アジア・マップ Vol.04 | ミャンマー

《総説》
ミャンマーの仏教:なぜ人々は瞑想するのか?

川本佳苗(慶應義塾大学経済学部 訪問研究員)
はじめに

私は2008年から2011年までヤンゴンの国際上座部布教大学(通称ITBMU)に留学した。同大学を卒業した三人目の日本人で、女性としては一人目である。当時ミャンマーは混乱続きで、前年に起きた仏教僧による軍事政権に対する抗議デモ「サフラン革命」に巻き込まれジャーナリストの長井健司氏が殺され、さらに翌春はサイクロンで全国規模の被害を受けた(実際にミャンマーに来た直後は高い木々が倒壊してしまったせいか大変見晴らしがよかった)。

そんな国際ニュースばかり聞こえてくるので、「本気でミャンマーに行くの?」「危なくないの?」と口々に心配された。だから私は「ミャンマーに行くことによって死んだり寿命が縮んだりしても構わない」と覚悟していた。

ところが、いざ降りたったヤンゴンでは、会う誰もが降りそそぐ太陽と同じくらいまぶしい笑顔で「トヨタの国」から来た女の子をお節介なほど助けてくれた。仏教への信仰は篤く、人々は寺院や僧侶に進んで寄進し、そして瞑想修行に励んでいた。

なぜミャンマー人はこれほど熱心に瞑想するのだろうか。国民の約九割が「上座部」という宗派の仏教徒という状況なら近隣のタイやカンボジアも同じなのに、このような瞑想ブームはミャンマーだけに突出した特徴にほかならない。在家者であっても老若男女問わず、新年(4月頃)などの長期休暇に、さらには職場の社員旅行でも積極的に瞑想しに行っている。かつ瞑想する環境が整っている。私も留学中、尼僧として瞑想修行に励む機会に恵まれた。

写真1 尼僧スナンダ時代の私、2009年ヤンゴンにて

写真1 尼僧スナンダ時代の私、2009年ヤンゴンにて

1 なぜ仏教には瞑想が必要なのか

仏教になぜ瞑想が必要かというと、開祖ブッダの歩んだプロセスそのものだと考えられているためである。ブッダの本名はシッダータといい、サキャ族の王子だった(そのため日本では「お釈迦様」と呼ばれることが多い)。シッダータが悟りを得て「ブッダ」という聖者になるために修行した方法こそ、瞑想である。ブッダは、悟りを得るには「八正道」という修行を完成しなければならないと説いた。八正道は文字通り八種類あるが、「戒」(道徳)・「定」(瞑想)・「慧」(知恵)の「三学」に大別される。したがって、瞑想は必須の実践に含まれる。

ずばり、瞑想とは何を行うことだろうか。端的に言うと、メタ認知を完成することである。人は感情に振り回されると、今自分が何をしているのか、また目の前で何が起こっているかを客観的に認識することができなくなる。だから、仏教ではエゴから離れて「世界の物事をありのままに認識するための智慧を得ましょう」と教えられる。

瞑想は、仏教聖典で「サマーディ」(集中)や「ジャーナ」(禅定)という言葉で表されているけれど、現代のミャンマーで主流の瞑想の多くは「ヴィパッサナー」(洞察)と呼ばれる実践である。ヴィパッサナーは、禅定を省略してでも最優先すべき瞑想法としてミャンマーで重視され、その人気は海外にも普及している。

2 ミャンマーの瞑想の近現代史

 そんな世界有数の「瞑想大国」(特にヴィパッサナーの)は、意外にも19世紀末から20世紀にかけて出現した比較的新しい現象である[藏本 2014]。

 植民地時代(1852年~)、迫りくるイギリスの脅威に対しミャンマー(当時はビルマ)の仏教と仏教的アイデンティティを守る抵抗として、レディ長老やミングン・ジェタワナ長老といった高僧たちが「ヴィパッサナー」という仏教思想を具現化した実践を提唱した。彼らの意志は国民にも深く共鳴した。その結果、1911年に国内初のヴィパッサナーの「瞑想センター」が誕生した。従来の僧侶のみが住む僧院ではなく、在家者が集団で瞑想することのできる新しいタイプの宗教施設である。

 1948年の独立後、初代首相のウー・ヌの政権と国の仏教教団(サンガ)は、仏教に基づいた自制や道徳観を国民に奨励するために仏教復興を進めた。この時期、政府と民間それぞれによってヴィパッサナー瞑想センターが設立されていく。続くネー・ウィン政権下(1962~1988年)では、特にマハーシ長老の定式化した「マハーシ・ヴィパッサナー」の瞑想センターが政府の支援によって増加し、現在もその数は国内で最大の規模を誇る。1990年以降の軍政下(~2011年)では、抑圧と都市化の混沌の中で、熱心に瞑想する在家者が一層増加していく。こうして、特殊な社会政治的な背景のなかで生まれたヴィパッサナーは、ミャンマーの生活様式に深く根付くとともに「大衆在家瞑想運動」と呼ばれ世界へと広がっていったのである。[Jordt 2001]。

