アジア・マップ Vol.03 | トルクメニスタン

《総説》
トルクメニスタンという国

奥真裕(北九州工業高等専門学校 講師)

1. 基本情報
トルクメニスタン(Türkmenistan)(1)は中央アジアに位置している。東はカスピ海に面しており、北はカザフスタンとウズベキスタン、東南はアフガニスタン、南はイランと国境を接している。面積は48万8,000平方キロメートルで、日本の約1.3倍の広さを持つ。首都はアシガバット(Aşgabat)で、人口は660万人(国連人口基金 2024)である(2)

国家語はテュルク諸語のトルクメン語であり、ロシア語も広く使用されている。通貨はトルクメニスタン・マナト(manat)、補助単位はテンゲ(teňňe)であり、1マナトは100テンゲである。国土の大部分がカラクム砂漠に覆われており、気候は砂漠性気候。夏は非常に暑く、冬は寒さが厳しくなる。

国民の8割はトルクメン人であり、その他にロシア人やウズベク人などが続く。宗教はイスラーム教(主にスンニ派)が大半を占める。

2. 歴史
トルクメニスタンは古代からシルクロードの要所として栄え、多くの文明が交差してきた。現代にもアケメネス朝ペルシア、パルティアなどの歴史的遺産が多く残されている。

9世紀からはサーマーン朝、セルジューク朝、ホラズムシャー朝などの領地となった。13世紀にはモンゴル帝国が侵攻し、イル・ハン国やティムール朝の統治下となった。16世紀以降はヒヴァ・ハン国、ブハラ・ハン国、サファヴィー朝などに侵略された。

19世紀、南下したロシア帝国がトルクメン諸部族と対峙する。1880年末のギョクデペ(Gökdepe)の戦いは、ロシアの中央アジア征服において最大の抵抗戦であったと言われている。

1917年のロシア革命後、トルクメニスタンはソビエト連邦の一部として統治され、1924年にはトルクメン・ソビエト社会主義共和国が成立した。これによってトルクメン人は初めて一つの民族として国家を手にすることとなった。

1991年のソ連崩壊に伴い、トルクメニスタンは独立を宣言し、同年10月27日に正式に独立国家となった。

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アシガバット郊外に位置するパルティアの都市遺跡ニサ(Nusaý galasy)

3. 政治
トルクメニスタンは大統領の強いイニシアチブによって統治されている国家である。独立後の初代大統領サパルムラト・ニヤゾフ(Saparmyrat Nyýazow)は「トルクメンバシ(Türkmenbaşy「トルクメン人の頭」)」と呼ばれ、崇拝された。その後、2006年に初代大統領が死去すると、当時副首相を務めたグルバングリ・ベルディムハメドフ(Gurbanguly Berdimuhammedow)が大統領代行となり、その後大統領に就任した。グルバングルィ・ベルディムハメドフ前大統領は外交の積極化を進めた。「アルカダグ(Arkadag「後見人、庇護者」の意)」と呼ばれ、大統領を退いた後も国家指導者(Milli Lideri)兼国民評議会(3)議長(Halk Maslahatynyň Başlygy)として影響力を及ぼしている。2022年には息子のセルダール・ベルディムハメドフ(Serdar Berdimuhammedow)が大統領に就任した(serdarは「指導者、将軍」の意)。

外交面では独立以降、「積極的中立」政策と呼ぶ全方位外交を行っている。1995年12月の国連総会では、同国の「永世中立国」としての地位が認められた。アシガバットに国連中央アジア予防外交センターの本部を置くことを認めており、アフガニスタン等周辺諸国との均衡を保つために協力している。

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独立の象徴である独立記念塔(garaşsyzlyk binasy)は通称5本足(bäş aýak)として親しまれている。

4. 経済
GDPは911.85億ドル、一人当たりGDPは13,656ドルである(IMF 2025)。一人当たりGDPの値は中央アジアではカザフスタンに次いで第2位である。

トルクメニスタンの経済は天然資源、特に豊富な天然ガスに支えられている。埋蔵量世界第4位の豊富な天然ガスを有し、中国、ロシア、イランへの輸出が経済の柱となっている。特に中国向けのガス供給は国家収入の大部分を占めている。マリ州に位置するトルクメニスタン最大のガス田であるガルクヌシュ・ガス田は(Galkynyş 「復興」の意)2011年の調査の結果、世界2位の埋蔵量を誇ることが判明した。

