アジア・マップ Vol.03 | キルギス
《総説》
キルギス共和国の伝統医療
本稿は、キルギス共和国における伝統医療の担い手であるバクシ、シャイーク、タブブチーの実践、社会的役割、知識体系、宗教的象徴、教育的継承の在り方を包括的に明らかにしたフィールド調査報告である。筆者は2022年と2023年の2年間にわたり、アク・ベシム遺跡周辺、イシク・クル地域、バルイクチ村、トクマク市、ビシュケク郊外など複数の地域で参与観察と半構造化インタビューを実施した。調査対象は伝統医療従事者14名と、患者・家族20名であり、治療行為、宗教儀礼、語りの実践、薬草利用、地域社会との関係性などを横断的に分析している。目的は、伝統医療を単なる民間治療の一形態ではなく、宗教的・社会的・教育的な知の体系として位置づけ、現代社会における持続可能な医療・学習モデルとして再評価することである。
まず、バクシ(bakhshi)は古代テュルク語の「カム(qam)」に由来する霊的治療者であり、古くから癒し手、予言者、物語の語り手として機能してきた。彼らの治療行為は、病を単なる身体的現象ではなく、「霊的・社会的な不調和」として捉える点に特徴がある。バクシの儀礼では太鼓や口琴を用いた音楽的リズムによってトランス状態を誘発し、患者の心身のバランスを回復させる。「ヘビ使いのバクシ」は、ヘビを神聖な媒介者として扱い、痛みや悪霊を吸収させることで浄化を行う。ヘビは古代から再生と治癒を象徴しており、バクシはそれを通じて生命循環の象徴的再統合を実践している。一方「脈のバクシ」は、脈拍や皮膚温度の変化を通して患者の健康状態を読み取り、血流や気の停滞を改善する治療を行う。これらの方法は中医学の脈診やアーユルヴェーダのエネルギー理論とも通じており、身体を「流れ」のシステムとして捉える共通した世界観を反映している。
シャイーク(shaykh)はイスラーム神秘主義(スーフィズム)の伝統に基づき、祈祷と信仰を通じて治療を行う宗教的ヒーラーである。彼らの治療は主に精神疾患、不妊、発達障害、悲嘆、トラウマなどを対象としており、祈祷や聖水、クルアーンの詠唱を通じて患者の内的平穏を取り戻すことを目的とする。「湧水のシャイーク」と呼ばれる治療者は、山間の湧水や泉を神聖視し、それを用いて体を清める儀式を行う。この湧水は神の恩寵の象徴とされ、タイムやヨモギなどの薬草を混ぜて飲用することで、心身の浄化と再生を促す。治療は医療的効果だけでなく、宗教的な救済と心理的癒しを同時に実現する場であり、患者の多くが治療を通じて信仰心を深め、社会的つながりを回復することが明らかになった。
タブブチー(tabybchy)は薬草療法を中心とした職業的ヒーラーであり、科学的知識と経験的知を結びつけた実践者である。彼らは山岳地帯や草原を歩きながら薬草を採取し、乾燥、粉砕、煎じ、軟膏化など多様な製法を駆使する。薬草は100種類以上に及び、主要なものにはヨモギ、エフェドラ、タイム、ミント、セージ、ジュニパーなどがある。診断では問診・触診・視診を重視し、「冷たい疾患」と「暖かい疾患」という体質分類を用いる。冷たい疾患には温性の薬草を、暖かい疾患には冷性の薬草を処方する。この体系はアーユルヴェーダの三体質理論や漢方の陰陽論と相似しているが、キルギスの自然環境に適応して独自に進化している。タブブチーは、薬草採取の際に祈祷を行い、植物の生命を敬う倫理的態度を重視する。これにより自然と人間の関係が調和的に維持される。弟子制度による知識伝承も盛んであり、採集・調合・保存などの技術が体系的に教えられている。
これら三者の医療者はいずれも、身体的治療にとどまらず、地域社会の精神的支柱としての役割を果たしている。バクシの語りは英雄叙事詩や祖先の物語を含み、共同体の記憶と倫理を維持する手段として機能している。シャイークの祈祷は信仰共同体の再統合を促進し、タブブチーの知識は地域資源の持続的利用と環境保全に貢献している。こうした活動は「医療」「宗教」「教育」「文化」が分離していない全体的世界観に基づいており、人間の健康を社会的・自然的秩序の中に位置づけて理解する点で特徴的である。
筆者は、これらの実践を教育的観点からも分析してきた。ヒーラーたちの知識伝承は、学校教育のような形式的制度に属さない「インフォーマル・ラーニング」の典型である。弟子たちは師匠とともに山を歩き、植物の効能を実地で学び、祈祷の文句や治療の倫理を身体で覚えていく。この学びの過程は、パウロ・フレイレがいう「実践的意識化」の一形態ともいえる。すなわち、知識が共同体の生活と結びついて生成される動的プロセスである。特に女性ヒーラーの活動は、家庭内教育や地域の子どもたちへの自然教育とも連動しており、教育社会学の視点からも注目される。
