アジア・マップ Vol.03 | バングラデシュ
《エッセイ》バングラデシュの都市
バングラデシュの文化遺産と人びと
初めてバングラデシュを訪れたのは、2017年10月のことだった。パキスタンについて研究していた私は、かつて「東パキスタン」と呼ばれていたこの土地に対して、複雑な思いと尽きることのない好奇心を抱いていた。きっかけは、パキスタンで知り合ったジェンダー・マイノリティの友人が、ダッカに住む同じコミュニティの仲間を紹介してくれたことだった。その縁を得て、私は調査を兼ねて首都ダッカを初めて訪れた。
当時のダッカでは、物価がパキスタン首都のイスラマバードよりもずっと安くて、驚いた記憶がある。そして何より印象深かったのは、街を走るリキシャだった。パキスタンではモーター式のオートリキシャが主流だったが、ダッカでは今なお人力のリキシャが多く、痩せた車夫たちが懸命にペダルを漕ぐ姿に思わず目を奪われた。だが、どれだけ頑張っても前に進めないのがこの街の現実だった。人力車、バス、オートリキシャ、牛、人々が混ざり合い、道は常に渋滞していた。南アジアの町をいくつか巡ったが、ダッカの交通は群を抜いて遅く、混沌としていた。2022年1のある統計では、ダッカの平均時速はわずか4.8kmにまで低下したという。まさに“世界で最も遅い都市”とも言える。
だが、その「遅さ」のなかにも、街ならではの活気があった。車がぶつかりそうになれば口喧嘩が始まり、すぐに冗談が飛び交い、道が空けば一斉に動き出す。三輪のリキシャが無数に行き交い、色鮮やかな布地が風にはためき、陽気なベンガルの人々が街を生きていた。このダッカの風景と、その息づかいは、私の記憶の中にいつまでも鮮やかに残っている。
そんな喧騒のダッカから、車で約一時間。静けさをたたえた地域——ショナルガオン(Sonargaon)がある。その中心にあるパナム・ナガル(Panam Nagar)は、13世紀末に起源を持つ歴史的街区である。かつてショナルガオンはベンガルの首都として栄え、ムガル帝国の支配後は交通網が整備され、交易都市として発展した。19世紀のイギリス植民地時代には綿布の流通拠点となり、裕福なヒンドゥー商人たちが豪奢な邸宅を次々と建てた。しかし、1947年の分離独立とそれに続く宗教的対立により、多くのヒンドゥー教徒の住民がこの地を去り、街はやがて無人となった。現在でも、煉瓦や漆喰、モザイクタイルで美しく装飾された建物が並び、欧風とベンガル様式が交錯する独特な景観を今に伝えている。
煉瓦の隙間に淡い緑の草が芽吹き、崩れかけた窓から差し込む光が、絹のヴェールのようにやわらかく辺りを包んでいた。街角に立つと、これは廃墟の悲しみではない。静かに老いていく時間が、ただそこにあると感じられた。そのとき私は、この長い歴史の中にふと紛れ込んだ、小さな一瞬に過ぎないのだと気づかされた。このようにして、ダッカの賑わいとショナルガオンの静寂の記憶が、私の中で並んで刻まれている。
——そして2024年、私は再びこの土地に戻ってきた。
今回は、さらに遠くにあるふたつの文化遺産と博物館を訪ねる旅だった。7年前の調査の際からずっと連絡をとっていた友人、ワシフさんのおかげで、一台の車を予約することができた。運転手は空港で待っていてくれた。到着したのは、朝の光がまだ霞んでいる時間帯だった。まずは両替に苦労した。2日間の車の使用と人件費で約4万円。日本のタクシー代とは比べものにならないが、以前よりかなり高くなった気がする。その後、市内の科学博物館を駆け足で巡り、午後2時から南西にある町バゲルハット(Bagerhat)へ向かった。ダッカは相変わらず賑やかで、ベンガル人は相変わらず愉快だった。
多くの人がボリウッド映画の影響でヒンディー語をある程度理解しており、若い運転手はヒンディー語とベンガル語を交えながら懸命に話しかけてきた。私も分かったり、分からなかったりしながら、お互いの生活、家族、仕事について語り合い、6時間の道のりを経て、夜9時、目的地に着いた。夜の帳が下りるなか、私たちが辿り着いたのは、ユネスコ世界遺産にも登録された「バゲルハットのモスク都市」だった。
バゲルハットは、クルナ(Khulna)地方にある小さな町である。12世紀末からイスラームが広まり、15世紀にはトルコ系のスーフィー聖者カーン・ジャハーン・アリー(Khan Jahan Ali)のもとで発展した。この地には多くのモスクが建てられたが、今日まで明確に残っているのは八つのモスクと墓所のみである。その中で、もっとも有名なのが「六十柱のモスク(Shat Gombuj Mosque)」である。円屋根が幾重にも連なり、柱が整然と並ぶ内部には、祈りの声が優しく響いていた。世界遺産であるこの遺跡に、現地の人々の日常の祈りが静かに重なり合う。それは決して「過去のもの」ではなく、生き続ける文化としての遺産の姿だった。
