アジア・マップ Vol.03 | インド

《人物評伝》
シャー・ルク・カーン(Shah Rukh Khan)

岡光信子(中央大学政策文化総合研究所 客員研究員)

1.シャー・ルク・カーンの生い立ち
インド映画は、言語別に制作の中心となる場所があり、ヒンディー語映画の拠点はボリウッド(Bollywood)である。ボリウッドとは、ボンベイ(Bombay)(現ムンバイ)とハリウッド(Hollywood)を組み合わせた造語である。

 ボリウッドには、「3カーン」と呼ばれる絶大な人気を誇る大スターが存在する。彼らは、シャー・ルク・カーン、アミール・カーン、サルマン・カーンである。彼らの共通点は、1965年生まれのイスラーム教徒であることだ。3カーンは、それぞれの個性が異なり、各自の魅力が発揮される役柄と作品のジャンルがある。

 シャー・ルク・カーンは、演技力に定評があり、様々な役柄を演じることができる。彼のはまり役は、永遠の愛を信じるロマンチックな理想主義者、ウィットに富む魅力的なヒーロー、心に傷を負った高潔な人物、脆さをもつアンチヒーロー、愛国心と信念があるリーダー、型破りな人物、多面的で複雑な人物までと非常に幅広い。それゆえ、彼の出演作は、シリアスな内容のものからロマンティック・コメディーまで多種多様である。

 シャー・ルク・カーンは、1965年11月2日インドのニューデリーで生まれた。父親のミール・タージ・モハメッド・カーン(Meer Taj Mohammed Khan)は、ペシャワール(現パキスタン)出身の独立運動家で、デリー大学で法学を学び、レストランなどを経営した人物人で、シャー・ルクが15歳の時に癌で亡くなった。母親のラティーフ・ファティマ・カーン(Lateef Fatima Khan)は、治安判事で、シャー・ルクが24歳の時に糖尿病の合併症により死亡している。シャー・ルクによれば、母親は社会的に多大な功績を残した数少ないイスラーム教徒の女性の一人だそうだ。

 彼は、セント・コロンバズ・スクールで学び、学校最高位の勲章である名誉剣(The Sword of Honour)を授与されるほど学業・スポーツにおいて優秀な成績を修めた。ハンスラージ・カレッジに進学し、経済学の学士号を取得し、ジャミア・ミリア・イスラミア大学大学院に進んだが俳優業に集中するため退学している。

 シャー・ルクは、中産階級出身である。彼の育った家庭は、インテリジェンスに満ちており、彼自身も高等教育で培われた知性と教養を兼ね備えた人物である。また、独立運動に参加した父親の影響を受けて、愛国心が強い人物だと言われている。両親の早すぎる死は、彼の人生とキャリアに大きな影響を与え、「懸命に働くことが成功をもたらす」という信念を植え付けたという。

写真1)ホッケーを楽しむ大学時代のシャー・ルク・カーン

写真1)ホッケーを楽しむ大学時代のシャー・ルク・カーン
出典:https://commons.wikimedia.org/wiki/File:SRKhockeydays1990%27s.jpg
(最終閲覧日 2025/09/21)

2.俳優としてのシャー・ルク・カーン
シャー・ルクの俳優としてのキャリアはテレビから始まっている。1988年、彼は陸軍士官候補生の訓練を描いたテレビ・シリーズ『ファウジ(Fauji)』の主役のアビマニユ・ラーイ役でデビューし、この作品の好演により人気を獲得した。その後、いくつかのテレビの人気シリーズに出演する。1991年、母親の死を契機とし、俳優としての飛躍を求めてデリーからボンベイに移住した。

 1992年、シャー・ルクは、ミュージカル仕立てのロマンス映画「ディーワナ(Deewana)」で映画デビューを果たした。この映画は興行的に大ヒットし、フィルムフェア賞最優秀新人賞を受賞し、ボリウッドでのキャリアが始まった。初期の出演作『バズィーガー(Baazigar)』(1993)、『ダール(Darr)』(1993)、『アンジャーム(Anjaam)』(1994)では悪役を演じ、演技力のある俳優としての地位を確立した。

 1995年、『ディルワレ・ドゥルハニア・ル・ジャイエンゲ(Dilwale Dulhania Le Jayenge)略称DDLJ』の出演は、彼を一躍「ロマンスの王」に押し上げ、大スターの仲間入りを果たした。この作品は、ロンドン在中の在外インド人(Non-Resident Indian 、略称NRI)1の物語である。シャー・ルク演じるお調子者の青年ラジとカジョール演じる保守的な家庭の娘シムランがヨーロッパ旅行中に恋に落ち、二人はインド的な価値観と個人の自由との間で揺れ動き、困難を乗り越えて最終的に結ばれる。

 インドは世界でも有数の移民排出国であり、海外に多数のディアスポラが形成されている。移民の第一世代は、海外でもインド人としての価値観を遵守して「インド人らしさ」を維持している。一方、若い世代は、外国でインドの伝統的な価値観の呪縛を受けることに葛藤を覚えている。『DDLJ』は、若い世代の意識や感性を見事に代弁する作品として国内外で大ヒットし、現在、最も愛されているインド映画と称される作品である。

