アジア・マップ Vol.02 | ベトナム
《総説》ベトナムにおける日本文学
ベトナムで読まれる日本文学-百年の物語
1 はじめに
ベトナムと日本の文化・言語交流は、歴史的な要因や政治的な問題の影響により何度か中断されてきた。これにより、日本語の翻訳者や専門家が不足しており、ベトナムにおける日本文学の紹介・受容が制約された時期があった。また、ベトナムにおける日本文学の普及は特定の時代や社会情勢に大きく影響され、翻訳される作品の選定基準や形式も変遷してきた。
本稿は時代ごとベトナムにおける日本文学の紹介・受容の変遷を概説し、典型的な日本文学の作品を挙げて、その時代の特徴を考察する。
2 ベトナムにおける日本文学の歴史的変遷及び特徴
日本文学作品の翻訳の歩みについては、グェン(2013)は、①1913年~1944年、②1945年~1974年、③1975年~2001年、④2002年~現在とする。また、ベトナムにおける日本文学の翻訳出版状況について、 Nguyễn (ed.) (2008)やTran (2010)の先行研究の成果や出版社のインターネットのサイト等から様々な資料を調査してまとめたものを約225作品の日本の 翻訳文学作品一覧表(2023年末時点までの)を作成した。1
2.1 1913年~1944年の段階
1883年以来、ベトナムは正式にフランスの保護国となった。ベトナム社会は中国文化の影響が主流であった長い歴史からフランスの文化に影響される時期に転じた。一方、日本との重要な文化交流は20世紀初頭に開始された。当時、中国を含め殆どのアジアの国々は西洋列強の植民地になったため、日露戦争においての日本の勝利、および明治維新は、ベトナムの愛国的な知識層に大きな刺激と勇気を与えた。1904年頃「東遊運動」の下で、フランス植民地支配からの脱却を目指し、独立運動の若い指導者を育てるために、300人ほどのベトナム人が留学のために訪日したが、1909年に終了を迎え、ベトナム人運動家と留学生が日本から追放された。これらが原因でベトナムと日本の交流は再び中止された。
1941年〜1945年8月まで、太平洋戦争中に、日本はベトナムを含むフランスの植民地であるインドシナに侵攻した。日本軍隊が米を強引に徴収する等という経済的搾取の残酷な政策を実施した結果、ベトナム北部を中心に多数の餓死者2を出したとされる。それ故、この時期に、ベトナム人にとって日本は非常に悪い印象を受け、文化的な面で日本の影響はあまりなかったと言える。
この時期、ベトナム語に訳された日本文学についての統計はないが、わずかな数であると考えられる。1913年頃、東遊運動のリーダーの一人であったファン・チュ・チンPhan Chu Trinh3 は、日本の政治小説の『佳人之奇遇』3(東海散士著)の中国版を翻案し、ベトナム人に対する伝統的で馴染みが深いthơ lục bát=「(詩)六・八言」という詩の形でGiai nhân kỳ ngộを執筆した。Vĩnh Sính(2000)によれば、ファンが日本の維新運動の愛国精神を称揚する『佳人之奇遇』の最初の8巻を絶賛し、特別に選んで訳した。『佳人之奇遇』は、文学作品としてではなく、政治についての「新思考の作品」として、当時のベトナム人に革命の知識を広げる目的で翻訳・紹介された。そうした政治的目的で、Giai nhân kỳ ngộは1926年にハノイで印刷されたが、ベトナム社会への影響を恐れるフランス植民地政府に没収されたあと、1958年にサイゴンで再出版・発行された。
1930年代~1950年代の段階に入ると、政治小説の一冊と日本の詩の概要を紹介したものも幾つかあるが、日本文学と接する過程の始まりに過ぎず、その紹介は簡単なもので入門程度であったが、まだ馴染みの無い日本文学のイメージを知るためには、ベトナム人読者にとっては大変重要なものであった。
2.2 1945~1974年の段階
1945年から1975年にかけては、ベトナムと日本の関係は非常に複雑で障害が多かった。1954年以来、ベトナムは南北に分断され、ベトナムは冷戦により東西分断の争いに巻き込まれ、北部と南部にはそれぞれ別の政治体系ができた。こうした政治の影響により、ベトナムの南北では文化・文学の発展も異なる道を辿ることになった。北部においては、マルクスとレーニンの基本的な理論書やプロレタリア文学作品が多く翻訳された。それに対して、サイゴンの政権はアメリカとの繋がりが強かったため、アメリカの文化・英語の文学を普及させた。
この時期に、ベトナム語に訳された日本文学は約32作品あり、前の段階よりかなり増加したと見られるが、日本文学の翻訳はベトナムの北部ではソ連、中国の文学の翻訳よりかなり少なく、南部では欧米文学の翻訳数とは比較にならない。
北部では、日本文学の作品は主にロシア語、あるいは中国語を経由し、全て間接的にベトナム語に訳された。とりわけ『絶後の記録―亡き妻への手紙』(小倉豊文著)、『太陽のない街』(徳永直著)、『蟹工船』(小林多喜二著)、『播州平野』(宮本百合子著)等という日本のプロレタリア文学の代表的な作品を中心に翻訳され、ベトナム人読者に紹介された。