3 瞑想センターで行われていること

ミャンマー国内の瞑想センターの正確な数を示す統計資料は存在しないが、1,000カ所以上と言われる[Houtman 1990; 藏本 2014]。その多くはマハーシ瞑想法を中心とするヴィパッサナー主体の瞑想センターであり、スンルン、テーイングー、モゴック、ゴエンカなどの瞑想法の施設も含まれる。その一方で2000年以降、禅定を習得してからヴィパッサナーに進むという、異なるタイプのパーアウッ長老の瞑想法が台頭し国内外で展開している。

写真2 現在研究中のパーアウッ長老と、2019年ピンウールウィンにて

写真2 現在研究中のパーアウッ長老と、2019年ピンウールウィンにて

外国人も修行できる瞑想センターも多いが、ふらりと訪ねて行っても受け入れてもらえない。事前に「宗教ビザ」の取得が必須である。非営利の宗教施設のため、宿泊料金のような滞在費用は請求されないが、誰もが一定額を布施している。施設内は修行者が一緒に瞑想するための「瞑想ホール」と居住空間とに分かれている。彼らは必ず男女に分かれ、2~4名の相部屋で滞在することが多い。修行できる期間は1週間から2カ月程度が多く、より長期型の瞑想センターもある。参加者が随時希望する日に入れる場合もあれば、一時的な開催期間が決まっている場合もある。

写真3 瞑想ホール:蚊よけのために大きな蚊帳に入って瞑想する、2019年ピンウールウィンにて

写真3 瞑想ホール:蚊よけのために大きな蚊帳に入って瞑想する、2019年ピンウールウィンにて

朝は早く、暗いうちに瞑想ホールに入って4時から瞑想を開始する。修行者は八つの戒律を守るため、午前中は朝食と昼食の2食と、午後からは飲み物のみの飲食が許される。電気の供給が不安定なため入浴といっても行水であるので、気温の高い日中に済ませてしまう。「インタビュー」は、修行者が指導者に修行の進捗を報告したり質問したりできる貴重な時間で、進捗次第で指導者から課題を与えられることもある。夕方に瞑想を終えた後は散歩するなど自由に過ごし、夜の読経が終わったら9時には就寝する。

瞑想センターの一日のスケジュール(一例)[川本 2025]

3:45 起床
4:00 瞑想(1時間半)
5:45 読経
6:00 朝食、休憩
7:00 瞑想(3時間)
10:00 入浴・洗濯
10:30 昼食
12:30 瞑想(1時間半)
14:00 インタビュー
14:30 瞑想(1時間半)
16:00 休憩
16:30 瞑想(1時間)
17:30 休憩(ときどき入浴)
19:00 読経
21:00 就寝

瞑想法は仏教聖典に基づいており、最も主要かつ初心者に指導されるのは呼吸(アーナパーナ)瞑想という、鼻から出入りする息だけを観察する瞑想法である。試してみると分かるが、呼吸の出入りだけに意識を集中しようとすると、数分も経たないうちに他のことに意識が飛んでしまう。でも、その状態に気づいたら修行者はすぐさま呼吸の観察に戻ることを繰り返し、意識をコントロールすることを体験的に学んでいく。ちなみに、マハーシ瞑想法では鼻付近の呼吸ではなく腹部の膨らみを観察する。この方法は仏教聖典に論拠がなく、マハーシ長老によるとその方が観察しやすいから指導を変えたとのことである。

そのほかの重要な瞑想法に、慈悲(メッター)の瞑想がある。メッターは、最初に自分自身に対して、以下の四通りの文言を心の中で唱える。

私が幸せでありますように
私に心の苦しみがなくなりますように
私に体の苦しみがなくなりますように
私が健康で幸福でありますように

慈悲の思いで満たされると、心と体が落ち着くという効能がある。そのため、パーアウッ瞑想法では、すぐに怒りや体の痛みに捕らわれる初心者にはアーナパーナの前に10分程度、準備体操的に自分に慈悲の瞑想を行うよう薦められる。

ミャンマー人が熱心に瞑想する理由には、国が直面した危機という背景があった。その大衆瞑想文化がさらに展開して、近年、仏教瞑想から宗教色を除いた「マインドフルネス」(気づき)が世界的に広まっている。だが他方で、ミャンマーから指導者を招き仏教実践として「瞑想合宿」が開催される機会も増えつつある。日本においても2000年代以降、様々な有志団体が合宿を企画している。仏教瞑想であってもなくても、強い主観や感情から離れて心を静める訓練は、現代に生きる人々に必要とされているのだろう。

[参考文献]
川本佳苗「新進気鋭の仏教学者 川本佳苗こと、元・サヤレー・スナンダの「ぶぶ漬けどうどすか?」『Webサンガジャパン』https://online.samgha-shinsha.jp/contents/71eb5f4bca8a
藏本龍介. 2014.「ミャンマーの瞑想センター:歴史と現状に関する調査報告」.『社会人類学年報』40, pp107-119.
Houtman, Gustaaf. 1990. “Traditions of Buddhist Practice in Burma.” Ph.D. diss. University of London.
Jordt, Ingrid. 2007. Burma's Mass Lay Meditation Movement: Buddhism and the Cultural Construction of Power. Athens, Ohio: Ohio University Press.

書誌情報
川本佳苗《総説》「ミャンマーの仏教:なぜ人々は瞑想するのか?」『アジア・マップ:アジア・日本研究Webマガジン』Vol.4, MM.1.02(2026年00月00日掲載) 
リンク: https://www.ritsumei.ac.jp/research/aji/asia_map_vol04/myanmar/country01/