アジア・マップ Vol.04 | インドネシア

《エッセイ》インドネシアと私
三次元計測で読み解くボロブドゥール寺院
―世界遺産のデジタルツイン構築

田中覚(立命館大学情報理工学部 特命教授、立命館大学アジア・日本研究所 副所長)

インドネシア・ジャワ島の中央部、火山に囲まれた赤道直下の密林の中に、巨大な石造寺院ボロブドゥール(Borobudur)が静かに佇んでいる(図1)。初めてこの寺院を目にしたとき、日本の仏教建築とは全く異なる、火山岩で作られた黒々とした巨大な石造建築に圧倒された。一方で、その姿を見ながら、8世紀に日本で造られた奈良の大仏のように、人々が巨大な存在に救いや拠り所を求めたという点では、共通するものがあるのかもしれないとも感じた。

9世紀頃に建設されたこの仏教寺院は、世界最大級の仏教遺跡として知られ、現在はユネスコ世界遺産にも登録されている。基壇は一辺約120メートルの正方形で、高さは約35メートルに達する。この建造物は内部構造を持たない、言わば巨大な仏塔(ストゥーパ)であり、全体は9層からなる階段状構造で、各階の回廊には壁面レリーフが彫られている(図2)。何層にも重なる石の回廊には約2,600枚の壁面レリーフが刻まれ、人々はその回廊を巡礼の道として歩きながら仏教の教えを学んだ。各階の壁面レリーフにはそれぞれ仏教説話が描かれ、下の階層から上の階層へ進むにつれて悟りの境地に至る学びを順に得られるよう工夫されている。

私は情報科学の研究者として、このボロブドゥール寺院を三次元計測によって記録し、その立体構造をデジタル空間に再現する研究を続けている。レーザ計測やフォトグラメトリ(写真測量)によって取得された膨大な三次元点群データを用い、寺院の形状やレリーフの細部を解析することで、文化遺産の保存や理解に役立てることが目的である(解析の例を図3に示す)。私たちの研究では、寺院の外観だけでなく、その内部や地下構造まで含めて再現するデジタルツインの構築を目指している(図4)。寺院の外部はレーザ計測や写真測量によって精密に記録される。一方、地下構造についてはユネスコによるボーリング調査などの成果を参照し、目に見えない基盤部分の構造を復元している。また、現在は石壁で覆われて見えなくなっている「隠された基壇」の壁面レリーフについては、過去に撮影された古写真をもとにAI技術を用いて三次元形状を復元する研究も進めている。こうして構築されたデジタルツインを利用すると、寺院の内部構造を半透明可視化によって観察したり、VR空間の中で巨大な寺院全体を体験したりすることができる。これは、千年以上前に建てられた石の建造物を、最先端の情報技術によって新しい形で理解しようとする試みである。

三次元計測による記録は、単なる文化財保存の技術ではない。石に刻まれた情報を、デジタルという別の形で再び読み直す作業でもある。実際、巨大な寺院の全体構造や細部をコンピュータ上で俯瞰すると、現地では気づきにくい構造的特徴が見えてくることもある。例えば、ある壁面レリーフに描かれた仏像が微妙に左右非対称なのは、月光に映えることを意図したデザインではないかという仮説も、インドネシアの研究者から提案されている。デジタルツインは、文化遺産を新しい視点から理解するための研究手法でもある。

しかし、この研究は決して順調に進んだわけではない。現地での調査には想像以上に多くの困難があった。まず大きな壁となるのは赤道直下の熱帯気候である。強い日差しの下では機材の温度がすぐに上昇し、カメラが故障することも珍しくない。乾季には激しい土ぼこりが舞い上がり、精密機器の扱いには細心の注意が必要となる。さらに雨季になると午後にはほぼ毎日のようにスコールが降り、屋外での計測作業はしばしば中断を余儀なくされる。実際、暑さのためにカメラが何度も故障し、作業計画を大きく変更せざるを得ないこともあった。また、現地スタッフとの協力も欠かせないが、文化や生活習慣の違いが思わぬ影響を及ぼすこともある。例えばイスラーム教の断食月ラマダンの期間中には、多くの協力者が日中の作業に参加できなくなる。研究計画はこうした宗教的行事も考慮しながら柔軟に調整する必要があった。