六十柱のモスクから東へわずか1キロ、ひっそりと佇む煉瓦造りの一室円蓋の建物がある。ビビ・ベグニ・モスク(Bibi Begni Mosque)と呼ばれるこの建物は、15世紀半ばに建てられたとされ、地元ではスーフィー聖者カーン・ジャハーン・アリーの妻ビビ・ベグニに由来する名を持つ。構造は煉瓦造りの正方形で、ドームはひとつ。東側に三つ、北・南側にそれぞれ一つずつの出入口がある。中央のミフラーブが最大で、外側に向けて突き出しているのが特徴である。
バゲルハットのモスクと同じ年の1985年、世界遺産に指定されたのは、ラジシャヒ(Rajshahi)の仏教遺跡パハルプール(Buddhist Vihara at Paharpur)である。ダッカより、ビーマン・バングラデシュの飛行機に乗って、1時間後、北西部の町ラジシャヒへ行った。
ラジシャヒは、ガンジス川の支流パドマ川に面した美しい都市である。ラジシャヒ大学をはじめとした教育機関が多く、古くから「教育の都」として知られてきた。また、夏になると街の果樹園では濃厚な甘さのマンゴーが実り、各地から買い付けに人が集まる。街の中心部にあるバレンドラ研究博物館(Varendra Research Museum)は、考古学と民族資料を集めた国内有数の博物館であり、特に仏教・ヒンドゥー教・イスラームの三つの宗教文化が交錯する中世の石彫コレクションを誇る。
ラジシャヒでは、市内中心部にある有名なホテルに宿泊した。ホテルのマネージャーの勧めで専用車を借りることになり、陽気な運転手とともに小さな旅が始まった。まず訪れたのは、プティア寺院群(Puthia Temple Complex)。バングラデシュ国内最大規模のヒンドゥー教寺院群であり、ラジシャヒ市から東へ約23kmの場所に位置している。これらの寺院は、ムガル時代以降に栄えたプティア藩王家(Puthia Raj family)によって18〜19世紀に築かれた。
その中に、ブバネシュワル・シヴァ寺(Bhubaneshwar Shiva Temple)の中央主塔は、108の小尖塔から成り立っている。堂内には、バングラデシュ最大の黒色玄武岩製リンガ(Shiva Linga)が安置されていた。ヒンドゥー教の人々が寺院のまわりに腰かけ、談笑する光景は穏やかで、ムスリムの運転手も自然に中へ入っていった。平和な様子であった。
その後、ノガオン県(Naogaon District)を抜け、目的地であるパハルプールへと向かった。車窓には美しい田園風景が広がっており、太陽の光が穏やかに農地を照らしていた。
パハルプールにある仏教僧院遺跡の広大な廃墟は、バングラデシュで最も壮麗かつ重要なイスラーム以前の歴史遺産である。出土した印章によれば、この僧院は8世紀末から9世紀初頭にかけて、パーラ朝の王ダルマパーラ(Dharmapala)によって建立された。遺跡全体は正方形の構造で、北側の主入口をくぐると、177室の僧房が外壁を囲み、その中央には巨大な仏殿が聳えている。仏殿は十字形の平面を持ち、三層構造の中心部には高さ約21メートルの巨大なレンガ造りの塔がある。回廊、礼拝堂、拱門、装飾陶板によって構成された建築群は、当時の仏教建築の高度な技術を物語る。仏殿基部の周囲には60体以上のヒンドゥー神像が残されて、多宗教文化の融合を示している。
夕暮れ時、オレンジ色の光が中庭を優しく包み、仏殿の影が長く地面に伸びていた。風の音と鳥の声が交錯するその空間には、まるで時間が層をなして静かに堆積しているかのような感覚があった。
ラジシャヒ市から西へ30〜40kmほど進むと、チャパイナワブゴンジ(Chapainawabganj)地区の国境地帯にたどり着いた。ここはインドとの公式の国境検問所で、運転手の案内で人や物資の往来の様子を眺めることができた。国境の向こうには、インドの西ベンガル州の風景が広がっていた。言葉も習慣も似通い、地元の人々は日常的に国境を越えるという。かつて私も西ベンガルで短期間ながら働いた経験がある。しかし2020年以降、中国籍へのインド観光ビザが発給されなくなってしまった今、再びその地を訪れる日は来るのだろうかと、複雑な思いが胸をよぎった。
帰りの車中では、私のスマホから流れるボリウッド映画の主題歌に合わせて、運転手が次々とリクエストを出し始めた。YouTubeで曲を探しながら、一緒に歌った。ベンガル語、ヒンディー語、ウルドゥー語の歌が交互に響き合い、アビダ・パルヴィーンのスーフィーソングも流れた。私たちの笑い声が車内にあふれ、夜道を明るく照らした。
ダッカに戻る途中、トンギパラ(Tungipara)に通った。そこにはバングラデシュ建国の父、ボンゴボンドゥ(Bangabandhu)(意訳、ベンガルの友)シェイク・ムジブル・ラフマン(Sheikh Mujibur Rahman)の霊廟(Mausoleum of Sheikh Mujibur Rahman)がある。広大な敷地に整備された記念建築の中心で、訪問者たちは厳かな空気のなか、彼の功績とその悲劇的な最期に思いを馳せていた。パキスタンからの独立という歴史の記憶が、なによりこの国の文化遺産の一部であることを実感した。
この旅のなかで訪れたどの文化施設のどこでも、「ボンゴボンドゥ」の肖像を目にすることができた。しかしその旅の直後、バングラデシュの政情は急激に変化し、「ボンゴボンドゥ」の娘シェイク・ハシナが首相を辞任、インドへ亡命したという知らせが届いた。ワシフさんは「ボンゴボンドゥ霊廟の名称も変更されるかもしれない」と語っていたが、その行方はまだわからない。
