アジア・マップ Vol.02 | タイ

《エッセイ》タイの都市
チェンマイ

立命館大学政策科学部 教授 石原一彦

チェンマイという都市
 チェンマイは、タイ第2の都市と言われる。人口は多くはないが、歴史的経緯や文化の集中などでそう言われている。人口は、チェンマイ県約170万人、チェンマイ市は約23万人程度である。チェンマイは、「北方のバラ」と称される。しかし、町中を歩いてみても、美しい花は多いのだが、バラを目にするわけでもない。なぜそう呼ばれるかは、①前国王のシリキット王妃がチェンマイの別邸に大量のバラを植えたことに由来するという説。結構新しい由来である。②チェンマイの女性がタイ人の中でも色白の美人が多いという説。北方で中国に近く中国からの民族が入ってきていることから肌の色も白い方が多いと思う。

 チェンマイの建都は1296年、メンラーイ王による。「チェンマイ」とは「新しい街」という意味である。その後、ビルマ(現ミャンマー)にたびたび侵略されたり、占領されたりもしたが王朝は何とか存続し、「ランナー」と呼ばれるゆるやかな国(地域という方が近い)を形作り、それが後に「タイ」に併合された。併合は1939年、つまり第二次世界大戦が始まった年であるから、割と最近のことである。

 チェンマイは西にステープ山を抱え東にピン川が流れる東下がりの地形である。旧市街は1辺約1.6㎞四方のお堀に囲まれ、お堀の内側には煉瓦の市壁があったが壊され道路となった。5つの門と四隅においてレンガ造市壁が再現されている。鉄道や自動車運輸が発達する前、タイでは川を使った船運が主流なロジスティックスであった。タイ国土の標高差はとても少なく、川の流れはゆったりとしている。チェンマイの標高は310m、バンコクは1.5mである。船運が主流であったため、ピン川から、旧市街東側のターペー門までが商業地として栄えた。その名残もありナイトマーケットや飲み屋が集積しているエリアでもある。西側は、市街化が進んでいなかったエリアで、空港やチェンマイ大学など新しい大規模施設が立地している。

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チェンマイの都市構造 中央部に1辺1.6㎞の堀に囲まれた旧市街があり、5つの門がある。

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旧市街を囲むお堀。チェンマイの強力なアイデンティティを形成している。

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5つの門の中で最も主要な東側のターペ-門。レンガ市壁が再現されている。

チェンマイの寺院
 タイの主要宗教は仏教である。日本の大乗仏教とは異なり、上部座仏教(小乗仏教)で、自分自身のために教えを守り、修行をした人だけが救われるとされている。タイの人々は、非常に信仰心に篤く、寺院は基本的には寄進によって運営されている。

 チェンマイの特に旧市街内は、仏教寺院の密度が非常に高く、多くの寺院が立地している。いずれも、美しく管理されている。私は、タイで荒れた寺は見たことがない。

 チェンマイの寺には、ランナー様式と言われるランナー朝の伝統を受け継いだ、北部タイ独特の建築様式がよく見られる。ランナー様式とは、ランナー王朝時代から築かれてきたデザイン様式で、主に、二層、三層に積み重なった屋根に特徴がある。屋根は反りを持っている。建築材料は、主にチーク材である。ちなみに、チーク材はこれまでにイギリスなど海外に多く輸出され、また中国にも家具材として輸出され、現在タイではチーク材は枯渇しているという。なぜ、二層、三層の屋根で構成されているかについては、私は屋根を構成する木材を長大な木材を使用しなくてもすむからだと考えていたが、チェンマイ大学建築学部のナウィット先生の話では、室内の高さを段階的に変えるためではないかとのことであった。

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ランナー朝の屋根が特徴のワット・パンタオ

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どのお寺もきれいに整備されている。このような箱庭的なものも整えられている。

チェンマイの都市景観
 タイの建築法制の基本は、建築物管理法(日本の建築基準法に相当)と都市計画法である。また、建築物管理法に加えて、地方自治体独自の条例を有する場合もある。

 チェンマイ市の建築管理に関わる条例は、「特定区域に関するチェンマイ市条例」と呼ばれ、特定エリアの建築物の高さ規制やデザイン、色彩規制とともに、用途規制を行っている。市条例は、1967年に最初に議会承認されており、歴史ある政策である。

 市条例では、旧市街、お堀周辺等、旧市街含むゾーンを4つのエリアに区分して、建築規制を行っている。

(1)高さ規制
 旧市街のエリアは、壁高12mの高さ規制がされている。壁高規制は日本の軒高規制に相当する。この高さ規制の結果、3階建もしくは4階建の建築物が上限となっている。壁高規制のため、屋根部が高さ規制に含まれず、積極的にランナー様式の傾斜屋根が載せられて、日本の建物全体の高さ規制に起因する不自然な屋根形状は見られない。

(2)デザイン規制
 旧市街のエリアは、三角形・球形・自由形状の建築物は禁止されている。屋根面積の80%以上は傾斜屋根とし、軒の出は60㎝以上とされている。

(3)色彩規制
 旧市街のエリアでは、屋根は茶、赤、オレンジ、灰色、天然素材の色とされ、反射率30%を超える光沢のある素材の使用は禁じられている。壁面は、茶色、クリームホワイト、オフホワイト、天然素材の色とされ、反射率30%を超える素材は使用が禁じられている。

