アジア・マップ Vol.03 | インド
《総説》
インドのテーマパークとアミューズメントパーク
1999年に設立された「インド・アミューズメントパーク・産業協会」(Indian Association of Amusement Parks and Industries、以下IAAPIと略記)によれば、インドには「155以上のアミューズメントパーク」が存在する(Verma 2018)。一方、IAAPIのホームページには、同協会がアミューズメントパーク、ウォーターパーク、スノーパーク、屋内アミューズメントセンター、そしてテーマパークを扱っているという自己紹介がある。155という数字には、アミューズメントパークだけでなく、これらの様々な個性をもつパークも含まれているだろう。
なぜ、筆者がアミューズメントパークという言葉が指し示す範囲にこだわるのかと言えば、日本ではアミューズメントパークすなわち遊園地と、テーマパークすなわち特定のテーマをもつ遊園地とが、産業実態調査や統計資料作成の都合上、厳密に区別されているからである(井手2003, 2004)。しかし、日本と違ってインドでは、両者は区別されてはいるが、その違いが日本と同じくらい重視されているわけではないようだ。
筆者がインドのテーマパーク、アミューズメントパークに関心を持ったのは、2013年の春である。インターネットで、インド初の「国際基準のテーマパーク」「ディズニー式のテーマパーク」がオープンしたという、わくわくするような記事を読んだからである。その年の夏休みに、早速、筆者はそのテーマパークを訪れた。そして、大きな衝撃を受けた。以来、インドのテーマパーク、アミューズメントパークを調査研究の対象にしている。本稿では、拙稿(小牧 2018, 2024)から部分的に引用しつつ、論文には書けなかった個人的な体験談も新たに加えながら、インドのパーク事情の具体相に迫っていきたい。
2. アミューズメントパークとテーマパークIAAPIがアミューズメントパーク、ウォーターパーク、スノーパーク、屋内アミューズメントセンター、テーマパークを扱う組織だという自己認識をもっていることは先述の通りである。ここでは拙稿(小牧 2018: 66-67)から引用しつつ、各種のパークを順に見ていく。
インド初のアミューズメントパークは、1984年にニューデリーで開園したアップー・ガル(Appu Ghar)である。当時の首相インディラ・ガンディーが、インド国民の大多数にとって未知のものであった大型の遊戯機械を首都に積極的に導入したのが始まりだと言われる。1990年代にニューデリーの大学に留学していた筆者には、ホームステイ先の家族と一緒にアップー・ガルで遊んだ記憶が「赤」のイメージで残っている。赤は、世界中の多くのアミューズメントパークでもよく見られるシンボリックな色であるように思う。
アップー・ガルは2008年に閉園したが、2014年にニューデリー郊外のグルーグラム(グルガーオン)で、ウォーターパーク(あるいは「水のテーマパーク」)として再出発した。ウォーターライドの種類は豊富で、スカイフォール、アクアループ、人工波のプール、オープンフロートスライド、ねじれや回転、落下を伴うフロートスライド、長さ200メートルの水上コースター、4 レーンのレーサーウォーターライドなど、どれも巨大なアトラクションであり迫力満点である。最寄り駅で電車を待っていると、パーク全体を見渡せるだけでなく、楽しそうな叫び声まで聞こえてくるので宣伝効果は抜群である。
新生アップー・ガルは当初、アミューズメントパークを併設する予定だったようだが、いまだにウォーターパークのみである。だが、インドでは大都市郊外に立地する大規模なアミューズメントパークが、ウォーターパークを併設していることが多い。たとえば、ムンバイー郊外のエッセル・ワールド(Essel World and Water Kingdom、1989年開園)、コルカタのニコ・パーク(Nicco Park、1991年開園)、さらにコーチン、ベンガルール、ハイダラーバードにそれぞれ2000年、2005年、2016年に開園したワンダー・ラ(Wonder la)はどれもウォーターパークとアミューズメントパークの複合施設である。
