アジア・マップ Vol.02 | ベトナム

《エッセイ》ベトナムの都市
ベトナムの首都ハノイ-変わるものと変わらないもの

柳澤雅之 京都大学東南アジア地域研究研究所 准教授

 ベトナムの首都ハノイは、ゴチャゴチャしてあわただしい。しかし、その景観の中には、重層する歴史が埋め込まれている。

 ベトナム北部を流れる紅河は、ロー河やダー河と合流し、三角形の紅河デルタを形成する。その三角形の頂点に位置するのがベトナムの首都ハノイである。紅河が氾濫した際、河川水によってえぐられた部分は低くなり、盛り上げられた土砂が高みを形成した。この高みにできたのがハノイの都市域である。ハノイはやがて、紅河とトーリック河沿いに建設された堤防に囲まれるようにして、都市域が形成された。ちなみに、高みと紅河の堤防にはさまれた標高の低い地域のひとつが西湖(ホータイ)であり、今でもハノイの一部を形成している。

 古くからのハノイ、すなわち、紅河とトーリック河に囲まれた範囲のハノイは、長い歴史を持つ。文献上、ハノイのもっとも古い歴史は、7世紀に建設された安南都護府に遡る。そもそも都護府とは、漢や唐が国の周辺に配置した機関で、安南都護府は、現在のハノイに設置された。安南都護府の代表、すなわち、都護に、日本からの遣唐使、阿倍仲麻呂が任命されていた。

 天の原 ふりさけみれば 春日なる 三笠の山に 出でし月かも

 百人一首にもでてくるこの和歌を作ったとされる阿倍仲麻呂は、唐の対外統治機関のトップとしてハノイの地に赴任していたのである。

 安南都護府は唐の機関であり、当時のハノイは唐の領域とされていた。しかし、リー・コン・ウアンがリー朝を創始し、1010年にはハノイに遷都し、タンロン(昇竜)城を建設した。これがベトナムにおける独立国家の開始となった。以後、19世紀にグエン朝が中部のフエに王朝を移すまでの間、そして、1945年の独立以降、現在に至るまで、ハノイは基本的には首都として継続した。

 このタンロン城が、2010年、ユネスコによって世界遺産として認定された。その際、安南都護府の時代以降における各王朝の遺物・遺跡が重層的に出土するという都市遺跡として稀有な事例であることが高く評価された。タンロン城とそれを取り巻くハノイの範囲は、1000年以上の歴史が重層的に積み重なった都市なのである。

写真1 タンロン城(撮影:2010年9月)

写真1 タンロン城(撮影:2010年9月)
世界遺産に認定されたばかりの頃のタンロン城。古い王朝が何度も入れ替わった歴史を学ぶことができる。ベトナム戦争中には軍事施設としても利用されていた。

 1000年の歴史はタンロン城跡で学ぶことができるが、ここ数百年の歴史は、ハノイの町を歩いていても確認できる。

 観光客にも有名な旧市街(フォーコー)は、主に近世以降、タンロン城跡の東側に発達した商業区域である。綿や絹などの布製品、銀や銅の金属製品、竹や籐などの林産物を使った手工芸品、漢方薬、その他さまざまな商品が扱われ、通りの名前の由来となっている。道路沿いには店がびっしりと連なり、数歩で渡りきれるほどの狭い道路を、バイクと自転車、ベトナム人、外国人観光客が四方八方に行き交う。枝道に入れば、道幅は数メートルもない。そこでもまた、天秤棒を置いただけの小さい商いに出会うことができる。

 フランス植民地期になり、ハノイは新たに整備された。ただし、古いものが壊され、新しいものになったかといえば必ずしもそうではない。古いものと新しいものは共存した。旧市街は取り壊されることはなく、そのすぐ北にドンスアン市場が建設された。多様な商品を統一的に扱う市場を設置することが目的であったが、旧市街の古い商店街も残された。

 旧市街の西側には中央政府の官公庁街が整備された。インドシナ連邦全体を統括するインドシナ総督府は当時のフランスの建築様式を採用して建設された。現在もまだ大統領官邸として残されている。植民地期の遺産は、独立後のベトナムで必ずしも破壊の対象とはならなかった。むしろ、植民地期の遺産として現在もよく残されている。

 そういえば、ソ連が崩壊して間もない頃に、冷戦時代の東側諸国でレーニン像が引き倒されなかったのはベトナムだけだという話もある。ちょうどこの官公庁にほど近いところに、現在もレーニン公園があり、レーニン像もまた現在の市民生活に溶け込んでいる。

 旧市街の南東側には、フランスの建築様式を取り入れて、オペラハウスや研究所施設、フランス人居住区が建設された。オペラハウス、ソフィテル・レジェンド・メトロポール・ホテル、ハノイ国家大学(自然科学大学)、ハノイ大教会など、現在でも、ごく間近に当時のフランス風建築物を観察することができる。

