アジア・マップ Vol.03 | 台湾
《総説》
「台湾語」の名称をめぐって
―ナショナル・アイデンティティと多言語主義の葛藤―
台湾は繰り返された移民と外来政権による支配の歴史を反映して、その言語状況も複雑である。最も古くから住む原住民は部族ごとに異なることばを持ち、系統としてはマレー語やハワイ語等と同じオーストロネシア語族に分類される。漢族の中では福建省南部(閩南地方)にルーツのある人が最も多く、彼らのことばが今日一般的に台湾語と呼ばれており、その他に主に広東省にルーツのある客家人が話す客家語も存在する。しかし近代に入って「国語」となったのは、これら土着の言語ではなかった。日本による植民統治の下では日本語が国語とされ、戦後は国民党政府が中国北方のことばに基づく標準中国語をもたらして、日本語に取って代わったからである。21世紀に入った現在ではそれがほぼ全ての国民に普及するに至っているが、その代償として、元々人々の母語であった台湾語等の土着言語は継承が危ぶまれるようになり、民主化後はこれらの言語の保護・振興策が取られるようにもなっている。
以上が台湾の歴史と言語状況のごく簡単な概観であるが、その複雑さを背景として、台湾では言語の名称がしばしば論争の種となってきた。多くの国民国家では、国名を冠した言語が存在する場合は(例えば日本における日本語や、韓国における韓国語のように)それが国語や公用語であることが一般的であるが、上で述べた通り台湾ではそうではない。本稿では台湾語の名称をめぐる議論を通じて、台湾のナショナル・アイデンティティと多言語主義をめぐる問題について考えたい。
現在の台湾において台湾語は日常的に「台語」や「台灣話」と呼び習わされているが、こうした呼称が生まれたのは日本統治時代であると言われている。それ以前の台湾の人々は、「泉州人」や「漳州人」のように具体的な祖籍地(先祖の故郷)か、「府城(台南)人」や「鹿港人」のように現住地をもって自認しており、日本時代になって日本人という他者と対峙したことで初めて、全島規模の「台湾人」というアイデンティティが生まれた。それに伴って、最多数派の閩南系(日本統治初期の人口比は約85%(臨時臺灣戸口調査部編1908:304))の言語が「台湾語」と呼ばれるようになったのである。
戦後は中華民国の下で新たな国語となった中国語の普及のため、学校等の公の場で台湾語を話すことは厳しく制限される時代が続いたが、1980年代頃から民主化が始まるとそれが徐々に緩和され、同時にアイデンティティの面でも「中国人意識」に代わる「台湾人意識」が台頭した。それに伴って台湾土着の文化の再評価が進み、台湾語の復興や文学創作を目指す運動も盛んになったが、そんな中で起こったのが「台湾語」という名称をめぐる論争であった。主に客家の知識人から、多数派である閩南系(戦後は外省人 ※1 の流入によって、人口比は7割強に低下(黃宣範 2008:21))のことばだけが「台湾」の名を冠することに対して、異議が唱えられたのである(李喬 1999:162-166)。論争は決着を見ることはなく、日常的には引き続き「台湾語」という呼び方がされていたものの、台湾は閩南系、客家人、原住民、そして外省人といった多様な人々から成る多言語・多文化な社会であるという考え方が、こうした議論を通じて徐々に浸透していった。
このような背景もあり、政府等が公式に用いる呼称、例えば2000年代から学校教育に導入された土着言語の科目名において台湾語は「閩南語」と称されてきた(写真1)。しかしこれに対しては、台湾語の復興運動の側から反対の声が上がっている。理由の一つは「閩南」の語源が持つ侮蔑性であり、「閩」の字に「虫」(元は虫ではなく蛇を意味した)が入っていることからも分かるように、この語は元々北方の漢族が福建に住んでいた非漢族を蔑む呼称であったという主張である(蔣為文 2014:49)。またそれ以上に重要なのは、これが中国語の「方言」に与えられた名称であるという点であろう。「閩南語」は漢語方言学に由来する言語学上の区分であり、人々が日常生活で自らのことばを指す言い方ではなかった。それを台湾で使い始めたのは戦後の国民党政府であると言われ、そこにはこの言語及びそれを話す人々が「中国(語)」の一部であるという思想が含まれている。この点が台湾語、そして台湾の独立性を重視する立場とは相容れないのだと考えられる。
