉めて移住した等の知らせは受けていたが、言葉を失ってしまった。

 シリアに限らず、アラブ書店の危機的状況はここ数年報じられている。ロンドンに本社を持つヨーロッパ最大の中東専門書店al-Saqi Bookshopが「経済的な困難」を理由として、2022年12月31日をもって44年の歴史に幕を下ろした。ベイルートでもハムラー通りの東洋書店が撤退し、また近辺にはほとんど靴屋になってしまった書店も見られた(ダマスカスでも同じように靴を売り始めた例が報じられている)。この事態は新型コロナウイルス流行によるロックダウンもあり、経済の停滞と流通にかかる経費の高騰が原因とみられている。冒頭に挙げたインターネット書店サイト「ジャマロン」は、多くの注文を受けることで利益を維持し書店ともよい関係を築いていたと思われるが、送料急騰など複数の要因が重なり、事業を継続できなくなった。ダマスカスの場合は、これらにシリアの事実上の内戦状態と経済封鎖が加わって、もっとも厳しい形で書店が社会変動の影響を被ったのだといえるだろう。

 ダマスカスの書店をはじめアラブの書店の多くは、本を探し買うだけではなく、本を求める人と本に携わる人が出会い、共に過ごす場所である。お茶を飲んだり菓子を食べたりしながら、店主やスタッフに本のことを教えてもらい、本の話や本ではない話、貴重な話や無駄だらけの話をする場所だった。実店舗がなくなるというのは、そうした場を失うことである。交流なんかいらないというかもしれないが、こうした交流は本の入手にも結びつく。本はインターネットで誰にも会わずに購入することもできるけれど、ほんとうはネットには載せきれないほど多様な本があり、ネットからこぼれた本は、人づてでしか手に入らないのだから。場が消えてしまう前に、できる手を打つべきだ。ダマスカスにはまだ本もあり有能な書店人もいる。そうは思いつつもこの10年でできたことと言ったら、わずかに本を買い、書店主とメールでやり取りをしたくらいだ。みんな元気で、あなたがたのことを覚えていると言い続けているが、実質何の役にも立たない。ダマスカスに戻ったとき、本屋がなくなってしまったら、いったいどこに行けばいいのだろう。

写真7

「ウバーダ書店と店主アブー・ウバーダ」

ウバーダ書店と店主アブー・ウバーダ

 今日、アブー・ウバーダに「ダマスカスの本屋について文章を書くんだけど、何か追加情報はありますか」とメールで尋ねたら、さらに厳しい、とまた数店の閉店を知らせてくれた。しかも「うちもいつ閉めるかわからない」と恐ろしいことを書いていた。税金の問題が出てくるかもしれないらしい。でも本好きの知識人に助けられて今のところはもっている。

 まだしばらくは大丈夫らしいことにわずかに安堵しながら返信を打った。
「ダマスカスの話はいつも美しい。たとえ、悲しい話であっても」


書誌情報
柳谷あゆみ「シリアと私 シリアの書店」『《アジア・日本研究 Webマガジン》アジア・マップ』2, SY.2.02(2024年4月1日掲載)
リンク: https://www.ritsumei.ac.jp/research/aji/asia_map_vol02/syria/essay01/