 『DDLJ』の大成功は、インド映画界にオーディエンスとしてのNRIの存在を認識させ、NRIが主役となるNRI映画が積極的に制作されるきっかけを作った。シャー・ルクは、『DDLJ』を皮切りにNRI映画の主役を演じ、NRI映画の先駆者とも言える存在となっている。

 その後の出演作品は、『スワデーシ(Swades)』(2004)で NASA(米航空宇宙局)の優秀な科学者を演じ、『マイ・ネーム・イズ・カーン(My Name Is Khan)』(2010)ではアスペルガー症候群の男性などの難役を演じるなど、社会的な作品を含めて様々なジャンルの作品に出演している。

写真1)学生時代のシャー・ルク・カーン

写真2)カラム大統領からパドマ・シュリー賞を受け取るシャー・ルク・カーン
出典:https://commons.wikimedia.org/wiki/File:The_renowned_actor_Shri_Shah_Rukh_Khan_receives_the_Padma_Shri_award_from_the_President_Dr._A.P.J._Abdul_Kalam_in_New_Delhi_on_March_28,_2005.jpg
(最終閲覧日 2025/09/29)

3.世界的なセレブとして
シャー・ルク・カーンは、俳優業だけでなく司会者、実業家としても才能を開花させ、慈善家の顔も有している。

 2007年、彼はインド版『誰が百万長者になりたい? (Who Wants to Be a Millionaire?)』の司会を担当したことを皮切りにいくつかのテレビ番組の司会を行い、ウィットに富んだ魅力的な司会者として高評価を得た。さらに、フィルムフェア賞など、数々の映画関係の賞の司会も務めている。

 実業家としては、1999年、ドリームズ・アンリミテッドの創設メンバーとして映画制作を開始した。同社解散後は、レッド・チリーズ・エンターテインメントの共同会長を務めている。同社は、映画・テレビ番組制作だけでなく、配給、映画製作視覚効果、広告など多角的に事業を展開している。シャー・ルクは、同社の制作した映画に出演するだけでなく、同社のデジタルコミックの脚本も手掛けている。さらに、インド・プレミアリーグのクリケットチーム「コルカタ・ナイト・ライダーズ」とカリビアン・プレミアリーグ「トリニバゴ・ナイト・ライダーズ」の共同オーナーでもある。

 シャー・ルクの慈善活動は、2013年に「ミーア財団」を設立したことから始まっている。この財団は、15歳の時に亡くなった父親の名前を冠した非営利団体である。この財団は、女性のエンパワーメントと酸攻撃(硫酸・硝酸・塩酸など腐食性の強い液体を被害者にかけ、肉体的に深刻な損傷や後遺症を負わせる暴力行為)の被害者の支援に重点を置いている。さらに、UNICEFやインド政府と協働して子供の予防接種や健康教育キャンペーンを展開している。

 シャー・ルクの名声は、インド国内に収まらず世界的なものである。2005年、「顕著な貢献」を果たした国民にインド政府が授与する賞であるパドマ・シュリー賞を受賞している。2007年、フランス政府は、芸術・文学等の分野に貢献した人物を称える芸術文化勲章を授与した。2008年、ニューズウィーク誌が選ぶ「世界で最も影響力のある50人」の1人に選出された。2011年、UNESCOから子どもの教育支援に対する功績として、 ピラミッド・コン・マルニ賞を受賞している。2014年、フランスの最高かつ最も権威ある国家功労勲章となるレジオンドヌールを受賞した。2018年、インドにおける女性と子どもの権利擁護運動に対する活動が評価され、世界経済フォーラムのクリスタル賞を受賞している。2022年、エンパイア誌で史上最も偉大な俳優50人の一人にも選ばれている。2023年、タイム誌はシャー・ルクを世界で最も影響力のある100人の一人に選出した。

マイ・ネーム・イズ・カーン

写真3)『マイ・ネーム・イズ・カーン』のファーストルック(劇場公開前に関係者に対して作品を披露する機会)に登場したシャー・ルク・カーンとカージョール
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Shah_Rukh_Khan_and_Kajol_unveil_the_first_look_of_My_Name_Is_Khan.jpg
(最終閲覧日 2025/09/21)

 現在、シャー・ルク・カーンは、俳優としての枠に収まらず様々な分野での活躍が高く評価され、インドを代表する人物のひとりである。彼の名声はインド国内に留まらず海外でも広く知られ、シャー・ルクは世界的なセレブとなっている。

注釈
1在外インド人とは、海外に移住したインド人およびその子孫のことである。インド国籍を保持している場合(NRI: Non-Resident Indian)、移住先の国籍を取得している場合(PIO: Person of Indian Origin)に分類される。

書誌情報
岡光信子《人物評伝》「シャー・ルク・カーン(Shah Rukh Khan)」『アジア・マップ:アジア・日本研究Webマガジン』Vol.3, IN.9.04(2025年10月22日掲載)
リンク: https://www.ritsumei.ac.jp/research/aji/asia_map_vol03/india/essay01/