さらに大きな壁となったのが、世界遺産である寺院を計測するための許可手続きである。インドネシアではオランダ統治時代から続く厳格な行政手続きの影響が残っている一方で、仕事が人間関係を基盤として進む側面も強い。例えばボロブドゥール寺院を管理する遺跡保存局の局長が交替すると、それまで進めていた許可手続きが事実上白紙に戻ってしまうこともあった。こうした事情もあり、正式な計測許可を得るまでには数年を要した。このような状況は現地調査に参加した若手研究者にとっても大きなストレスとなった。長い準備の末にインドネシアへ渡航したにもかかわらず、許可の問題で計測がまったく進められないこともあったからである。あるときは日本から同行した若手スタッフが思わず不満を爆発させてしまう場面もあった。その場をなだめ、現地関係者との関係を保ちながら研究を続けていくことも研究代表者としての重要な役割であった。国際共同研究とは、技術だけでなく人間関係を調整する仕事でもあることを改めて実感した出来事である。

こうした困難を経て取得された三次元データは、ボロブドゥール寺院の立体構造を理解するための貴重な資料となっている。コンピュータ上に再現されたデジタルツインを用いれば、巨大な寺院全体の構造を俯瞰したり、半透明可視化によって内部構造を観察したりすることができる。さらにVR空間の中では、実際には見ることのできない視点から寺院を体験することも可能になる。千年以上前に建てられた石の建造物が、最先端の情報技術によって新しい形で理解されようとしている。

この研究は、立命館大学を中心に、インドネシア国立研究革新庁(BRIN)およびボロブドゥール博物館(Borobudur Museum)と連携して進められている国際共同プロジェクトである。また、古代遺跡の保存と計測に豊富な経験を持つ奈良文化財研究所からも技術的支援を受けている。ボロブドゥール寺院はインドネシアを代表する世界遺産であり、これまで多くの研究が行われてきたが、外国の研究機関が本格的に参加する形で寺院全体のデジタルアーカイブを構築する試みは、本研究が初めてである。

ボロブドゥール寺院の回廊には、仏教説話が刻まれた数多くの壁面レリーフが残されている。そこには宗教的物語だけでなく、当時の人々の生活や文化の様子も描かれている。例えばインドネシアの島々を往来していた大型帆船の姿が刻まれており、これは「ボロブドゥール船(Borobudur Ship)」として知られている(図2中央画像の右下部分、図3)。こうした船のレリーフは当時の海上交易や航海技術を知る手がかりとなる貴重な資料でもある。また、人々の服装や住居の様子なども細やかに表現されており、9世紀頃のインドネシアの社会や文化を具体的に読み取ることができる。これらのレリーフを三次元計測によって正確にデジタル保存することは、単に文化財の形を記録するだけではなく、そこに刻まれた歴史や文化を未来へ伝えるための重要な取り組みである。遠いジャワの地で続くこの研究が、世界の文化遺産を理解する有益な手がかりとなれば幸いである。

写真1

図1 ボロブドゥール寺院全景


写真2

図2 最上階層の小ストゥーパ群(左)と壁面レリーフの例(中央・右)


写真3

図3 ボロブドゥール船(Borobudur Ship)レリーフの立体形状分析


写真4

図4 ボロブドゥール寺院の透視可視化(隠された基壇と地下基礎構造を含む)

書誌情報
田中覚《エッセイ》「インドネシアと私 三次元計測で読み解くボロブドゥール寺院ー世界遺産のデジタルツイン構築」『アジア・マップ:アジア・日本研究Webマガジン』Vol.4, ID.2.01(2026年00月00日掲載
リンク: https://www.ritsumei.ac.jp/research/aji/asia_map_vol04/indonesia/essay01/