農業分野では、綿花の生産が主要な産業の一つとなっており、大規模な灌漑による栽培を行っている。

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ガスが燃え続ける地獄の門

5. 文化
トルクメニスタンは民族の文化を保護し、継承する政策を行っている。特に、アハルテケと呼ばれる原産の馬とトルクメン絨毯は重要視されており、省庁に準ずる地位の専門の国家機関(4)を有するほどである。

アハルテケ馬は持久力に優れた馬として知られ、アシガバット―モスクワ間を走破したという記録が残っており、トルクメニスタンでは汗血馬の子孫であると言われている。

トルクメン絨毯は伝統的には赤で染色された羊毛で織られ、ギョル(göl)と呼ばれる部族ごとの異なる紋章を有している。敷物としてだけでなく、ガラ・オイ(gara öý 遊牧民の移動式住居)の防寒や家畜の鞍や装飾に至るまで、遊牧民の生活を支えてきた。アシガバット市内にある絨毯博物館に展示されている独立10周年記念に作られた絨毯は、世界一大きな絨毯としてギネスブックにも登録されている。

食文化としては、パンを主食とし、羊肉がよく食べられる。伝統料理はバリエーションの違いはあるが、中央アジアと共通しているものも多く、パロウ(palow)と呼ばれる炊き込みご飯、シャシリク(5)と呼ばれる串焼き、マントゥ(manty)と呼ばれる蒸し餃子などが好まれる。トルクメニスタン独自のものとしては、ドグラマ(doglama)と呼ばれるパンや肉、玉ねぎをみじん切りにしてスープに入れて食べる料理やチャール(çal)と呼ばれるラクダの発酵乳などが見られる。

トルクメニスタンはメロンの産地でもあり、多くの品種を有しているが、中でもワハルマーン(Waharman)というラグビーボール型の品種が多くの国民に好まれている。ニヤゾフ初代大統領が8月の第2日曜日をメロンにちなんだ祭日と制定し、現在でもメロンの収穫を祝うイベントが行われている。

トルクメン民族衣装は華やかで、(特に女性や老人は)お祝いの日のみならず、日常的に民族衣装をまとっている人も多い。トルクメン人の代表的な民族衣装の一つにコイネック(köýnek)(6)と呼ばれる衣服があるが、男性の場合は白いシャツを指し、伝統的なものには襟に刺繍が入っている。女性の場合はワンピースの形状の衣服を指し、祝祭日に着用するものには襟元にヤカー(ýaka「襟」の意)と呼ばれる鮮やかな刺繍が施されている。

写真4

黄金の馬とも称されるアハルテケ

写真5

美しい絨毯や絨毯によって作られた民芸品

写真6

バザール(市場)で販売されるメロンやカボチャ

6. 日本との関係
日本はトルクメニスタンを1991年12月28日に国家として承認し、1992年4月22日に外交関係を樹立した。日本大使館は2005年1月に開設され、トルクメニスタン大使館は2013年5月に開設された。

日本は、2004年以降、中央アジア地域の地域間協力を促進するため、「中央アジア+日本」対話を行っている。外相会合、高級実務者会合(SOM)、専門家会合、ビジネス対話、東京対話(有識者による公開シンポジウム)を通じて、政治、経済、文化交流など様々なテーマにおいて話し合いを行っている。

トルクメニスタンにとって喫緊の課題である、天然ガスの加工分野においても日本とトルクメニスタンは協力を進めている。これまでに日本企業は大型案件として、アンモニア・尿素肥料製造プラント、硫酸生産プラント、尿素肥料プラント、エチレン・高密度ポリエチレン・ポリプロピレンの製造を行う化学コンプレックス、ガス・ツー・ガソリン(GTG)プラントの建設、発電所向けガスタービンの納入、GTGプラントの包括メンテナンス契約を担ってきた。

2007年にグルバングリ・ベルディムハメドフ前大統領の命により、アザディ名称世界言語大学東洋言語・文学部に国内初の日本語専攻が開設されたことがトルクメニスタンにおける日本語教育の始まりである。2015年10月の安倍総理の中央アジア諸国への歴訪を契機とし、翌2016年度から高等教育機関と中等教育機関でも日本語教育が開始され、同時に日本と理系科目に重点を置いた初等・中等一貫校「アシガバット140 番学校」が新設された。同校はトルクメニスタンで唯一の初等教育から日本語教育を行う教育機関である。また、その際に日本語教育が始まったオグズハン名称工科大学は日本型カリキュラムによる工科大学設立構想の下、2016年9月筑波大学との協力の下に新設された大学であり、予備教育では全員が日本語を学習している。

