アジア・マップ Vol.04 | イエメン

《総説》
イエメン・サナアのムスリム男性の正装

馬場多聞(立命館大学文学部 教授)

 イエメンの首都サナアの旧市街を歩いていると、白い長衣に短剣を身に着けた男性や、黒い衣で全身を覆った女性とすれ違う。もちろん、Tシャツやジーンズを着ている若者の姿もあるものの、特にハレの日には、昔ながらの「正装」を身に着けた男性をよく見かける。もっともイエメンでは、地域や社会階層によって人々の服装は異なり、サナアにあっても頭に巻く布や腰回りに身に着けるジャンビーヤ(短剣)にそうした違いが顕著に表れる。しかし以下ではその細部には立ち入らず、サナアで暮らす「一般的な」ムスリム男性の正装を、頭から足元へくだっていくかたちで見ていくとともに、その伝統性について考えてみたい。

 まず、頭に巻かれたり肩にかけられたりしている布は、スマータあるいはシャールと呼ばれる。これは薄い長方形の布で、三角形になるように折ったうえで使われている。頭に巻く際には、頭が締まるほどにがっつりと巻く。サナアは乾燥しており、一年を通して涼しいため、蒸れることはない。寒い時やハンマーム(公衆浴場)に行った帰りにマフラー代わりに使うと、風邪をひかなくてよい。サウディアラビアなどでは、イガールという黒い輪でこの布を頭に固定することがあるが、サナアではイガールの使用はそこまで一般的ではなかった。筆者は、毎日このスマータを肩回りにかけて外出していた。風呂敷や手ぬぐいの代わりとして、体温調節の手段として、大変重宝した。今では、自室の本棚にて、本の日焼けを防いでくれている。

 肩から足元までを覆う長衣は、サウブである。たいていが綿製あるいは化繊で、サウディアラビアをはじめとする湾岸諸国の人々が白い長衣をまとっている様子をよく目にするが、イエメンでは足元まで隠れるものよりは、やや丈が短いものが好まれていた。茶色や灰色のものもあるが、特に白いものを多く見かけた。筆者も白いサウブを一着持っていたが、土埃にまみれたサナアを歩いているとすぐに汚れ、そしてその汚れが目立った。しかも安物だったためか、洗ってもなかなか汚れが落ちない。そのためか、普段は日本から持参したシャツと長ズボンでもっぱら過ごしていた。

 サウブの上には、ジャケットを羽織る。これは、イエメンの山岳地域以外では、あまり見られない。その理由や起源については寡聞にしてわからないが、涼しい気候に適しているということも一因ではあろう。小学校に入る前の男の子が、小さく仕立てられたジャケットを着こなしていることもある。筆者は、サナア旧市街のイエメン門を入って西へ向かった先にある古着屋で、「山田〇〇」という名前が刺繍されたスーツを上下セットで購入し、そのジャケットを「山田さん」と名付けて着用していた。日本のある開発社会学者によれば、欧州のものよりも日本のものの方が体格が小柄なイエメン人に合うため、日本から多くの古着が輸入されているのではないか、とのことであった。なお寒い時には、サウブとジャケットの間に薄手のセーターを着るとちょうどよい。

 サウブの下には、上半身には日本でも見られるようなカミースと呼ばれるシャツを、下半身にはネクスあるいはショルトと呼ばれる股引のようなものを身に着ける。たまにサウブの裾をまくりあげている男性がいるが、そうした場合はこの股引が露になる。日本でも見られるジャージや短パンを着ることも、現在では珍しくない。

 そして腰回りには、ジャンビーヤと呼ばれる短剣が見られる。もともとは、イエメン東部のハドラマウトで生まれたとも言われている。鞘こそ三日月のように曲がっていることが多いが、刀身そのものは軽く反っている程度なので、抜き差しに支障はない。ジャンビーヤは、自身が「部族」に所属する自由人であることを示す象徴とされ、成人した男性のみがその所持を認められるという。一方で、少年用の小さなジャンビーヤも売られているし、筆者のような外国人が買って身に着けることもできるため、ファッションの一部としても認識されているように思う。ジャンビーヤの価格は材質や装飾の違いによってピンキリで、名家では、象牙や犀角でつくられ、宝石がはめこまれた、数百万円もの価値を持つジャンビーヤが、代々受け継がれているときく。殺傷能力は高くなく、荷造り用の紐を切ったり、買い物袋をぶら下げたり、腹とジャンビーヤの間に本をはさんだり、手持無沙汰な手を置いてみたり、まくりあげたサウブをかけたりと、実用的に用いられている。結婚式などの祝いの席では、男たちがジャンビーヤを抜いて踊るジャンビーヤ・ダンス(バラア)が披露される。