南部においては、サイゴン政権がアメリカの同盟国である日本と1950年代に正式な外交関係を樹立した。その結果、様々な文化交流活動が進み、日本文学の傑作(プロレタリア文学は対象外)の出版に関心が高まった。とりわけ芥川龍之介(『河童』、『羅生門』)、川端康成(『伊豆の踊り子』、『雪国』、『千羽鶴』等)と三島由紀夫(『真夏の死』、『宴のあと』等)といった作家の作品が訳されて出版され、「ある程度、日本文学の魅力的な特色を紹介することができた」(グェン, op.cit.:55)という。
このように、1945〜1974年の間、ベトナムでは北か南かによって、プロレタリア文学かそれ以外という特定の文学ジャンルしか翻訳されなかった。また、日本文学はおおよそベトナムの北部ではロシア語・中国語の翻訳、南部では英語、フランス語を介した重訳がまだ主流であったが日本語から直接に翻訳された本が現れた。
2.3 1975~2001年の段階
1975年は「ベトナム戦争」が終わり、統一ベトナムが実現された。「ドイモイ政策」(1986)のきっかけで、統一されたベトナム政府と日本との間に、政治・経済・文化的な協力の関係が成立することになった。同時に文化・教育・科学的な協力も促進され、日本政府の奨学金を得て日本に留学するベトナム人学生や研究者が増加する傾向にある。この時期には、日本文学の翻訳作品数が約46あり、主に英・仏・露訳版を介した翻訳されたが、その特徴は古典から現代までの作品、さらに小説と詩等ジャンルが多岐にわたっていると言えよう。
日本古典文学の『万葉集』、『平家物語』、『源氏物語』や『雨月物語』の一部が英語、フランス語訳を介して、ベトナムの国営の文学出版社の企画により、複数の翻訳者の協力を得て、初めて読者に紹介された。日本現代文学については、前の段階で名前が知られるようになった作家の作品も引き続き翻訳された。川端康成の『古都』、『片腕』、『眠れる美女』、芥川龍之介の『藪の中』、夏目漱石の『それから』、谷崎潤一郎の『鍵』、安部公房の『他人の顔』等が挙げられる。
一方、初めて翻訳された作家では島崎藤村(『家』)、開高健(『裸の王様』)、三浦哲郎(『忍ぶ川』)や遠藤周作(『わたしが棄てた女』)等があった。また、日本現代文学の受容について、日本の現代短編の翻訳書の “Đốm lửa lạc loài Truyện tình Nhật Bản(場違いの点在する火:日本のロマン・ストーリー)”(1988)の前書きでは、「我々の中の日本は安定しないイメージです。その同文化の国に大変関心を持っても、私たちにはわずかな情報しか手に入りません [中略] 文学の作品は「スーパー(優れる)情報」の一種類に違いありません。それは日本人の心、痛みや世間に対する悩みです。(日本文学の)本を読んで、『なるほど。日本という著しく豊かな国の一人一人には、淋しい心が存在していて、私たちに近い』と気が付くでしょう」と書かれている。
このように、1990年代までの段階において、国際関係が限られたベトナムにとって、日本文学は日本文化・日本のことを知る可能な手段の一つとして、訳された。それゆえ、媒介言語の訳を介しても日本文学の重訳は広く読まれ、高く評価された。
2.4 2002年~2023年現在の段階
21世紀に入ってから、前の段階で回復された日・越関係が経済面のみならず、社会・文化面での協力関係が盛んになり、大きな成果を見せ始めてきた。ベトナム社会には「経済強国であり、文化的伝統が豊かな日本」のイメージが伝えられてきた。結果として、日本文化を憧れ、日本語を学ぶベトナム人数が増加の一途を辿っている。数多くの日本語学校も出来ており、大学等で本格的な日本語教育を受けた成果が現れ始め、日本文学の翻訳者の人材育成が進んだ。
一方、2002年にベトナムがベルヌ条約に加盟した事柄は日本文学の出版にも変化を起した。著作権を得ることが必須になったため、翻訳作品は重訳または直接翻訳であるかを明らかにし、記述することが義務付けられた。この時期に、欧米と日本で新しく話題になった文学作品に出版業の注目が集まりはじめた。
一方、インターネットの普及と共に、翻訳本のマーケティングにも大きな変化が訪れた。例として、『ノルウェイの森』は(再び英語版を介して)、『キッチン』(2000) は(日本語から)再翻訳され、改めて出版される。今回、出版社はその作品の著作権を交渉できたため、インターネット等を通じて翻訳本を強く宣伝した。その結果、この2つの作品は大衆の注目するところとなり、ベトナムの翻訳文学の市場で「売れる現象」になった。
この時期は日本文学翻訳の作品数も質も飛躍的に上昇した時期である。日本文学の翻訳、特に直接翻訳の出版が著しい発展を遂げてきた。2002年~2023年という僅か21年間に146作品が出版された。そのうち、約70%(102作品)は日本語から直接に訳されたものである。日本と世界でベストセラーになった代表的作家はベトナムで翻訳され、読者の注目が集まったと見られる。多くの作品が翻訳された作家として村上春樹(15小説)、吉本ばなな(8小説)、東野圭吾(20小説)等ある。