そうした立場の違いを孕みつつも、民主化後の台湾は多言語主義的政策を着実に推し進めてきた。上述した学校教育への土着言語の導入の他にも、公共交通機関のアナウンスに多言語使用が義務付けられ、台湾語、客家語、原住民諸語それぞれに専門のテレビチャンネルが開設されるといった施策が行われている。それらの総決算とも言えるのが、2019年に制定された「国家言語発展法」である。この法律では「台湾固有の各族群が使用する自然言語、及び台湾手話」が「国家言語」であると規定され(第3条)、それらの「継承、復興及び発展を促進する」(第1条)ことを国家が保障すると定められた。ただしこの法律の条文には、台湾手話 ※2 を除いて具体的な言語名は挙げられておらず、恐らくここまでに述べたような言語の名称をめぐる論争も一因だと考えられる。
しかし、2023年に文化部(中央省庁の一つ)から出された「国家言語発展報告」という文書では、国家言語の範囲が明確に示された上で、台湾語の名称についても新たな提案がなされた。報告書では台湾語の様々な呼称とそれぞれに対する賛否両論を丁寧に整理し、口頭の使用においてはそれらを等しく尊重すべきとしつつ、政策・業務を遂行するための書面上の呼称として「臺灣台語」を提案している(「臺」は「台」の正字で、台湾では両方用いられている)。これは一見すると「台湾台湾語」のような奇妙な名前に映るが、文化部は①「台語」は慣習化した固有名詞であり、台湾の全ての言語を代表する意味はないこと、②どの言語も台湾に土着化した平等な存在であることを示すために、各言語が等しく「臺灣」を冠する(ex. 臺灣客語、臺灣原住民族語言)ことを強調している(文化部2023:56-68)。この呼称がどこまで浸透するかは未知数だが、政府が関係する公式の表記は既に置き換えが始まっており(写真2)、英訳としては「Taiwanese Taigi」(「Taigi」は「台語」の台湾語読み)という表記が見られる(写真3)。
このように台湾語の名称をめぐる議論は、「台湾」というナショナル・アイデンティティの中で多言語・多文化をどのように位置付けるかという問題と深く関わっている。台湾人アイデンティティは日本を他者として芽生え、中国(当初は中華民国、後に中華人民共和国も)を他者として成長してきたが(若林 2008:75)、その過程で「台湾人とは何か」という問いと向き合い、内包していた多様性を尊重する方向性を摸索し始めている。「臺灣台語」という玉虫色の名称もそうした試行錯誤の産物として考えれば、極めて台湾らしい選択なのかもしれない。同時に台湾におけるこうした議論は、「日本語」という名称に普段疑問を抱くことのない日本人にとっても、日本の内なる多様性に目を向けるきっかけとなるのではないだろうか。
※1 戦後、特に1949年に共産党との内戦に敗れた国民党政府に伴って大陸から台湾へ渡った人々を、それ以前から居た住民(本省人)と区別してこのように呼ぶ。
※2 手話はしばしば万国共通のものと誤解されているが、音声言語と同じように地域によって様々な手話が存在する。なお、台湾手話は日本統治時代に設立された聾学校に起源を持つことから、日本手話と系統的な繋がりがある。
[参考文献]
臨時臺灣戸口調査部編(1908)『臨時臺灣戸口調査結果表』台北:臨時臺灣戸口調査部
黃宣範(2008)『語言、社會與族群意識―台灣語言社會學的研究』台北:文鶴出版
李喬(1999)<寬廣的語言大道―對台灣語文的思考>呂興昌編≪台語文學運動論文集(台語精選文庫2)≫前衛出版:161-167
蔣為文(2014 a)<台語不是閩南語也不是福佬語>蔣為文≪喙講台語・手寫台文 台語文的台灣文學講座≫亞細亞國際傳播社:48-55
文化部(2023)<國家語言發展報告>(https://file.moc.gov.tw/Download.ashx?u=LzAwMS9VcGxvYWQvNDcwL3JlbGZpbGUvMTA1NjgvOTU3NDQvMjY1NWEwMWQtYmY4Zi00ZmYxLWIzMTAtOWQ4YjQyYjZkMGU0LnBkZg%3d%3d&n=6Kqe55m85aCx5ZGKKOS%2bnTHmnIgxMOaXpeacg%2bitsOS%2fruatoykwMzA2LnBkZg%3d%3d 2024/10/24閲覧)
若林正丈(2008)「台湾ナショナリズムの現在」同編『台湾総合研究Ⅱ―民主化後の政治』アジア経済研究所67-92(https://www.ide.go.jp/library/Japanese/Publish/Reports/InterimReport/pdf/2008_04_34_04.pdf 2023/2/21閲覧)
吉田真悟《総説》「「台湾語」の名称をめぐってーナショナル・アイデンティティと多言語主義の葛藤ー」『アジア・マップ:アジア・日本研究Webマガジン』Vol.3,TW.1.01(2026年3月6日掲載)
リンク:https://www.ritsumei.ac.jp/research/aji/asia_map_vol03/taiwan/country/