ところで、ウォーターパークの登場は、インド社会に大きなインパクトを与えたに違いない、と筆者は密かに思っている。インドでは、宗教に関係なく、男女ともに肌の露出がタブー視される傾向にある。有名なガンジス川での沐浴も、着衣のままなされるのが普通である。特に、女性が足を見せることへの抵抗感・忌避感は根強い。しかし、ウォーターパークでは、着衣での入場は禁止されている(写真1)。他者の目もある公共の場で、水着で遊ぶ男女の姿が映画のなかの話ではなく現実世界のものになったのは、インドではごく最近のことなのである。若い世代が大半を占める都市の新中間層が、伝統的なインド社会の規範から抜け出し、欧米型のライフスタイルを志向している様子を、ここに垣間見ることができる。ちなみに、ムンバイー郊外のエッセル・ワールドのウォーターパークでは、ヒンドゥーだけでなく非ヒンドゥーのファミリーも水着姿で休日の午後を満喫していた。
さて、ウォーターパークとアミューズメントパークの複合施設が人気を集めるなか、2004年に南インドの大都市ハイダラーバードで開園したスノー・ワールド(Snow World)は、なかなか個性的である。これはスノーパーク(あるいは「雪のテーマパーク」)とアミューズメントパークの複合施設である。スノーパークは、当たり前だが寒いので、受付で手袋、靴下、長靴、ジャンパーを借りて身につけなければならない。ボウリング場で貸し靴に履き替える要領だなと思いながら身支度をしていると、メディカル・カレッジの男女学生35人と引率の教員2人が、卒業旅行と称してわいわいがやがやとやってきた。女子学生はサリーやパンジャービースーツなど、インド服の上にジャンパーを重ね長靴を履くという奇妙な格好になり、そのミスマッチを互いに愉快そうにからかい合っていた。
スノーパークには、スノーライド、氷の家、氷のテーブルとイス、バスケットボールとバレーボールの設備、カフェ、シロクマやペンギンなどのオブジェなどがあった。突然、大吹雪が襲ってきたりダンスミュージックが流れたりする時間もあった。回転リフトのようなライド系のアトラクションや展望台もあった。カフェの壁には温かい飲み物のメニューと並んで、南極・北極の人びとの暮らしなどに関する掲示物もあった。教育と娯楽を融合させた「エデュテインメント」の要素も、ここにはあるのだ。他方で、雪男またはイエティ風のオブジェに描かれた顔は、リアリティよりもファンタジーを追求するものだった。イヌイット風の顔出しパネルもあり、医学生たちは代わる代わる、メンバーを少しずつ替えながら記念撮影に興じていた。大はしゃぎで互いに粉雪を掛け合い、顔がびしょ濡れになって凍えそうになっている男子学生もいたが、ダンスミュージックが流れると、みんなで、これ以上ないくらいに盛り上がって踊っていた。
ここまで、アミューズメントパークとウォーターパーク、そしてスノーパークを見てきた。ここで変わり種をひとつ。2006年にデリー郊外に開園したアドヴェンチャー・アイランド(Adventure Island)は、アミューズメントパークに人造湖、ショッピングモール、レストラン街が併設された複合施設である。ここでは、ショッピングモールとレストラン街は誰でも利用できるが、アミューズメントパークは人造湖に浮かぶ島にある。そのため、入場料を払って船に乗り、別世界の冒険へと旅立つことになる。
2010年代に入ると、インド各地でテーマパークの開園が目立つようになった。2010年にグルーグラムで開園したキングダム・オブ・ドリームズ(Kingdom of Dreams)は、インド各地の名物料理を彼の地の典型的な建築や内装のレストランまたはブースで堪能しながら、旅行気分を楽しむことができる「食のテーマパーク」である。各地の名産・特産を陳列した土産物店と、インド映画をフィーチャーした歌と踊りのステージもある。