また興味深い例として『ノルウェイの森』を挙げたい。この作品は2回の訳版ともに英語訳からの重訳であるが、最初の1997年版はあまり知られることはなかったが、後の2006年版(Trịnh Lữ訳)は話題になり、ベトナムの読者と評論家に温かく受け入れられ、これまでに13回も再版されるという前例のない出版現象となった。さらに、ベトナム国内では、村上春樹に関する学会や評論会が多数開催され、村上の作品は高い認知度を得ている。2023年10月に日本文学の紹介に力を注ぐNha Nam出版社は、村上春樹の最新作『街とその不確かな壁』の著作権交渉に成功し、近い将来にベトナム読者に届けられることを発表した。
近年、より多様な文学ジャンルの日本作品が翻訳されつつある。日本のライトノベルや純愛の文学は何冊もベトナム語に訳され、若者の間で人気が出た。一方、夏目漱石、森鴎外の作品のような古典文学の傑作は再翻訳され、再出版になった。
要するに、選ばれる文学の対象は欧米や日本の本市場で話題になった作品、文学賞の受賞者の作家等であることが多いという。この段階に出版された日本文学の書籍の表紙の帯には、欧米(主に英文)のブックレビューの引用がたくさん載せられていることが目立つ。この現象は、確かに出版社は読者に作品の威信が既に外国で好評を得ていることをPRし、購買意欲に訴えているものと思われる。
3 結語
前述のように、歴代最初にベトナム語に訳された『佳人之奇遇』から合計出版部数が最も多い『ノルウェイの森』の翻訳本までの一世紀の間、ベトナムにおける日本文学の翻訳は多様な変遷を経てきた。初期には政治的な宣伝の手段としての翻訳が主流であり、次に日本文化や精神性の理解を深めるための手段としての需要が高まった。そして、現在では読者の文学的ニーズに応えるための翻訳が行われ、より広いジャンルや形式の作品が紹介されるようになった。
特に、日本とベトナムの関係がより緊密になり、文化交流が活発化する中で、ベトナムにおける日本文学の本の重要性や普及度は益々高まっている。また、ベトナムの翻訳者や出版社は、積極的に日本文学の普及を促進する重要な役割を果たしている。現在、ベトナムにおける日本文学の翻訳や紹介は、過去に比べて大きな進展を遂げている。今後精度が良い翻訳を通じて、ベトナム人読者が日本文学作品の魅力をより深く理解し、より豊かな読書及び文化的体験を享受できるようになると期待する。
参考文献
グェンタンタム (2013)「ベトナムにおける日本文学の翻訳についての研究」神戸大学大学院国際文化学研究科 2013年1月17日提出 (修士論文)
Nguyễn Thị Thanh Xuân (ed.) (2008). Văn học Nhật Bản ở Việt Nam(『ベトナムにおける日本現代文学』)Nxb. Đại học Quốc gia TP.Hồ Chí Minh.
Tran Thi Chung Toan (2010).「ベトナムにおける日本文学の翻訳・出版・教育・研究―現在及び今後の課題―」『立命館言語文化研究』第21巻3号, pp.43-52.
Vĩnh Sính (2000). Về tác phẩm “Giai nhân kỳ ngộ diễn ca” của Phan Châu Trinh: nguồn gốc và ý nghĩa(ファン・チュ・チンの『佳人奇遇』訳について:原点と意義), Kỷ yếu hội thảo quốc tế Việt Nam học lần thứ nhất 1998, Tập II, Nxb. Thế giới, Hà Nội.
1 翻訳作品一覧表のリンク:https://docs.google.com/document/d/1SI6w2CbVhNaS5fjMfebwMpCwBxH61KMo5pdeS6s99zE/edit?usp=sharing
2 ベトナムの歴史教科書では、死者数は約200万と言われている。
3 漢字の名前:潘周楨(1872-1926)。漢文の素養に優れたベトナムの知識人・民族家でもある。
4 全16巻ある。1885年~1897年刊行された。
5 出典:https://baoquangnam.vn/giai-nhan-ky-ngo-dien-ca-tac-pham-quan-trong-cua-phan-chau-trinh-3034802.html、2024年2月15日に最終閲覧
6 出典:https://sachnhanam.com/btv-gioi-thieu/mot-so-tac-pham-cua-keigo-do-nha-nam-xuat-ban/(2024年2月15日 最終閲覧)
7 出典:https://dangcongsan.vn/van-hoc-nghe-thuat/toa-dam-the-gioi-trong-guong-cua-haruki-murakami-167815.html(2024年2月15日.最終閲覧)
書誌情報
グエン・タン・タム《総説》「ベトナムにおける日本文学」『アジア・マップ:アジア・日本研究Webマガジン』Vol.2, VN.1.02 (2024年6月27日掲載)
リンク: https://www.ritsumei.ac.jp/research/aji/asia_map_vol02/vietnam/country2/