アジア・マップ Vol.04 | イラク
《総説》
日本におけるイラク研究の歩みと展望
■はじめに
イラクは中東政治の要衝であり、2003年のイラク戦争以降、絶えず国際社会の耳目を集め続けてきた。日本においても、この戦争を大きな契機として、イラク研究は劇的な転換を遂げた。かつては古代メソポタミア文明の揺籃として、あるいは遠い産油国として認識されるにとどまっていたイラクは、今や現代政治・社会構造・平和構築という多角的な視座から問われるべき重要な対象へと変貌を遂げている。本稿では、日本におけるイラク研究の展開を概観するとともに、国際的な研究動向との連関、そして現代イラク研究国際学会(IACS)にも触れ、日本・イラク間の学術交流が果たしてきた役割を跡づけていきたい。
■2003年以前の日本のイラク研究
日本におけるイラク研究の歴史は、1985年に設立された日本中東学会を中心とする、広範な中東研究の歩みと深く重なっている。戦前から戦後にかけて日本が誇った強みは、古代メソポタミア文明と考古学の領域にあった。東洋史(イスラーム史)や考古学の研究者たちは、過酷な現地環境をものともせず先駆的な発掘調査と研究を積み重ね、国際的な評価を確立してきた。
しかし、現代政治や社会を主題とする研究に目を転じれば、1980年代のイラン・イラク戦争、90年代の湾岸戦争という二つの大きな危機を経てもなお、専門家の数は極めて限られていた。バアス党による権威主義体制下のイラクは「危険なフィールド」として現地調査が困難を極め、研究者の多くはマクロな動向分析にとどまらざるを得なかった。それが、研究進展の大きな障壁となっていた。
こうした困難な状況のなかで、日本のイラク研究における先駆者として、文字通り「金字塔」とも言うべき足跡を刻んだのが酒井啓子教授である。1982年にアジア経済研究所に入所して以来、日本で初めての現代イラク政治研究者として一人で道を切り拓いた同氏の仕事は、とりわけバアス党体制下の権力構造と社会変容をめぐる初期から中期の業績において、当時の欧米の研究水準と比較しても際立って緻密かつ実証的であり、国際的な先駆的研究として高く評価されている。湾岸戦争やイラク戦争の折には、メディアを通じた精力的な発信によって現代イラク研究の重要性を社会に知らしめた。同氏が孤軍奮闘して築き上げた研究の礎があってこそ、次世代の研究者が後に続く道が開かれたのである。
■2003年のイラク戦争がもたらした転換
2003年のイラク戦争は、日本のイラク研究に決定的な転換をもたらした。自衛隊の派遣という内政・外交上の課題も相俟って、イラクは一躍、日本にとって看過できない喫緊の政策課題へと浮上した。この時期、筆者を含めた若手研究者がイラク研究に参入し、従来の概論的分析から、より実証的・個別的なテーマへと研究の幅が広がった。
大学や研究機関では、イスラーム世界・イスラーム地域研究にかかわるプロジェクトが相次いで立ち上がり、その中でイラクは重要な研究対象として位置づけられるようになった。イスラーム主義政党の思想、スンナ派・シーア派の宗派関係、クルド問題、部族社会の政治的役割など、イラク社会の多層的な構造が研究の俎上に載せられていった。筆者自身も、一次資料に基づいてイラク・イスラーム主義政党の活動と思想を再構成するという課題に取り組んできた。
■日本・イラク学術交流と現地との対話
この20年間の特筆すべき成果は、日本の研究者がイラクを単に「観察」する立場を越え、現地の研究者と「対話」を積み重ねる枠組みを構築したことにある。なかでも、酒井啓子教授を中心とする一連の学術交流プログラムは、その象徴的な営みであった。
バアス党体制下で国際社会から孤立し、2003年以降は内戦の混乱にも晒されたイラクから、2005年に一人の歴史家が来日した。日本の戦後復興への深い感銘を胸に始まったこの交流は、長い年月をかけて育まれ、2015年12月、イラク南部バスラでの「日本・イラク学術交流10周年共同シンポジウム」として実を結んだ。治安上の懸念からかつては隣国での開催を余儀なくされていたワークショップが、ついにイラク国内の大地に根を下ろしたのである。現地の研究者たちは、戦争で疲弊した社会をいかに再構築するかという根本的な問いへの答えを、第二次大戦後の日本の復興に見出そうとする強い熱意を持っていた。