また、筆者の研究は、ジェンダーと社会的包摂の観点からも重要な意義を持つ。多くの女性ヒーラーは、家父長的社会構造の中で経済的自立と社会的尊敬を得る手段として医療行為を行っている。彼女たちは、Kabeer(1999)の定義する「resources–agency–achievements」モデルにおけるエージェンシーを体現しており、自らの治療活動を通して地域社会に影響力を及ぼしている。Malhotra(2003)が述べる「資源へのアクセスと主体性の結合」の概念もまた、これらの女性ヒーラーの実践に適用できる。彼女たちは薬草採取や治療を通じて資源に直接アクセスし、治療の過程を自ら設計・実行する主体的役割を果たしている点で、経済的・社会的エンパワーメントの事例として位置づけられる。
他方で、伝統医療は現代化と制度化の波の中で課題にも直面している。国家の医療政策では西洋医学中心の体制が確立され、伝統医療はしばしば非正規・非科学的とみなされる。これにより公的支援の不足、後継者の減少、薬草資源の枯渇が進行している。また、気候変動による植物分布の変化、過剰採取による環境劣化も顕在化している。地域住民の間では若年層ほど伝統医療への信頼が低下しつつあり、知識継承の断絶が懸念される。筆者は、この状況を打開するためには、伝統医療を文化遺産として保存するだけでなく、現代医療との協働体制を構築することが必要であると主張する。具体的には、地域医療施設における共同治療、薬草の栽培・保全プロジェクト、教育課程における民間医療知識の導入などが提案されている。
結論として、キルギスの伝統医療は、自然・宗教・共同体・教育を結合する包括的知識体系であり、単なる過去の遺産ではなく「生きた文化的実践」として再評価されるべきである。バクシやシャイークの儀礼は、現代医療が軽視しがちな精神的・社会的側面を補い、タブブチーの植物知は環境保全と地域開発を結びつける鍵となる。これらの実践は、医療を超えて「人間と自然の共生」「文化的多様性の尊重」「学びの再構築」といった現代社会の課題に応答する知の体系である。伝統医療を教育的・社会的資源として位置づけ直し、地域社会の主体的参加に基づく持続可能な発展モデルを提示することを筆者の研究の意義とする。
【参考文献】
Balzer, M. (2019). “Shamanism: Spiritual and Magical Practices.” Ethnological Studies of Shamanism, 18.
Duyshembiyeva, J. (2002). “Kyrgyz Healing Practices: Some Field Notes.” Silkroad Foundation Newsletter, 3(2).
Penkala, D., & Adam, G. (2014). “The Way of the Shaman and the Revival of Spiritual Healing in Post-Soviet Kazakhstan and Kyrgyzstan.” SHAMAN, 22(1–2), 35–59.
Kabeer, N. (1999). “Resources, Agency, Achievements: Reflections on the Measurement of Women’s Empowerment.” Development and Change, 30(3), 435–464.
Malhotra, A. (2003). “Conceptualizing and Measuring Women’s Empowerment as a Variable in International Development.” World Bank Workshop Paper, Washington, DC.
Takayanagi, R. (2024). “Traditional Medicine and Informal Learning among Women Healers in Kyrgyzstan.” University of Tsukuba.
書誌情報
藤崎竜一《総説》「キルギス共和国の伝統医療研究」『アジア・マップ:アジア・日本研究Webマガジン』Vol.3, KG.1.01(2025年12月25日掲載)
リンク: https://www.ritsumei.ac.jp/research/aji/asia_map_vol03/kyrgyz/country01