 フランス植民地期には、街中の道路沿いに並木が植えられた。それらは独立闘争や社会主義、戦争の時代を生き抜き、大木に成長した。現在でも、旧市街の西側の官公庁街や、ホアンキエム湖の南側の通り沿いでは、直径が1mを越し、ビルの5階にも達するような見事な街路樹を見ることができる。日差しのきついベトナムで、大木の街路樹は格好の木陰を提供してくれる。ハノイを代表する景観のひとつであろう。

写真2 ハノイの街路樹(撮影:2023年6月)

写真2 ハノイの街路樹(撮影:2023年6月)
リートンキエット通り沿いの街路樹の根元には祭壇が祀られ、お花や線香が供えられていた。

 1954年以降、社会主義政策が進められ戦争状態が継続するハノイでは、国営工場が建設され、公務員や労働者のための、Khu tập thểとよばれる集合住宅(団地)が建設された。集合住宅もまた、多数残されているだけでなく、さまざまに改造されながら現在も利用が続いている。バッコアーの集合住宅は、筆者が学生時代の1994年に何度かお世話になった。当時は、ポーランドや北朝鮮、ラオスなど、日本ではあまり出会うことの少なかった国々の学生とも交流することができた。冷戦時代の西側諸国で生まれ育った自分は、東側諸国の人は東側のことしか知らないと思っていた。しかし、同様に自分は西側のこと、やはり、世界の半分の地域のことしか知らなかったのだと痛感した。バッコアーの集合住宅のある地域は現在も学生街で、必ずしも学生に人気があるとは限らないが、集合住宅も健在だ。キムリエンやザンボーなど、大きな道路沿いに面している集合住宅では、現在、高層マンションに建て替えられているところも多い。しかし、ここでもまた、ハノイの経済発展に伴いすべて取り壊されたというわけではなさそうだ。少し内部に入れば、昔ながらの集合住宅が維持され、当時の独特の景観が残されている。

 1990年代以降のハノイは経済発展がめざましく、特に、2010年代以降の最近の変化には目をみはるものがある。都市域は、古くからのハノイをこえて、外部に向けて急激に拡大した。トーリック河以西の地域は地形的には低みにあり、1990年以前、水田が多くみられる農村景観が残されていた。しかし、高層ビルや大学・研究所、官公庁などが建設され、急速に都市化が進行している。ハノイの南部も、かつての低平地が埋め立てられ、マンションが建設されている。紅河に何本もの橋がかけられ、東部のザラムも都市化が進行中である。現在、行政区画としてのハノイ(ハノイ市)は、紅河を挟んで東西南北にそれぞれ50㎞ほどもある、大変広大な範囲となっている。

 都市域の拡大と共に交通インフラが整備された。高速道路が整備されたものの、市内の渋滞は日常の風景となった。ベトナムを訪れた人は、猛烈な数のバイクと車が四方八方から交差点に進入し、頭を突き合わせている風景が朝晩繰り返されていることに、絶望感すら感じるのではないだろうか。

写真3 メトロと渋滞(撮影:2023年6月)

写真3 メトロと渋滞(撮影:2023年6月)
メトロのバインダイ3駅と直下の道路。多数のバイクと車が行き交う道路と並行にメトロが走る。

 高架の都市鉄道(メトロ)も2021年に開通した。開業したのはハノイ中心部から南西方向への路線だが、北西方向への路線が現在、建設中である。放射状に建設が進むが、それらをつなぐ環状線も計画されている。都市鉄道に乗ってみると快適でスムースだが車内はガラガラである。道路の渋滞緩和に都市鉄道はまだ貢献していない。

 1990年代以降に大きく変貌したこれらの地域は、かつて農村地帯であった。都市建設のために農地や宅地のかなりの面積が収用された。しかし、すべての農村が消滅したわけではない。Google画像を見るとよくわかるが、碁盤の目状に整然と区画された新しい都市域が存在するのと同時に、細い路地が入り組んだ住宅密集地帯がいくつも残されている。かつての農村集落である。1990年代以前のベトナムでは、ハノイの都市域だけが人口密集地ではなく、むしろ、ハノイ周辺の農村に、巨大な人口密集地域、すなわち農村集落が散在していた。ハノイ域が拡大し、そうした農村もまた、現在のハノイの範囲に組み込まれ、新しい都市と併存することになった。

 ベトナムの首都ハノイには、重層する歴史が埋め込まれている。変わるものと変わらないものが共存する。それは、開発による新しい建物と古い建物、かつての農村と新しい都市が併存するという新旧の共存だけではない。外国からもたらされる人や文物とハノイもまた共存する。国内外の文化の共存についてもまた、ハノイは長い歴史を持つ。ハノイは、未来への想いと過去の記憶が共に残された空間である。

書誌情報
柳澤雅之「《エッセイ》ベトナムの都市(ハノイ)」『《アジア・日本研究 Webマガジン》アジア・マップ』2, VN.4.01(2024年4月1日掲載)
リンク: https://www.ritsumei.ac.jp/research/aji/asia_map_vol02/vietnam/essay01/