アジア・マップ Vol.02 | イエメン
《エッセイ》イエメンの都市
ザビード
ザビードは、ティハーマと呼ばれるイエメンの紅海沿岸部のうち、紅海から内陸部へ25 kmほど入ったところに位置する。北方にはワーディー・リマゥが、南方にはワーディー・ザビードが走っている。サラート山脈からこれらのワーディーをたどって流れて来る水や、晩春と晩夏にモンスーンによってもたらされる降雨によって、古来、黍類や果樹類、綿が生産されてきた。
9世紀にバグダードのアッバース朝より派遣された総督イブン・ズィヤードが、この地を治めるべく、ザビードを建設した。以降、「イエメンのバグダード」とも呼ばれたザビードは、ティハーマの首邑として、ズィヤード朝やナジャーフ朝、マフディー朝、イエメン・アイユーブ朝、ラスール朝といった歴代王朝の首都として、メッカ巡礼路上の宿駅として、繫栄した。特に13-15世紀のラスール朝期には、モスクやマドラサといった宗教的・学術的施設が相次いで建設され、スンナ派、とりわけシャーフィイー派法学の教授が行われる学術都市として栄えた。ところが16世紀以降、エジプトのマムルーク朝による侵攻や、モカなどのティハーマのほかの港町の発展によって、ザビードは衰退した。
筆者は、これまでにザビードを2度訪れた。現在では30,000人程度が居住する小都市であり、昔日の栄華の面影は薄く、旧市街の市場も静かなものであった。海抜0 mの低緯度地帯にして海に近いこともあって、温度と湿度がとにかく高い。はじめてザビードに踏み入った際には、日差しを遮るような高層建築物が少ないこともあってか渇きに苦しみ、瓶コーラ3本を立て続けに飲み干して潤いを得ようとした。14世紀の旅行家イブン・バットゥータは、ザビードを「イエメンでもっとも住み心地がよい」と称賛しているが、筆者とは意見を異にする。
ザビードには、近代以降に建設・補修されているものの、市壁と門が現存する。門をくぐってなかへ入ってみると、幅が2 m程度の小道が縦横無尽に入り組んでおり、ラクダが現役で闊歩している様子を見ることができる。油断すると道に迷うが、東西南北に配された四つの門の名前のいずれかを連呼すれば誰かが連れ出してくれるので、脱出は容易である。路地の両側には、焼き煉瓦と白い漆喰でつくられた平屋の住宅が所狭しと並ぶ。サナア旧市街やシバームとは異なり、住宅の高層化は生じなかった。建造物の壁面は、幾何学や植物をモチーフとした質素な模様で飾られており、ザビードの外観上の特徴のひとつとなっている。強烈な日差しを避けるために、住宅への出入り口はもっぱら南北に向かって置かれている。住宅にお邪魔すると、外観よりも随分と派手に装飾された内装を見ることができる。こうした意匠については、イエメンの山岳地域よりも、東アフリカの文化との共通性が指摘されている。
ザビードは、アシャーイル・モスクあたりを中心として発展していった。これは、ザビード周辺にイスラームを伝えたことで知られるアシュアリー(692年没)に由来するもので、9世紀に、さらに西側に位置する大モスクとともにズィヤード朝によって建設された。アラビア半島で最古とも言われるマドラサが併設され、南アラビアにおける学問の中心地となった。もっとも9世紀の状態をそのまま保っているわけではなく、ほかの建造物と同様に長い歴史のなかで幾度もの増改築や修復がくり返されてきており、現在の外観となったのは15世紀のことと言われる。モスクのなかは涼しく、蒸し暑さから逃れるためか、幾人ものおじさんが寝転んでいた。なおザビードでは、私自身は見かけることはなかったものの、シャーフィイー派法学を学ぶために東南アジアからやって来た留学生が現代でも学習を続けているという。
ザビードの南東には、城塞と一体化したイスカンダリーヤ・モスクがある。このモスクは、イエメン・アイユーブ朝のスルタンが建てたものと言われている。その後、ラスール朝下の14世紀中頃に修復が施された。さらにオスマン帝国の支配下に入ると、1538年、総督イスカンダルによって名前自体が変えられて、現在に至る。ここに、長きにわたって人間が住み続けた古都ならではの、人々の営みの蓄積を見ることもできよう。なおそのミナレットの高さは60 mに達する。
1993年、ザビードは中世に栄えた古都として世界遺産に登録された。しかし2000年には早くも危機遺産となっており、以降、悪化の一途をたどっている。理由としては、自然災害や修復が難しい財政的・政治的状況が続いていることに加えて、コンクリートを使用した改築・新築建造物の急増や、歴史的な建物であってもその建材を住民が勝手に自分たちの住居用に再利用する「伝統」によって、かつての街並みが変わっていっている点が指摘されている。ザビードは、善かれ悪しかれ、世界遺産から外されるかどうかの瀬戸際で変化し続けているのである。
書誌情報
馬場多聞《エッセイ》「イエメンの都市 ザビード」『アジア・マップ:アジア・日本研究Webマガジン』Vol.2, YE.4.03(2024年4月1日掲載)
リンク: https://www.ritsumei.ac.jp/research/aji/asia_map_vol02/yemen/essay04/