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西のステープ山を望む都市景観。電線が邪魔だが、京都の風情に似た低層の都市景観を形成している。

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3階建のショップハウスの上に、屋根がのっている。

チェンマイ旧市街の景観実態
 このような建築規制のもとにチェンマイの旧市街では低層系の街並みが維持されており、お堀や門、きれいに整備された寺院と合わせて、チェンマイの強力なアイデンティティを形成している。旧市街の3、4階以下の低層の街並みは、西のステープ山の背景と重ねると、京都の盆地景観の風情に似ている。色彩やデザイン規制は、徹底されてはいないが、ランナー様式調の屋根や色彩規制などによりチェンマイらしい落ち着いた景観を形成している。しかし電柱、大量の通信線や看板の存在や、バイクや車の路上駐車などは、景観を大きく阻害しているのは残念であるが。一方で、箱庭のような植栽や、小魚のいる水鉢の軒下設置など、自然を取り入れた身近な環境を愛しみ、魅せる市民の姿勢がみられる。緑や花木に対する親しみが感じられ、人々は水やりや剪定などの世話をよくしている。

 チェンマイは、古都の環境を重視し、早くから景観規制を行ってきた。規制基準はあいまいなものもある。通信線など、景観を阻害する要素も多い。完全ではないが、しかしチェンマイらしい景観が形成されている。人々は古都の環境を理解し、愛着を持ち、時間をかけて育み、チェンマイのアイデンティティ維持・形成していると感じる。


番外編:コロナ禍のタイの状況
 私は、学外研究期間をいただいて、2021年2月~2022年3月までタイ、主にチェンマイに滞在した。まさしく、コロナ禍真っ盛りの時期である。なかなか得られない体験なので、コロナ禍のタイの状況を簡単に記しておきたい。

 2021年2月に渡タイした当時、タイはコロナの抑え込みがうまくいっていて、感染者が少なく、レストランなどの店内営業が解禁になっていく時期であった。入国に際しては、通常必要な就労ビザ以外に、コロナ禍の特別入国条件であるCOE: Certificate of Entryが必要で、医療保険証書(コロナ疾患対応を明記)、検疫隔離ホテル予約確認書、Fit to Fly(搭乗可能健康証明書)、PCR検査陰性証明書、タイ王国健康質問書などが求められた。

 渡航の飛行機では、客室乗務員は、N95マスク、ゴーグル、防護服という完全防御状況であった。空港について、COEの確認などを経て、検疫隔離ホテルへとこれまた完全防御車に乗せられて移動した。検疫隔離ホテルで15泊16日の隔離がされる。毎日2回の体温報告と6、13日目にPCR検査を行わないといけない。6日目のPCRで陰性だと部屋の掃除が入るし、毎日プールサイドへ1時間の外出が許される。食事もおいしく、テレビも充実しており、wifi環境の良いホテルであったが、やはり個室にずっと隔離されるのはつらい。まったくもって快適な監獄であった。運動がしたくて、30分間部屋の中を170往復走ったりしていた。

 出獄後、チェンマイへと移り、本格的な学外研究期間がスタートである。といっても、4月からタイのコロナ感染者数が増加し、チェンマイ大学も在宅勤務中心となり、基本家にいることになる。4月13日-15日はタイの正月でソンクランという水かけ祭りの期間であるが、その時は水かけも禁止され、感染者が増えてくる中、イベントもなくなり、人がいないごく静かなチェンマイのまちなかであった。この年は、ソンクラン以外にも、主だった祭りは中止になっていった。

 タイのコロナ感染防止対策は、非常に厳格である。飲食店の持ち帰り以外の営業の禁止、夜間外出の禁止、県間移動の禁止など、結構きびしい対策が取られていた。県間移動禁止されていた時は、バンコク-日本の飛行機は飛んでいたが、バンコクまでどうやって行ったらいいのだろうかと考え、なにかあったら日本に帰られるのかと心配し、心理的にはきつかった。12月には、日本政府が日本人を含む日本への渡航を制限すると言ったが、朝令暮改に終わったので安心したが。

 タイではコロナ保険(コロナに感染したら一定の補償額が支給される)が非常に多くの契約がされた。コロナにわざと感染し、保険金の支給を受ける人が多く出て、コロナ保険はのちに終了する。ヤードムという鼻に突っ込んでメンソレータム的なものを吸入するアロマスティックで、感染者が使用した器具が、コロナに感染したい人のためにネットで売られていた。これらは、まだまだタイは貧しいということを実感させた。

 感染が収まってきた秋以降は、チェンマイ大学にも通うことができたが、タイの各地への訪問や多くの研究者との交流が自由に行えなかったことは残念であった。そのような状況でも、何とかして、タイの各地を訪問し、研究者とZoomも含めて交流したが。

 タイでは、3回コロナワクチンを接種することができた。2回アストラゼネカ製、1回ファイザー製である。タイでは、中国製のワクチンも多く打たれていたが、のちに「あれはワクチンではなく水だ」などといわれた。

 タイは、2021年度の間は、祭りの活動も中止となり、観光客を見かけることもなく、全く静かな町であった。チェンマイも、本来は観光客でにぎわっているのだが、人があまり歩いていない、ある種異様な光景であった。