その後も、この交流の火は着実に継がれた。千葉大学での開催(2016年)、ナジャフ・カルバラー・バグダードと会場が拡がった2017年の交流、バグダードでの「第11回日本イラク国際学術会議」(2019年)、そして最近では2025年に早稲田大学をはじめとする複数の日本の大学でも同様のシンポジウムが開かれている。
こうした直接的な対話は、欧米の研究が往々にして国外在住者(ディアスポラ)からの伝聞に依存しがちであるのに対し、現地の「ナマの声」と資料に直接アクセスできるという、日本の地域研究が誇る固有の強みを生み出している。
■国際的な学術ネットワークの広がり
国際的な学術コミュニティにおいても、2003年以降、現代イラク研究は急速な専門分化と拡大を遂げてきた。その象徴が、イラク専門の査読学術誌 International Journal of Contemporary Iraqi Studies の創刊である。イラク内外の研究者が成果を持ち寄り、互いに高め合う研鑽の場として、新たなプラットフォームが整ったことは大きな意義を持った。中東研究の国際的な主要学会(MESAやWOCMES)でもイラクを主題とするパネルが常設化され、研究コミュニティの裾野は着実に広がっている。
この世界的なネットワークの結節点となっているのが、現代イラク研究国際学会(IACS)である。筆者は2008年、ロンドン大学SOASで開催された第3回大会に参加し、イラク・イスラーム主義政党の歴史的展開について報告を行った。IACSは、外部の研究者による分析と、近年めざましく増加しているイラク人研究者自身による内側からの視点とが交差する、貴重な知的プラットフォームである。日本語で積み重ねられてきた研究の成果を日本語の圏内に留めず、こうした国際的な枠組みのなかで発信し、議論を交わしていくことは、我々日本のイラク研究者が担うべき重要な使命である。
なお、同誌は2020年(Volume 14)より Journal of Contemporary Iraq & the Arab World へと誌名を改め、イラク国内の動向のみならず、イラクと周辺のアラブ世界・地域全体との関わりをより広い文脈で包摂する研究媒体へと発展している。
■課題と展望
日本のイラク研究は固有の強みを持つ一方で、課題も明確である。
第一に、研究者層の薄さである。中東研究全体の中でイラクを主専攻とする研究者は依然として少なく、研究の継続性と蓄積には構造的な脆弱性が残っている。第二に、方法論の工夫の必要性である。長引く治安の不安定化と「イスラーム国」(IS)の台頭によって現地調査が制約を受けるなかで、サーベイ実験・計量テキスト分析・アーカイブ調査・ディアスポラへの聞き取りなど、多様な手法を組み合わせることで研究を継続してきた。これらの手法上の蓄積は、制約のなかから生まれた逆説的な財産でもある。
とはいえ、本稿執筆時点のイラクは比較的安定した政治状況を保っており、新たな研究の可能性を開きつつある。現地調査の本格的な再開、イラク国内研究機関との組織的な連携、そして何より若手研究者の育成が急務となっている。今後は、現地に長期滞在して政治・社会・文化を深く掘り下げるミクロな研究と、中東政治における権威主義と民主化、国家建設(state-building)論といった比較理論的枠組みへと接続するマクロな研究、その双方が強く求められるとともに、初めて現実のものとなるだろう。
日本のイラク研究は、長い沈黙と断絶、そして繰り返す紛争という苛酷な時代を経ながらも、現地との絆を粘り強く育み、確かな歩みを続けてきた。その蓄積を国際社会へと開き、次世代へと継承していくことこそが、いま日本のイラク研究者に課された歴史的な責務である。
書誌情報
山尾大《総説》「日本におけるイラク研究の歩みと展望」『アジア・マップ:アジア・日本研究Webマガジン』Vol.4, IQ.1.01(2026年10月30日掲載)
リンク: https://www.ritsumei.ac.jp/research/aji/asia_map_vol04/iraq/country/