注釈
(1) 近隣の中央アジア諸国と混同され、「トルクメニスタン共和国」とされることが多いが、正しくは「トルクメニスタン」。トルクメン語ではテュルクメニッサンのように発音されるが、日本語の慣例に従い、本稿では「トルクメニスタン」と表記する。
(2)トルクメニスタン国家統計委員会は2022年の国勢調査の結果として人口を7,057,841人と発表している(Türkmenistanyň Statistika baradaky döwlet komiteti 2022)。
(3) 国民評議会は国民の利益を代表する高等代表機関であり、その権限は憲法によって定められている(憲法第1章6条)。トルクメニスタン大統領、国会議会、閣僚会議、最高裁判所とともに立法発議権を有する(憲法第3章83条)。2023年の憲法改正に伴い、大統領の不測の事態における代行は人民評議会議長である旨が明記されている(憲法第2章76条)。
(4)アハルテケを管轄するのは国営公団「アハルテケ・アトラル」(“Ahalteke atlary” döwlet birleşigi)、絨毯を管轄するのは国営公団「トルクメン・ハルィ」(“Türkmenhaly” döwlet birleşigi)である。
(5) シャシリクはテュルク語起源のロシア語と言われている。「シャシ」は串の意味で、shisシシカバブ(シシケバブ)の「シシ」とも同起源であると考えられる。トルクメニスタンでは肉だけでなく、チョウザメのシャシリクも食されている。
(6) コイネックという語はテュルク諸語(トルコ語でgömlek、ウズベク語でko'ylakなど)で広く衣服を表すために使用される。語源には諸説あるが、gön「靴などを作るための皮」からできた服だったという説やgöwün「心」の衣服だという説がある。

<参考文献>
宇山智彦 (2010) 「第42章トルクメニスタン」宇山智彦(編著)『中央アジアを知るための60章 第2版』216-220. 明石書店.
外務省 (2025a) 「「中央アジア+日本」対話」https://www.mofa.go.jp/mofaj/area/europe/caj/ [2025年3月アクセス]
外務省 (2025b))「トルクメニスタン」https://www.mofa.go.jp/mofaj/area/turkmenistan/ [2025年3月アクセス]
国際交流基金 (2024) 「国際交流基金 日本語教育 国・地域別情報 トルクメニスタン(2023年度)」https://www.jpf.go.jp/j/project/japanese/survey/area/country/2023/turkmenistan.pdf [2025年3月アクセス]
国連人口基金 (2024) 『国連人口白書』
https://tokyo.unfpa.org/sites/default/files/pub-pdf/2024-12/2024_FINAL.pdf [2025年3月アクセス]
小松久男 (2005) 「トルクメニスタン」小松久男ほか(編)『中央ユーラシアを知る事典』392-394. 平凡社.
菱川 奈津子 (2024)「緩やかに市場経済化するトルクメニスタンで、ビジネスチャンスを探る ジェトロ中小企業ミッション報告」https://www.jetro.go.jp/biz/areareports/2024/1c88239fa4884e1e.html[2025年3月アクセス]
IMF (2025) World Economic Outlook Database, October 2024
https://www.imf.org/en/Publications/SPROLLS/world-economic-outlook-databases#sort=%40imfdate%20descending [2025年3月アクセス]
Türkmenistanyň Statistika baradaky döwlet komiteti (2022) 2022-nji ýylda geçirilen Türkmenistanyň ilatynyň we ýaşaýyş jaý gorunyň uçdantutma ýazuwynyň netijeleri (17-nji dekabry ýagdaýyna) https://www.stat.gov.tm/population-census [2025年3月アクセス]

 書誌情報
奥真裕 《総説》「トルクメニスタンという国」『アジア・マップ:アジア・日本研究Webマガジン』Vol.3, TM.1.01(2025年00月00日掲載)
リンク: https://www.ritsumei.ac.jp/research/aji/asia_map_vol03/turkmenistan/country01