 足元を見ると、日本でも使われているような工場生産のサンダルを履いている。靴下と革靴という組み合わせもあり得る。ここに特にイエメンのサナアならではの特徴を見出すことはできなかった。

 こうした正装の歴史をどこまで遡ることができるのか、その判断は難しい。たとえば筆者が持っているスマータやサウブはインドの工場でつくられた輸入品であったし、ジャケットに至っては明らかに西洋の影響を受けているうえに、もともとは日本の山田さんのものであった。このように、筆者がそろえた正装は、イエメンで伝統的に生産されていた衣装というよりは、近代化によってもたらされた商品の集合体なのである。

 もっとも、以上の正装の基本形は、オスマン帝国からの独立を果たしたイマーム・ヤヒヤー(在位1918-1948年)の治下にあったサナアにおいて、既に存在したようである。たとえば、フランスのRené Clémentらによって撮影されたドキュメンタリー『禁じられたアラビア(L’Arabie interdite)』(1937年)では、現在と似たような服装の男たちを確認できる。ただし、西洋風のジャケットはまだ一般的ではないように見受けられる。映像の後半では、男たちが水辺で服を脱いで洗濯する場面が収められている。そこでは、サウブの下に少なくともシャツと股引のようなものを一枚ずつ着ていることがわかる。

 また、ピエル・パオロ・パゾリーニ(Pier Paolo Pasolini)(1975年没)によるドキュメンタリー『サナアの外壁(Le mura di Sana'a)』(1971年)は、1970年頃のサナアの人々と旧市街の様子を記録している。この作品は近代化の名のもとに破壊されつつあったサナア旧市街の外壁を保存するよう、ユネスコに訴える目的でつくられたものである。その働きかけの成果もあってか、サナア旧市街は1984年にユネスコの世界遺産に登録された。映像のなかでは、一見すると現在と変わらない旧市街が映されている一方で、今では市街地が広がっているところがまだ荒地であったことも確認でき、時の流れを感じさせる。作品ではまた、近代化の象徴として、中国による道路建設の様子が映し出される。さらに、人々の足元にカメラを向け、彼らが履いているサンダルや革靴を外部からもたらされた工業文化の一例として紹介し、1962年まで鎖国状態にあったイエメンが急速に世界経済のなかに組み込まれて行っていることを示唆している。なおこの頃になると、ジャケットの着用が一般的になっていたようである。

 筆者は、2011年3月、在イエメン日本大使館の閉鎖に伴ってサナアを脱出した。その際に、手持ちのスマータやサウブ、ジャンビーヤについては空路で日本へ輸送したが、「山田さん」を日本で必要とすることはないと考え、住んでいた建物の門番に預けてきた。以降、イエメンへ戻ることはできていない。これまで見てきたように、サナアで暮らす「一般的な」ムスリム男性の正装は、1930年代から1970年代、そして現在にいたるまで、基本的な構成を維持しつつも、近代化の影響を受けながら変化を重ねてきたものであった。そうであるならば、筆者がサナアに残してきた「山田さん」もまた、更新され続ける伝統の一部としてこの街のどこかに息づいていることを、せめて願いたい。

サナア旧市街(筆者撮影

サナア旧市街(筆者撮影)

サナア旧市街の男たち(筆者撮影)

サナア旧市街の市場の男たち1(Wikimedia Commons)

サナア郊外のロックパレスで出会った男たち(筆者撮影)

サナア旧市街を行く男たち2(Wikimedia Commons)

『禁じられたアラビア(L’Arabie interdite)』(1937年)の一コマ

『禁じられたアラビア(L’Arabie interdite)』(1937年)の一コマ

『サナアの外壁(Le mura di Sana'a)』(1971年)の一コマ

『サナアの外壁(Le mura di Sana'a)』(1971年)の一コマ

書誌情報
馬場多聞《総説》「イエメン・サナアのムスリム男性の正装」『アジア・マップ:アジア・日本研究Webマガジン』Vol.4, YE.1.01(2026年7月31日掲載)
リンク: https://www.ritsumei.ac.jp/research/aji/asia_map_vol04/yemen/country/