アジア・マップ Vol.03 | ベトナム
《総説》
ベトナムの少数民族語政策の歴史と言語使用の現在
近代国民国家にとって言語政策は重要である。国民統合のための様々な制度(警察・司法・軍隊・教育・徴税など)を機能させるには、国家語を制定して国民に普及させ、これらの制度を担わせなければならないからだ。また、国民意識を育むシンボリックな側面も国家語には要請される。往々にして多数派の言語が国家語となるが、多民族国家においては少数派にも国家語を習得させ、同一の国民意識をもたせて統合する必要がある。したがって、少数派が不満をもたないような、少数民族語に対する言語政策も国民統合の成功には不可欠となる。
本稿では、ベトナムを例にこの問題をみてみたい。ベトナムには国家公認の54民族(人口の約86%を占めるキン(ベト)と53の少数民族)がいる。平野部に多数派のキンが住み、東北と西北の山間部、また中部高原と南部のメコンデルタの一部などに少数民族が住んでいる。ベトナム国家は国民統合の要としてのベトナム語の普及とともに少数民族語政策も重視してきた。特に1960年代には北部で少数民族語の正書法制定と教育に熱心に取り組んだ。これは社会主義建設の模範であるソ連や中国の少数民族語政策にならったもので、「強制的国家語をもたない」社会主義国家として少数民族語を発展させることは、「諸民族の平等」というベトナム共産党が掲げるスローガンを証明することでもあったからだ。しかし、1980年代後半から始まったドイモイ(刷新政策)と、21世紀以降のグローバル化の進展とともに、少数民族語教育の意味は変質した。それと同時に、少数民族側の民族語意識も変化し、使用の実態も民族ごとに多様化してきている。本稿では、中越国境地域を中心とする東北山間部に住むタイー、都市部や南部メコンデルタに多い華人をとりあげ、民族語の位置づけがどう変化したのか、ベトナム語の普及とともに明らかにする。
まず言語政策の変遷を憲法で確認する。最初の憲法(1946年憲法)・1959年・1980年・1992年・現行の2013年憲法から、言語に関する部分を抜粋する。
ベトナム憲法における言語の位置づけと政策
1946年憲法 |
---|
第15条 地方の小学校では義務で学費無しの小学校教育を行うが、少数国民は自身の言葉で学習する権利をもつ。 |
第66条 少数国民は裁判所で自身の言葉を使用する権利をもつ。 |
1959年憲法 |
第3条 (略)各民族は風俗習慣を維持・改良し、自身の民族の言葉や文字を使用し、文化を発展させる権利をもつ。 |
第102条 人民裁判所は少数民族に属するベトナム民主共和国公民に、裁判所において自身の言葉と文字を使うことを保障する。 |
1980年憲法 |
第5条 (略)自身の言葉と文字を使い、自身の美しい風俗・習慣・伝統・文化を維持・発展させる権利をもつ。(略) |
第134条 人民裁判所は、裁判所で自身の民族の言葉と文字を使用する権利を、各民族に属するベトナム社会主義共和国公民に保障する。 |
1992年憲法 |
第5条 (略)自身の言葉と文字を使い、民族の特質を維持し、自身の美しい風俗・習慣・伝統・文化を発展させる権利をもつ。(略) |
第133条 人民裁判所は、裁判所で自身の民族の言葉と文字を使用する権利を、各民族に属するベトナム社会主義共和国公民に保障する。 |
2013年憲法 |
第5条 3.(略)各民族は話し言葉、文字を使う権利をもち、民族の特質を維持し、自身の美しい風俗、習慣、伝統、文化を発揮する。 |
第5条 3. 国家の言語はベトナム語である。 |
ここからわかるのは、ベトナム民主共和国設立翌年の1946年憲法では、理想に近い形で少数民族言語の教育や裁判での使用を想定していたが、時代を経るにつれ少数民族語の地位は低下し、「強制的国家語」はもたないとしてきたベトナムが、2013年の現行憲法からベトナム語を国家語として初めて明記したことである。さらに裁判で各民族が少数民族語を使えるとしてきた規定が消えた。「強制的国家語」をもたないという社会主義の理念を捨て、ベトナム語を国家語として明記し国民の均一化を進めようとしていることがわかる。
①タイーに対する言語政策と言語使用の現在
キンが多数派を占めるベトナムには、国家権力と近い民族と遠い民族がいるが、まず近い関係にある東北山間部のタイーを取り上げる。例えば前共産党書記長(国のトップ)がタイーだったことからもわかるように、タイーは、政府や党の要職にある人物や高級軍人、多数の教員を輩出しており、教員は他の少数民族地域にも多く赴任している。歴史的にみると、ベトナムの各王朝は大国中国のために辺境の守りに関心を寄せざるを得ず、各王朝はタイーの祖先と婚姻関係を結んだり、辺境防備のために官吏を派遣するなどの関係をもってきた。現在の関係の近さはこの伝統をひきついでいるともいえる。
ベトナムは1950年代に越北自治区(民族自治区)を東北地方に設置したが、ここでの公用語の制定が急務であった。そのため、方言調査などを通じた標準語選定より先に正書法の認定をとりいそぎおこなったが、地城ごとに異なる音韻体系の寄せ集めとなって使い手が混乱し、タイー側の支持を得られない一因となってしまった。ローマ字による正書法認定の翌1962年からは、その正書法を用いた教育が自治区の初等教育においておこなわれ効果が宣伝されたものの、実際にはタイー自身に受け入れられない結果に終わった。親がベトナム語教育を優先するよう要望していたことも一因であった。