2013年に開園したキッザニア・ムンバイーは、ホテルスタッフや外科医、パイロットやアナウンサーなど、短時間で複数の職業体験ができる「職のテーマパーク」である。筆者が見学していた時は、消火活動を疑似体験できる消防士が子どもたちに最も人気だったが、インドならではの仕事として、ボリウッド映画のダンサーや、英仏独合作映画「めぐり逢わせのお弁当」で世界的に認知された「ダッバーワーラー」(弁当配達人)もなかなかの人気だった。右手を左胸に当て、仮想ゲストに対してキッザニア・ムンバイー用語「ザンキュー」を連発する子どもたちの顔つきは、驚くほどに真剣である。屋内型のテーマパークであるキッザニアはショッピングモールの一角にあり、ゲート横のパークショップには洗練された多種多様なグッズが陳列されていた。なお、キッザニアは2016年、デリー近郊にも開園した。
以上、インドの大規模かつ主要なパークについて、筆者の体験をもとに紹介してきた。結果的にIAAPIが扱う全てのタイプの施設、すなわちアミューズメントパーク、ウォーターパーク、スノーパーク、屋内アミューズメントセンター、テーマパークに言及することができた。これらとインターネット検索で判明したパークの開園・閉園を私的に年表にまとめてみたところ、2000年代になってアミューズメントパークが急増し、2010年代に入ってテーマパークが開園ラッシュを迎えた様子が浮かび上がった。裏付けとなる確固たる資料は未入手だが、インドにおけるテーマパークの発展は、アミューズメントパークの数が急増し、集客面などで競合した結果、他との差別化のために水や雪などをテーマにしたパークを増設して複合化を試みたり、最新のアトラクションを導入して目新しさを売り込んだりした結果だと考えることもできるだろう。
3. 映画のテーマパーク:ラーモージー・フィルム・シティ2015年公開映画『バーフバリ:伝説誕生』と2017年公開の続編『バーフバリ:王の凱旋』は、インド国内だけでなく日本を含む世界各国で大ヒットした。古代インドを舞台とした壮大なスケールの世界観とアクション・スペクタクル、それらを支える高度なVFX(Visual Effects;視覚効果)が高く評価されたのである。S・S・ラージャマウリ監督は2022年公開の『RRR』でも大ヒットを飛ばし、インド映画史における最高額の製作費と興行収入の記録を自分自身で塗り替えるという偉業を達成した。
よく知られていることだが、これらの作品はインド映画の主流であるボリウッド発のヒンディー語映画ではない。つまり、ヒンディー語とは言語系統の異なるテルグ語の映画である。テルグ語は南インドのテランガーナ州の公用語であり、州都は先述のスノーパークが立地する大都市ハイダラーバードである。その郊外に、ラーモージー・フィルム・シティ(Ramoji Film City、以下RFC)というギネス級の巨大なテーマパークがあるのだが、『バーフバリ』と『RRR』の多くの場面が、このテーマパークで撮影されたそうである。『バーフバリ』のバックロット(野外撮影場)は部分的に保存され、一般の来園者にも公開されている(Nathan 2018)。
RFCは1996年の開業であるから、おそらく、インドで最初のテーマパークと言えるのではないか。フィルム・シティという名が示すとおり「映画のテーマパーク」を謳っているが、もともと撮影所としてスタートしたらしい。豊かな自然に恵まれた広大な敷地(1,666エーカー)には①映画撮影に使用されるエリアに加えて、②各種のショーを見せる劇場や野外ステージがあるエリア、③世界の庭園・植物・蝶・鳥を紹介するエリア、④大小規模の遊戯機械やレストラン、土産物店などを備えたアミューズメントパークのエリア、さらに⑤子ども用遊具エリア、そして⑥豪華な宿泊施設が、ゆったりと贅沢に配置されている。
このように書くと、RFCはテーマ性を欠いたテーマパークだと受け取られかねない。しかし、それは違うと思う。②では映画製作の舞台裏を見せ、③では時にロケがおこなわれ、④には映画に関連したアトラクションがある。⑤ではファンタジーの世界のキャラクターたちが子どもたちを迎え、⑥は映画疲れを癒やすことができる…ということで、ほぼ全てのエリアが「映画」を軸として緩やかに繋がり合っている、と見ることができる。こうして全体として、「映画のテーマパーク」が成立しているのである。
