アジア・マップ Vol.03 | オマーン
《エッセイ》
アジアの自然と景観から アフラージュ
オマーンに暮らす人々は、何千年も前から、限りある水資源を確保するため、アフラージュという横井戸を発達させてきた。単数形がファラジュ、複数形がアフラージュである。オマーン方言の特徴により、ファラグ、アフラーグと発音されることも多い。水源から人々の生活圏まで、水が重力に従って流れてくるよう勾配が工夫された、数キロに及ぶ長大な灌漑用水路のことである。「重力に従って流れてくる」ことが大切で、これにより人々は竪井戸での過酷な汲み上げ作業から解放されたのであった。現地のことわざにいわく、「たとえ水が多少しおからいアフラージュでも、家畜にギイギイと滑車をひかせる竪井戸よりはまし」。アフラージュのありがたみがよく表れている。
アフラージュは水源の別により3種に分類される。すなわち、地下水、表流水、湧水を源とするものを、それぞれ、イッディー、ガイリー、アイニーと呼ぶ。このうちイッディーはときに地下60メートルの工事を要するもので、日夜その恩恵に浴している住民ですら「ご先祖さんは、ようこんなんこしらえはったわ! わしらが機械つこても、なんぼかかるやろか!」と驚きを隠せないような構造をしている。そのためであろう、オマーン各所のイッディーは、預言者スライマーン(預言者ダーウードの子)が超能力で掘削したのだとも言い伝えられており、それに因んで、ダーウーディーの称が人口に膾炙している。
もっとも、アフラージュ研究の大家であるニズワー大学考古水文学教授、アブドゥッラー・アル=ガーフィリー先生は、水源に依拠した命名を一貫させることこそ科学の議論にふさわしいとして、イッディーの方の普及に努めておいでである。
ところで、このガーフィリー先生は、かつて日本政府の奨学金により北海道大学に留学され、アフラージュに関する論文で博士号を取得されたというご経歴をお持ちである。滞日中に三重県の地下水路「まんぼ」をご覧になり、「オマーンのイッディーと見紛うほどにそっくり」とのご感想を抱かれたそうである。オマーン政府の肝いりで編纂された現地研究の必携書、『オマーン百科事典』において、アフラージュの項目はガーフィリー先生が担当執筆されているが、そこで日本の「まんぼ」が言及されているのには、こんな裏話もあるのだった。
オマーンを潤すアフラージュの見学先としては、筆者が選ぶのもおこがましいが、例えば古都観光も兼ねて、ダーヒリーヤ県ニズワーや南バーティナ県ルスタークがおすすめできると思う。
ニズワーにあるファラジュ・ハトマインは、地下水路が地上に姿を現した後の、地上水路の分岐点が特によく知られたファラジュである。そもそもファラジュという言葉が動詞「分ける」と同源であるとされる。上流にボールを3つ落とすと、分岐点にある2本の仕切りできれいに3つに分かれるというが、水の分配を象徴するからこそ名所となっているのであろう。筆者が訪れたときは礼拝の頃合いが近かった。楽園を想起させるスィドラの大木が枝を広げて傘をつくっている横を通り過ぎて、人々がファラジュの流水で礼拝のためのお浄めをしてゆく。裏では学校帰りの少年の一団が歓声とともに水しぶきを上げている。いかにもオマーンのアフラージュらしい光景である。
少し下流に移ると、土地の高低の都合から、ファラジュは一時的に水路橋となる。そしてナツメヤシ園が広がってくる。受粉の季節と見えて、ベンガル人労働者が水路橋よりもまだ上、表情もうかがえないほど高所にのぼり、葉陰で作業を進めている。筆者は南禅寺の水路閣の眺めを思い起こした。地べたも余すところなく牧草が育てられ、ぬかるんだあぜ道を進むに、命の緑が目に鮮やかである。からし色のファラジュの横壁に同系色のカエルが固まっている。カエルがいるからには、彼の獲物もいれば、彼を食らう天敵もいるに違いない。再び見上げると、バナナの花が赤黒い。この辺りの地名は「バナナ池」というのだった。網の目のように張り巡らされたアフラージュが家々と農園を抱きかかえ、沙漠気候の世界にアフラージュ沿いだけの独特な生態系を守り育てているようなイメージが心に浮かぶ。
ルスタークのアフラージュの特色は、水というより湯が流れていることである。覗きこんだだけでムワッとした気に顔を打たれるが、ナツメヤシをはじめとするこの土地の作物にとっては何のこれしき、小魚まで泳いでいる。お年を召した方が「ほれ見てみ。この魚はサッドゆうねんけどな、わしらの小さい時分にはパンに練りこんで食べてたんやで」と案内してくださったのは、かつての洗濯場の跡である。井戸端会議で何を話していたのだろう。すべてを見守り、水の分配を律してきた日時計は何も語らないが、アフラージュが土木工学的存在のみならず、共同体の運営にかかわる社会的存在でもあったことをうかがわせる。
