アジア・マップ Vol.04 | 東ティモール
《総説》
東ティモールのコーヒー栽培
エチオピアやスーダンを原産とする熱帯植物コーヒーノキの果実の種子を焙煎し、粉砕・抽出して飲むコーヒーの文化は、アラブ世界を経由して世界中に広まった。現在ではコーヒーベルトと呼ばれる北緯25度と南緯30度の間の熱帯・亜熱帯各地で栽培されている。
コーヒー豆—実際はコーヒー・チェリーと呼ばれる果実内の種子だが—の栽培といえば中南米の印象が強いかもしれない。しかし東南アジアの赤道直下地域も一大産地である。ブラジルに次ぐ世界第2位のヴェトナム(年間約195万トン)、第3位のインドネシア(約79万トン)をはじめ、コーヒー豆は、日本や欧米へ輸出する主要な換金作物として確固たる地位を築いている(2022年、Global Note)。
本稿で紹介するのは、同じ東南アジアの小さな島国、ティモール・レステ(東ティモール)民主共和国のコーヒー・チェリー栽培の現場である。東ティモール産のコーヒーと聞いてもまだ馴染みが薄いかもしれないが、2002年の正式独立以降、生産・輸出ともに拡大し、日本へも年間200トン近くが輸入されている(財務省貿易統計、2023年)。その多くは良質なアラビカ種の有機スペシャルティ・コーヒーとして自家焙煎店などで愛好されているほか、大手カフェチェーンや外食産業でも取り扱われるようになった。
石油・天然ガスに依存する東ティモール経済において、コーヒーは非石油部門における最大・ほぼ唯一の輸出農産物である。同時に、険しい山岳部に暮らす人々にとってもほとんど唯一の換金作物である。エルメラ県やアイナロ県といった内陸高地では80%以上の世帯がコーヒー・チェリー栽培に従事しており、独立後は政府のみならず国際NGOも生産者の生計向上と品質改善に力を注いできた。
首都ディリから内陸へ車を走らせて約4時間、未舗装の悪路を越えた先に、エルメラ県レテフォホ村がある。直線距離にしてわずか30キロほどだが、道中の険しさが標高の急激な変化を物語る。標高1,200メートルの尾根沿いに細長く広がる町並みからは、谷を挟んでティモール島最高峰のラメラウ山(2,963メートル)がそびえ立ち、谷側の傾斜地を見下ろせばコーヒーノキの森が広がっている。村のほぼすべての生活が、何らかの形でコーヒーと結びついている。
ラメラウ山を中心とする標高600〜2,000メートルの山岳地帯(エルメラ県、アイレウ県、アイナロ県、マヌファヒ県など)は、東部最大の言語グループであるマンバイの人々が暮らす土地だ。かつてマンバイの人々は急傾斜地で焼畑をおこない、トウモロコシや根菜、豆類を混作して暮らしていた。
ポルトガル領ティモール時代末期の1960年代後半に調査をおこなった人類学者エリザベス・トラウベの民族誌によれば、ポルトガル領末期のアイレウ県マンバイ社会でも商品作物としてコーヒー・チェリーが栽培されていた。しかしその収入は、納税や子どもの学費、最小限の衣類や儀礼の費用で消え、日々の糧はトウモロコシなどの自給農業に依存していたという[Traube 1986:26]。
現在でこそ、コーヒー・チェリーの栽培地といえばエルメラ県やアイナロ県など山岳地帯というイメージが定着しているが、その景観が生まれたのは1960年代以降、本格化したのはインドネシア統治期(1980年代〜)である。レテフォホ村の長老に1960年代の記憶を尋ねると、「当時は山肌一面が焼畑で、いまのようなコーヒーノキの森はなかった」と語る。アイナロ県マウベシ村でも、ポルトガル政庁による公共事業の労役義務に追われ、コーヒー・チェリー栽培どころではなかったという証言が残る。
ポルトガルによるコーヒー・チェリー栽培の導入は19世紀初頭とされるが、先住民が関与し始めたのは19世紀半ば、オランダ領東インドの強制栽培制度を模倣したポルトガル政庁が、朝貢関係にあるリウライ(伝統的首長)を通じて住民に植樹を求めて以降のことである。しかし当時の栽培地は沿岸の属領に限られており、内陸高地へ広がるには歴史の大きな転換点を待たねばならなかった。
第二次世界大戦後、放棄されていたプランテーションの再整備が進むなかで、内陸高地がアラビカ種の好適地であることが明らかになっていく。そしてこの地で、グローバルなコーヒー・チェリー栽培の歴史に大きな影響をもたらす大発見があった。アラビカ種とロブスタ種が自然交配して生まれた奇跡の品種「ティモール・ハイブリッド」の発見である。