筆者がRFCを訪れたのは2014年の9月であった。ガネーシャ神の祭りの時期と重なっていたため、パーク内の目立つ場所にガネーシャ神像が設置されており、多くの人が足を止め、祈りを捧げたり記念撮影をしたりしていた。園内マップを頼りに⑤に行く途中で、インド二大叙事詩『ラーマーヤナ』に登場するラーヴァナ風の顔出しパネルを見つけたが、最初はそれが顔出しパネルとは気づかなかった。なぜなら、3人組の青年のうちの1人がパネルに顔を当て、残りの2人がスマホで写真を撮っていたからである。彼は実に見事にラーヴァナ風のパネルと一体化していた(写真2)。
それから、②の劇場で観たショーは圧巻であった。北東インド出身の若者たちがアクロバット演技で身軽さを競ったり、ベンガル人女性が曲芸を見せたり、ラージャスターン風の衣装に身を包んだ若者が民俗調の歌と踊りを披露したりしたあと、地方色を強調しないパフォーマーが国旗を翻し、ヴァンデー・マータラム(インドの第2国歌)を歌い踊ったのである。観衆は幻想的な愛国ショーに酔いしれつつも、シャッターチャンスを逃さぬよう手元に神経を集中していた。スマホでの動画撮影に余念がない人も多かった。民族と文化、そしてナショナリズムが美しく展示され消費されている瞬間を筆者は目撃したのである。
4. 「インド初のディズニー式のテーマパーク」:イマジカ次に、2013年に開園した「アドラブズ・イマジカ」(Adlabs Imagica)--2020年からは「イマジカ」(Imagicaa)に改称--について拙稿(小牧 2018, 2024)を引用しながら見ていこう。実を言うと、イマジカこそが筆者にテーマパーク研究のきっかけを与えた意義深い場所なのである。
イマジカは、インド最大の商業都市ムンバイーと学園都市プネーの中間に位置する高原の避暑地に建設された「インド初の国際基準のテーマパーク」「インド初のディズニー式のテーマパーク」である。オープン当初は6つのテーマに基づくエリアから成るテーマパークであり、各エリアの建物の外観やレストランのメニュー、アトラクションの種類や内容、ギフトショップなどは、まさしくディズニー式にステレオタイプ化されたエリア・イメージに基づいて統一されていた(写真3)。
すなわち、アメリカーナ(Americana)が西部開拓時代と絶叫マシーン、ヴィヴァ・ヨーロッパ(Viva Europa)はファンタジーの世界とエンターテインメント・ショー、アシアナ(Asiana)は360度シアターとアニメ映画、ジャンボ・アフリカ(Jambo Africa)はエスニックなオブジェと恐竜の時代、アラビア(Arabia)はアラビアンナイトと銃撃戦、そしてインド(India)は古代から近未来へと続く壮大な歴史物語(ヒンドゥーの崇高な神話の時代、中世ムスリム王朝期の恐怖、多民族国家としての現在、大ヒット映画に描かれた近未来的冒険)といった具合に、それぞれのエリアがローカルな仕方で解釈され表象され演出されていたのである。
その後、テーマパークの周辺にはテーマホテルやギリシアのミコノス島をイメージしたウォーターパークが建設され、複合的なリゾート施設の様相を呈するようになった。その一方で、テーマパーク内にもスノーパークや、ボリウッドの映画スターの蝋人形館、世界の有名なモニュメント館、トリックアート館、デジタルアート館などが登場した。これらは全て屋内型のアトラクションであり、全世代型・全天候型のエデュテインメント施設だが、世界の6つのエリアをイメージしたテーマパークのテーマ性とは、ほとんど何も共有できていないのは明らかである。
さらに、テーマパーク内のちょっとした隙間に、いつのまにか入り込んでいる、これもまたテーマパークのどのエリアのテーマとも関係のない遊具が出現するようになった。たとえば、鏡の迷路、ゴーカート、子ども向けのフリーフォール、飛行塔、小さな観覧車、ぬいぐるみの射的、ぬいぐるみを獲得するためのバスケットボールシュート、大きめのビニールプールのなかに乗り物を浮かべたもの、家庭サイズのトランポリン、パンチマシーン、カラオケ、プリントTシャツ機などである。
