アジア・マップ Vol.02 | タイ

タイの自然と景観から
「メコン河流域開発と環境保全戦略」

仲上健一
(立命館大学OIC総合研究機構サステイナビリティ学研究センター上席研究員)

 メコンを味わいたければ、石井米雄・横山良一著の歴史紀行『メコン』(株式会社めこん、1995年)に触れていただければ十分であろう。私も、中国雲南省からミャンマー、ラオス、タイ、カンボジア、ベトナムそして南シナ海まで流れるメコン川の各国を訪れたことはあるが、悠久のメコンの奥深さを語るにはその任にはない。

 ここでは、メコン川ではなく、「流域開発と環境保全」という視点でメコン河の持続可能な流域開発の在り方についてのべたい。

 メコン河は全長およそ4,900km、流域面積は795,500㎢におよぶ東南アジア最大の河川であり、雨季と乾季の流量が大きく異なる。乾季の低水流量は毎秒1,750m3/s、雨季には高水流量が52,000m3/sとなり南シナ海へ流入する。メコン河の年間流入量は4,750億m3で、日本全国の河川の年間総流出量4,500億m3を上回る。

 メコン河は有史以前から本流は南北移動、支流網は東西移動に使われてきた。第二次世界大戦後、メコン河に関心を示したのは国連アジア極東経済委員会(ECAFE)とアメリカであった。ECAFEの治水局(当時)は1949年の発足当初から国際河川の開発調査に関心があったが、メコン河が最終的に調査候補に残った。1951年に現地で予備調査が実施され、1952年に報告書が作成された。この提言に対して、カンボジア、ラオス、タイ、南ベトナムが賛同し、1955年にECAFEが本格調査を決定、1956年に今日でも基本的なメコン開発文書である「メコン河下流域踏査報告書」が1956年3月に提出された。ECAFE報告の提言を受けて、流域4ヵ国は、1957年、メコン川下流域調査調整委員会(通称メコン委員会)を創設した。メコン委員会は、メコン河本流の開発に関しては流域4ヵ国の合意の下に進めるという「メコン・スピリット」を原則とし、その精神は今日まで引き継がれている。

 1961年9月、フォード財団はホワイト (Gilbert F. White) シカゴ大学教授を団長とするコンサルタントチームをバンコクに派遣し、「メコン河下流域地域開発の経済・社会的側面」というホワイト報告書をメコン委員会に提出した。この報告書は、今日のメコンプロジェクトの社会・経済・財政・運営面における視点の重要性を訴える役割を果たした。1990年頃、私は、名古屋の国連地域開発センターの会議でGilbert F. White博士とお会いすることができ、研究会で率先して司会をされる80歳過ぎの矍鑠たる姿に感銘したのを昨日のように覚えている。

 1990年代に入って冷戦が終結し、1995年4月に「メコン河流域の持続可能な開発のための協力協定」が調印され、これを受けてメコン河委員会(MRC: Mekong River Commission)が設置された。MRCの目的は流域管理であるが、2006年には「戦略計画2006-2010」が策定され、12項目(BDP、環境、情報および知識管理、統合的人材能力開発、水利用、洪水管理および緩和策、干ばつ管理、農業・灌漑・林業、航行、水力発電、漁業、観光)からなる統合的プログラムを構築された。これは、今日の「Basin Development Strategy 2021-2030」の戦略的優先分野(strategic priorities)にも引き継がれている。2010年8月には、西口清勝(立命館大学名誉教授)代表の科研プログラム「ASEAN・Divideの克服とメコン川地域開発(GMS)に関する国際共同研究」でメコン委員会(ラオス・ビエンチャン)を訪問したが、玄関に入るとMRCのプログラムの看板が置いてあったのが印象的であった。(写真1、写真2)(写真3)

 2009年11月6日、7日に日本において「日本・メコン地域諸国首脳会議」が開催され、日本とメコン地域諸国(カンボジア、タイ、ベトナム、ミャンマー、ラオス)の6か国の首脳による初めての首脳会議が開催され、その成果として、「東京宣言」と「行動計画」が発表された。総合的なメコン地域の発展、環境・気候変動(「緑あふれるメコン(グリーン・メコン)に向けた10年」イニシアティブの開始)及び脆弱性克服への対応、協力・交流の拡大の3本柱での取組を強化し、「共通の繁栄する未来のためのパートナーシップ」を確立するとの認識が共有される等、「メコン河流域開発」にとって画期的な内容であった。

 メコン河流域開発に対し、日本政府としてどのような態度で臨むべきかが、参議院調査会「国際・地球環境・食糧問題に関する調査会」(平成22年設置)で議論された。「メコン川流域管理における日本の役割」について、私は参考人として次のように述べた。「メコン川流域の政策的課題として、まず、中国やインドと連動した持続的発展のための経済依存関係の確立が必要であり、つながりの深い日本のリーダーシップが重要である。また、水資源開発においては、戦略的環境アセスメントの導入と、少数民族の生活保障、感染症など人間の安全保障に対応した水危機と戦略的適応策が求められる。さらに、国際機関、国家、地方政府、企業、市民、NGO等ステークホルダー間で統合的水管理に関する共通認識が必要である。メコン川流域のガバナンスにおいては、流域の保全と経済発展の調和、中国、インド、日本の関係を踏まえた新たなメコン・スピリットの確立、技術・経済に裏打ちされた日本の存在感、水の時代・アジアの時代の水の安全保障確立といった視点が重要である。日本の関わり方としては、高い評価を受けている水道技術協力など環境改善技術の輸出に加え、治水技術、治水ダム、スーパー堤防、地下の貯留池、雨期と乾期の両面対策のシステムなど気候変動への適応策も、日本のプレゼンスを高めるとともに真の水の安全保障への対応策となる。」

 地球温暖化による気候変動のために世界各地で異常気象が起こり、大きな被害をもたらしていることは周知の事実であるが、とりわけメコン地域においても影響は大きい。2011年のタイの洪水は死者752人を出したが、ラオス・カンボジアでも同様な異常降水であった。

 Eastham (2008)らの研究によると、降水量は、雨季では割合にして15.3%増加し、乾季においては、北部の一部を除いたほとんどの地域で減少するという。全体として水の年間流量や農業生産性は増大するものの、洪水の頻度が増加し、とりわけ下流域における影響は大きいと予測されている。悠久のメコンは、地球規模の気候変動に直面しているが、持続可能で健全な流域開発の方向が求められている。

写真1

メコン委員会の玄関に設置されている1995年合意

写真2

メコン委員会の庭にて(仲上健一)

写真3

ラオス・ビエンチャンの港とメコン河

書誌情報
仲上健一 「タイの自然と景観から メコン河流域開発と環境保全戦略」『《アジア・日本研究 Webマガジン》アジア・マップ』2, TH.6.02(2024年4月1日掲載)
リンク: https://www.ritsumei.ac.jp/research/aji/asia_map_vol02/thailand/essay03/