少し下流に移ると、土地の高低の都合から、ファラジュは一時的に水路橋となる。そしてナツメヤシ園が広がってくる。受粉の季節と見えて、ベンガル人労働者が水路橋よりもまだ上、表情もうかがえないほど高所にのぼり、葉陰で作業を進めている。筆者は南禅寺の水路閣の眺めを思い起こした。地べたも余すところなく牧草が育てられ、ぬかるんだあぜ道を進むに、命の緑が目に鮮やかである。からし色のファラジュの横壁に同系色のカエルが固まっている。カエルがいるからには、彼の獲物もいれば、彼を食らう天敵もいるに違いない。再び見上げると、バナナの花が赤黒い。この辺りの地名は「バナナ池」というのだった。網の目のように張り巡らされたアフラージュが家々と農園を抱きかかえ、沙漠気候の世界にアフラージュ沿いだけの独特な生態系を守り育てているようなイメージが心に浮かぶ。
ルスタークのアフラージュの特色は、水というより湯が流れていることである。覗きこんだだけでムワッとした気に顔を打たれるが、ナツメヤシをはじめとするこの土地の作物にとっては何のこれしき、小魚まで泳いでいる。お年を召した方が「ほれ見てみ。この魚はサッドゆうねんけどな、わしらの小さい時分にはパンに練りこんで食べてたんやで」と案内してくださったのは、かつての洗濯場の跡である。井戸端会議で何を話していたのだろう。すべてを見守り、水の分配を律してきた日時計は何も語らないが、アフラージュが土木工学的存在のみならず、共同体の運営にかかわる社会的存在でもあったことをうかがわせる。
温水は硫黄分に富むため薬効が期待できるそうで、滝下に入って湯治のように活用する住人もいる。目の前の壁に「打たせ湯に使うべからず」と大書されているので、我々よそものはファラジュ近くの温泉につかるとしよう。オマーンにはいい湯がいくつかあるが、ここルスタークもオマーン屈指の名湯がある。ハイサム国王陛下が即位されて間もないころだったろうか、地元の方を煩わせないような時間帯におじゃましたことがある。簡素な露天風呂で、隣の個室の先客は壁越しに「へえ、わざわざマスカトから運転してきたんか!」と歓迎してくれた。ホカホカ上機嫌で車に戻ると、なんとありがたいことにキンキンに冷えた水のボトルがフロントガラスに立てかけられていたのだった。近ごろ観光地としての整備が進んだようだが、ペンキのはげた懐かしの公衆浴場は残してもらえただろうか。
人々の生活の軸であったアフラージュが古来の説話の舞台となっているのも道理であろう。「村の娘がファラジュを牛耳る妖怪の生贄に選ばれてしくしく泣いていたところ、旅の勇者が通りがかり……」とどこかで聞いたような昔話があるかと思えば、ダーヒリーヤ県バフラーではファラジュ・ダンの流れが不安定なのは人ならざる者が異界に水を引いているからだと信じられている。「ファラジュ・ダン、淵は瀬になる世なりとも」と詠んだ粋人もいたろうか。
あるいは、南シャルキーヤ県の青年が聞かせてくれた迷信がある。なんでも彼の地元では、夜更けにファラジュで水路の切り替え作業をしていると、“物の怪”の手がヌヌヌッと伸びてきて、股ぐらをギュッとつかまれるのだという。日中であれば男性はディシュダーシャ(長衣)を着て外出するが、暗夜にそれも自分の農園に行くのだから、ウィザール(腰巻)姿で構わない。バスタオルを腰に巻きつけたようなもので、その下には何も履いていない。ファラジュに入ってジャバジャバ作業するためにウィザールをたくし上げるので、妖怪に手を伸ばされたら無防備なことこの上ない。尾籠な話で恐縮だが、実際にこの怪異に遭遇して「どや、わしの玉の重さは?」とたずね返した猛者もいるとか。もちろん、彼の友人たちが脅かしてやろうと仕掛けたことであり、数十年たった今でも仲の良いおじさんたちの笑い話になっているそうである。
社会の激変に伴い、アフラージュを次世代に継承する上で様々な困難が立ちはだかっているのも事実であるが、今日でもオマーンでは3000本以上のアフラージュが生きて流れている。2006年にユネスコの世界文化遺産に登録されてからは、国外からの注目も集まるようになった。2025年大阪・関西万博のオマーン館に足を運ばれた方はいらっしゃるだろうか。パビリオンの天井が水路になっており、明らかにアフラージュがモチーフである。開幕式ではオマーンの殿下が小さな水路の模型に水を注ぎこんで祝意を表されるこじゃれた演出もあった。また2025年5月には、まさにアフラージュを題材としたオマーン小説が、諸言語訳に先駆けて日本語で読めるようになった(邦題『水脈を聴く男』)。我も生かすも水、我を殺すも水という主人公を追いながら、かの地の伝統的な精神世界を感じられること間違いなしの一冊である。「エジプトがナイルの賜物なら、オマーンはアフラージュの賜物。我々にとってアフラージュとは文化遺産どころかアイデンティティそのものだ」とは、アフラージュの潤す農園に生まれ育ち、アフラージュ研究をライフワークとしてきたガーフィリー先生の言葉である。
書誌情報
村岡静樹《エッセイ》「アジアの自然と景観から アフラージュ」『アジア・マップ:アジア・日本研究Webマガジン』Vol.3, OM.6.02(2025年00月00日掲載)
リンク: https://www.ritsumei.ac.jp/research/aji/asia_map_vol03/oman/essay02