アラビカ種の持つフルーティーな酸味と甘味、そして豊かなアロマ、ロブスタ種の苦味とパンチ、そして強い病害耐性(特に当時世界中で恐れられていたコーヒーさび病への耐性)を併せ持つこの交配種は、現代の世界的な耐病性品種(カティモールやサチモールなど)の遺伝的母体となった。今日、気候変動や病害が世界のコーヒー生産を脅かすなか、東ティモールが育んだ遺伝資源の価値は国際的にも再評価されている。 さらに現地には、世界各地で姿を消しつつある原種に近いティピカ種やブルボン種の古木も奇跡的に残されていた。レテフォホでフェアトレード事業を展開するピースウインズ・ジャパンの調査でも、高地の森深くにティピカ種が息づいていることが確認されている。
これら多様な品種が育つ現場は、均一に整地された大規模農園とは全く異なる。アルビジアやモクマオウといった高木が木陰を作るシェードグロウン(日陰栽培)によるアグロフォレストリーを形成する。認証を受けた小規模農家の農地には、1ヘクタールあたり数十本のシェードツリーと数百本の間作植物が共生しており、生物多様性と土壌の保全に大きく寄与していることが指摘されている[Gomes et al. 2024]。東ティモールのコーヒー・チェリー栽培の、農薬を使わないシンプルな栽培様式そのものが現代のサステナビリティの最前線と重なり合っている。
寒暖差の大きい内陸高地で、手摘みされた完熟チェリーは、丁寧な水洗式(ウォッシュド)で精製され、澄んだ空気と強い陽光のもとで乾燥される。コクと苦味を特徴とする重厚感のあるインドネシア産のアチェ・ガヨや、近年のトレンドであるハニー、ナチュラル製法による発酵感のあるコーヒーとは異なり、東ティモールのスペシャルティ・コーヒーは、甘み、酸味、苦味のバランスが取れたすっきりとした味わいが特徴と評価を受けている。
こうした東ティモールのスペシャルティのテロワールを最も贅沢に味わえる場所が、いま急速に変わりつつある首都ディリのカフェ文化だ。日本のNGOであるパルシックやピースウインズはそれぞれ直営カフェを運営し、レテフォホやマウベシといった産地ごとのシングル・オリジンを多彩な抽出法で提供するほか、地元の熱帯果実を用いたスイーツを展開して好評を博している。
東ティモールでは近年、良質なエスプレッソ・コーヒーを飲めるスタンドが増えている。ポルトガルでcaféといえばそれはエスプレッソのことだ。ポルトガル航空の機内誌で、東京では本物のcaféを提供するカフェにめったに出会えない、とポルトガル人ライターが嘆いているのを読んだことがあるが、それはエスプレッソのことだった。今の東ティモールでは、立派なエスプレッソマシーンをディリ市内のホテルやカフェ、空港でも見かけるようになった。東京のエスプレッソを嘆いたポルトガル人も、東ティモールのcaféには満足してくれるだろう。
一方で、東ティモールの各家庭で普段飲むコーヒーも変わらず美味しい。とりわけコーヒー・チェリー栽培農家の家で、焚き木の火と料理用鍋で真っ黒になるまで深煎りし、木臼ですり潰したコーヒー豆をネルドリップで淹れてくれたコーヒーは格別だ。
焼畑農耕からアグロフォレストリーの森へ、植民地期のプランテーション栽培から小規模農家の自立を支えるフェアトレードへ、そして世界の病害を救ったハイブリッド種の故郷から、新たに育まれつつあるカフェの文化。東ティモールのコーヒーの小さな一杯には、この国の激動の歴史と豊かな生態系、そして未来への可能性が凝縮されている。
Traube, Elizabeth G. 1986, Cosmology and Social Life: Ritual Exchange among the Mambai of East Timor, University of Chicago Press, Chicago.
Gomes, Lucio Marcal, and Gomes, Julio de Jesus, 2024. Analyzing The Sustainability Of High Quality Arabica Coffee Farming Busnesses In The Municipalities Ainaro, Emerera And Liquica District Of Timor Leste. Jurnal Syntax Fusion 4(03):107-119
書誌情報
福武慎太郎《総説》「東ティモールのコーヒー栽培」『アジア・マップ:アジア・日本研究Webマガジン』Vol.4, TL.1.01(2026年10月14日掲載)
リンク: https://www.ritsumei.ac.jp/research/aji/asia_map_vol04/easttimor/country01/