アジアのこの土地では、政治の記憶の中でも人々は生きている。そして、そうした人々の暮らしのなかで、文化遺産は単なる過去ではなく、今も生きるものとして、時代を超えて語りかけてくる。情熱と静けさを併せ持つこの風景が、これからどうなっていくのか。予測はできない。しかし確かに、風が吹き、祈りがあり、人々が生きている。この「生きた文化遺産」は、政治的な変動の中でも、破壊や過度な商業化といったリスクにさらされている。未来に何を残すのか——それは、今をどう守るかにかかっている。
参考文献(APA格式)
1. Ahmed, S. (n.d.). An outline of Muslim architecture in East Pakistan. DergiPark. Retrieved from https://dergipark.org.tr/en/download/article-file/2728535
2. Banglapedia. (n.d.). Bibi Begni Mosque. Retrieved from https://en.banglapedia.org/index.php/Bibi_Begni_Mosque
3. Kaur, K. P. (2023). Intermingling of societies: Revisiting Delhi Sultanate through the prism of architecture. Heritage: Journal of Multidisciplinary Studies in Archaeology, 11, 255–264. Retrieved from https://www.heritageuniversityofkerala.com/JournalPDF/Volume3/20.pdf
4. Kabir, N., & Ahmed, M. N. (2019). Exploring Khan Mohammad Mirdha Mosque: An attempt to construe the socio-religious fabric of Mughal Dhaka. Pratnatattva, 25(2), 45–54. Retrieved from https://d1wqtxts1xzle7.cloudfront.net/59958219/NURUL-KABIR-and-Maliha-Nargis-Ahmedpg45-5420190708-75836-8l7end-libre.pdf
5. Rahman, A. (2023, December 19). Why exactly is Dhaka the slowest city in the world? The Daily Star. Retrieved from https://www.thedailystar.net/opinion/views/news/why-exactly-dhaka-the-slowest-city-the-world-3436751
6. Tours N Trips BD. (n.d.). Sonargaon and Panam City Tour. Retrieved from https://toursntripsbd.com/package-tour-in-bangladesh/sonargaon-panam-city/
7. UNESCO World Heritage Centre. (n.d.-a). Historic Mosque City of Bagerhat. Retrieved from https://whc.unesco.org/en/list/321
8. UNESCO World Heritage Centre. (n.d.-b). Ruins of the Buddhist Vihara at Paharpur. Retrieved from https://whc.unesco.org/en/list/322
注釈
1Rahman, A. (2023, December 19). Why exactly is Dhaka the slowest city in the world? The Daily Star. https://www.thedailystar.net/opinion/views/news/why-exactly-dhaka-the-slowest-city-the-world-3436751
書誌情報
劉高力《エッセイ》「バングラデシュの文化遺産と人びと」『アジア・マップ:アジア・日本研究Webマガジン』Vol.3, BD.4.03(2025年10月24日掲載)
リンク: https://www.ritsumei.ac.jp/research/aji/asia_map_vol03/bangladesh/essay01