アジア・マップ Vol.02 | イエメン

イエメンの自然と景観から
ソコトラ島

馬場多聞(立命館大学文学部 教授)

 ソコトラ島は、アラビア半島から南方へ約300 km、アフリカの角から東方へ約240 kmのところに位置する、インド洋の島である。東西112 km、南北32 kmと東西に長く、その面積は3,600 km2、およそ琵琶湖の五倍程度の大きさに相当する。海岸沿いの平野部や中央部のカルスト台地、最大標高が1,500 mに達する花崗岩質のハギール山地という多様な地形によって、後述する特異な生態系がソコトラ島で育まれた。11-2月頃には北東モンスーンが、6-8月には南西モンスーンがそれぞれ特に強く吹き、島周辺での航海は不可能となる。他方でこれらのモンスーンは、ハギール山地とぶつかることで島に雨や霧をもたらす。しかし島の年間降水量は200 mm と小さく、およそ乾燥した気候である。

 筆者は、2010年9月に、サナア発ムカッラー経由の飛行機でソコトラ島を訪れ、島最大の町である北部のハディボに滞在した。モンスーンが落ち着いた時期ではあったものの、海岸部では秒速19 mの風が吹いており、その風に飛ばされた石が筆者が乗っていた車の後部ガラスを割るというアクシデントに見舞われた。海上では、風の強さゆえに波しぶきのけむりが走るほどであった。内陸部においても風の勢いは衰えず、風が吹く方向に曲がっている灌木や、風があたらない側の葉だけ緑になっている大木が散見した。

 近年の統計では、周囲の三つの小島を合わせたソコトラ諸島全体に10万人程度が住んでおり、そのおよそすべてがアラビア語のイエメン方言あるいはより古い時期に分化した南アラビア諸語のソコトラ方言を話すイスラーム教徒である。歴史上、西アジアや東アフリカ、ギリシア、インドの人々がこの地を中継してインド洋を航海していたため、様々な血が混ざり合い、現在の住民を構成するに至った。多くが、南西モンスーンの直撃を受けないソコトラ島の北部で漁業やナツメヤシなどの農業、観光業に従事している。ほかにも蜂蜜の生産や、アロエや乳香、竜血樹の樹液の採取・販売もまた生計手段に数えられるが、本土へ出稼ぎに行った人からの送金も重要な収入源である。もっとも、島だけでは必要な食糧を生産することができないため、本土からの輸入が不可欠となっている。

 「インド洋のガラパゴス」の異名は伊達ではない。ソコトラ島は、アフリカ大陸から分離して以降、1,800万年にわたって陸地から遠く離れた環境に置かれたため、動植物が独自の進化を遂げた。その特異性を示すように、まず2000年にソコトラ諸島が生物圏保存地域に、2008年にソコトラ島の北西部のカランスィーヤ近郊のデトワ・ラグーンがラムサール条約湿地に、2008年にソコトラ諸島の陸地部分の75%が世界遺産(自然遺産)に、そして2016年にソコトラ諸島が「生態学的あるいは生物学的に重要な海域(EBSAs)」に、それぞれ登録された。

 ソコトラ島のみに生育する固有種の数は、1,000種を超える。陸生植物に限れば848種の存在が確認されているが、そのうち37%に相当する316種がソコトラ島の固有種である。特に、標高400 m以上の高地に育つ竜血樹はよく知られている。一般に竜血樹と呼ばれるドラセナ属(Dracaena)自体はアフリカ大陸とその周縁部に広く見られるが、ソコトラ島ではDracaena cinnabariという固有種が確認されており、モンスーンがハギール山地とあたることでもたらされる霧から水分を得るべく、枝葉を空へ向かって広げている。その赤い樹液は、古来、薬としてあるいは陶器の着色料として用いられてきた。実際、13世紀のイエメンで書かれた薬事書において、その樹液は切り傷の処置や止血に適していると記録されている。また筆者自身、陶芸職人が竜血樹の樹液で陶器に模様を描いている場面に出くわした。陶器を購入しようとしたものの、先方の言い値がやけに高かったため、交渉は決裂した。

 竜血樹の寿命は数百年に及ぶと推測されているが、現在ではもっとも若い個体でも100歳程度であると言う。自然環境の変化や山羊の過放牧による食害、外来種がために、若木が育っていないのである。同様に、焚香料として著名な乳香の樹液を持つ乳香樹と呼ばれるボスウェリア属(Boswellia)についても、Boswellia elongataBoswellia ameeroという固有種が存在するが、サイクロンによる被害もあって、その数が減少している。そのため島内では、竜血樹や乳香樹を育てるプロジェクトが最近になって開始されている。筆者はサナアでお世話になっていた方より「竜血樹の枝をこそっと切ってもってきてくれ。歯ブラシに使う」と依頼されていたが、以上の状況に鑑みるにいろいろとまずい気がしたため、実行には移さなかった。

 このように長い歴史と多様な動植物を有するソコトラ島は、竜血樹や乳香樹の例以外でも、近年になって大きな変化を被っている。これまでは、限られた人々が限られた自然と共存しながら、細々と暮らしてきた。しかし20世紀後半以降、相次ぐ自然災害や外来種の侵入、空港の整備や道路の舗装といった島の発展、観光客の増加によって、伝統的な生活や生態系、古代の岩絵の破壊などが、生じている。2024年現在、イエメン本土では内戦状態が継続しているが、そこからは少し離れたところに位置するソコトラ島は、また別の困難に直面しているのである。

ハディボ

ハディボ

デトワ・ラグーン(今中航氏(JVC)提供)

デトワ・ラグーン(今中航氏(JVC)提供)

竜血樹(今中航氏(JVC)提供)

竜血樹(今中航氏(JVC)提供)

書誌情報
馬場多聞「《エッセイ》イエメンの自然と景観から ソコトラ島」『《アジア・日本研究 Webマガジン》アジア・マップ』2, YE.5.04(2024年4月1日掲載)
リンク: https://www.ritsumei.ac.jp/research/aji/asia_map_vol02/yemen/essay05/