筆者が初めてイマジカを訪れたのは開園してまもない2013年の夏であった。当初はヒンドゥー・ナショナリズム的なテーマが明確に設定されており、そのテーマ性はかなり徹底的に保持されていたと記憶する。しかし、年を追うごとにテーマとの関連性が薄いものが増殖するようになり、テーマ性をもつ空間は混乱し、アミューズメントパーク化が進行していった。これを筆者は「テーマパークのヴァナキュラー化」と表現した(小牧 2024)。しかし、テーマパークにおけるテーマの崩壊は、イマジカに限ったことではない。それは、日本を代表するテーマパークである東京ディズニー・リゾートでも生じている現象なのである(新井 2016)。
5.おわりに本稿では、インドのテーマパークとアミューズメントパークを駆け足で案内してきた。インドのテーマパークも日本のテーマパークと同様、テーマ性が徹底していなかったり崩壊していたり、緩く実現されていたりすることが分かった。それでは、インドにはディズニーのような徹底的に一貫したテーマ性を備えたパークは存在しないのだろうか。答えは「存在する」である。それは、テーマパーク化したヒンドゥー寺院に見出すことができる。典型的な例が、2005年、ニューデリーに造営されたヒンドゥー・ナショナリズム的な寺院複合アクシャルダーム(Swaminarayan Akshardham complex)である。この寺院には祈りの場だけでなく、開祖のライフヒストリーを再現した展示や、「インドの輝かしい遺産」(India's Glorious Heritage)という名前のアトラクションもある。それは、ゴンドラに乗ってインドの過去から現在までを旅する趣向だが、そこにヒンドゥー教以外の宗教や文化は出てこない。アクシャルダームに匹敵するテーマパークのような寺院は、インド各地に続々と建設されているようである。
アミューズメントパーク、テーマパーク、そしてテーマパーク化した宗教施設は、経済発展を遂げ、新中間層が誕生し、ファミリーでの余暇活動が盛んになったことで急増した施設である。それらは、インド社会の「いま」を体験・体感できる絶好の場所でもある。インドを旅する機会があれば、世界文化遺産や名所旧跡だけでなく、テーマパークやアミューズメントパークにも、ぜひ足を運んでほしい。そして、テーマパーク化した宗教施設との比較にも挑戦してほしい。
新井克弥2016『ディズニーランドの社会学:脱ディズニー化するTDR』青弓社.
井手信雄 2003「テーマパークの定義」『日本観光学会誌』42: 36-41.
---- 2004「テーマパークの分類」『日本観光学会誌』44: 95-101.
小牧幸代2018「インドにおけるテーマパーク産業の発展と課題:アドラブズ・イマジカのアトラクションに関する人類学的考察」『産業研究』53: 61-75.
----2024「テーマパークにおけるテーマ性のゆらぎとヴァナキュラーなもの:現代インドの事例を中心に」『イスラーム世界研究』17: 134-144.
Archana Nathan 2018 'At Ramoji Film City in Hyderabad, everything is about show business (and not just for filmmakers)' https://scroll.in/reel/860202/(2025年3月24日閲覧)
Smitha Verma 2018 'From rollercoasters to flying theatres; theme parks go all out to woo Indians'
https://www.financialexpress.com/life/lifestyle-the-joyride-club-1191372/(2025年3月24日閲覧)
書誌情報
小牧幸代《総説》「インドのテーマパークとアミューズメントパーク」『アジア・マップ:アジア・日本研究Webマガジン』Vol.3, IN.1.03(2025年6月12日掲載)
リンク: https://www.ritsumei.ac.jp/research/aji/asia_map_vol03/india/country03/