タイーはベトナム最多の少数民族であり、現在の人民軍のもとになった最初のベトミン軍の主なメンバーはタイーであったし、キンと共に独立戦争の主力を担ったという自負がある。少数民族の中では際立って知識人の割合も多く、「ベトナム国民」意識をキンに近いかたちでもっている人々でもある。しかし言語に関しては、ベトナム語の波、特に学校教育と共に押し寄せたその波にからめとられて行き、ベトナム国家の下で生きるための効率を優先して、自身の言語を教育の場で学ぶことに積極的でない人が多い。
その後ドイモイが進展し、21世紀に入るとグローバル化の影響が東北山間部にも及び、山奥でも若者の間ではSNSが広く普及するようになった。2010年代に入る頃から、タイーの若者は農村に居住していても次第にタイー語ができなくなった。タイーは歴史的に早期からベトナム語を習得しているため、祖父母の世代でもベトナム語ができない人はほとんどいない。つまり、タイー語ができずとも世代間で話が通じないという状況はない。そのため、お年寄りは「若者が民族語ができなくなって残念」というが、民族語を維持しようという動きもない。民族語を守ってタイーとしての独自性を維持したいという希望をもつより、キンと同じ土俵で勝負ができること、キンと同様、あるいはそれに近い経済力を持っていることを誇りにする人が多い。
②華人に対する言語政策と言語使用の現在
華人は53の少数民族の一つであるが、ベトナムでは1978年から中国との関係が悪化し、1979年の中越戦争後は故地・中国とのつながりを疑われ、様々に圧迫をうけてきた。例えば平野部の都市に存在していた華語学校は中越関係の悪化で強制的に閉鎖させられた。ドイモイ以降、南部や中部では華語学校が復活する一方、北部では華人が多数追い出されていたため華語学校を担う人材がおらず、加えて中国への警戒心が非常に強いため、ハノイなどでの復活は想像できない。また中部や南部の都市の場合、華語学校が復活したと言っても、華人対象の学校というより、誰でも通える中国語教室が多くなっている。その背景には、華人の子供たちも通常の普通学校に通い勉強が忙しく、あるいは2言語教育は負担になるなどの理由から、学習をやめる者が増えたことがある。逆にキンを含む大人が商売のために中国語ができた方が良いと考え、通うケースが増えている。
一方、メコンデルタの華人が集中して住んでいる地域では、民間の手で華語教育が行われている。例えば2023年9月現在、ソクチャン省ソクチャン市には300人ほどの生徒がいる端華学校という私立の中華学校があり、小学校と中学校レベルの教育がおこなわれている。華語の教科書はベトナム教育省の認可を受けハノイで出版されたものを使用している。夜間学校では子供に加えて大人も華語を学んでいた。同省ヴィンチョウ県には、培青民立中学という立派な校舎をもつ私立学校がある。現在の校舎は1970年代末に国を離れた華人がベトナムの故郷に送金した資金をもとに建設したもので、ベトナム語と華語のバイリンガル教育を実施している。ただヴィンチョウ県は、潮州人とクメール人の混血が多く、またベト人との混血も珍しくないため、複数の言語ができる人も多い。しかし、他地域に比べると民族語を維持しているように見受けられるメコンデルタでも、華語が話せない若者が徐々に増えてきているという。
ただカンボジア国境に近い地域に住むムスリムのチャムの間では、若い世代もチャム語を維持していると言う。これはイスラームの宗教儀礼のために民族語が必須であることが背景にあるようだが、詳細は稿を改めたい。
筆者が初めてベトナムの少数民族地域に足を踏み入れた30年近く前、ベトナム語を話せず民族語だけの世界で生きている人たちはまだまだ多かったが、いまや高地山間部でもベトナム語が全くできない人は激減した。その意味では、国家語を普及させるという言語政策の目標を国家は達成したといえる。一方で、ベトナム語しかできない(ここでは英語使用についてはふれない)若年層が激増している。地域・民族・居住環境によって民族語の衰退には濃淡があるが、経済のグローバル化やSNSの拡大だけでなく、民族をまたいだ婚姻が進んでいることも、民族語の衰退とベトナム語世界の拡大につながっている。中国政府が少数民族語教育を禁止するなど公権力で民族語を圧迫しているのに比べ、ベトナム政府は民族語教育には介入していないにもかかわらず、少数民族自身がグローバル経済に呑みこまれてベトナム語を重視するケースがみられ、多様性を失いつつある現状は寂しい限りである。
[参考文献]
伊藤正子(2022)『エスニシティ〈創生〉と国民国家ベトナム: 中越国境地域タイー族・ヌン族の近代』増補改訂版、三元社
科学研究費基盤研究B「ベトナム・中国二国間関係の下で揺れ動くベトナム華人に関する歴史的研究」16H03310 2016-04~2020-03、科学研究費基盤研究B「ベトナムの少数民族言語政策の歴史と言語使用の実態」22H03822 2022-04~2025-03による現地調査による。
書誌情報
伊藤正子《総説》「ベトナムの少数民族語政策の歴史と言語使用の現在」アジア・マップ:アジア・日本研究Webマガジン』Vol.3, VN.1.03 (2025年00月00日掲載)
リンク: https://www.ritsumei.ac.jp/research/aji/asia_map_vol03/vietnam/country01/